スマホいじったって、なにも変わんねーよ
北緒りお
スマホいじったって、なにも変わんねーよ
「またステッカー増えた?」
真冬の曇天と寒風から避けるように昼日中から喫茶店の奥に陣取り、無為な会話を続けていた。
すぐにやるべきこともなく、何となくゲームに飽きて、たまたま、本当にたまたま暇だった者土同士でコーヒーを飲んでいた。
まるで部屋の片隅に自然と集まってしまうホコリみたいなつながりだが、中学から続いているのだから正真正銘の腐れ縁だ。妙に狭い椅子とテーブルに斜向かいに座り、喫茶店の薄暗い照明が外とは違う薄暗さだなと思いながらちょっとの話題を見つけては二言三言のやり取りをしていた。
ぬるくなったコーヒーをすすろうとしていたが、ステッカーについて聞かれて片手でコーヒーカップ、片手にスマホをもち、返事をするわけでもなく眺めている。
「おまえさ、この間も貼りすぎて固まりがはがれてなかったっけ?」
向かいに座っている長年見慣れたそいつは、不摂生な生活をしているくせに贅肉はなく、筋肉もないものだから発熱シャツで薄手になっていると造形物として見ても頼りなく見える。高校生の頃だったろうか、トーテムポールを擬人化したらお前みたいな感じになるんだろうなと軽口をたたいたら、それを聞いていたクラスの面々が面白がり、トーテムという呼び名になったりしていた。その年ごろから白樺の老木みたいな印象の体つきだった。
後期の試験を終えた大学生は忙しい。
学費を稼ぐのにバイトや家庭教師など、少しでも授業のない時間を収入に変えようとしている。ふつうは。
「あの剥がれかけたのはさ、ボンドでくっつけなおした。」
実家が金持ちという訳でもなく、奨学金とかで金銭に余裕があるとかではなく、ただ、時間の隙間ができてしまったと言うだけだ。
同じ大学ではないが、同じ路線を使っていて、進学したあとでも顔を合わすと話をする関係だ。
感染病の大流行で大学に行くこともなくなり、たまに登校するにしても人と会わないようにし、さらにはマスクで顔を覆い、偶然顔をあわせるということがほとんどなくなっていた。
今日は朝一番で大学の事務局に出し忘れていた提出物を届けるというつまらない用事を済ませ、午後はほとんどあいてしまっていた。
そんなしまりのないきっかけが元で行動の流れが変わって、さらに偶然として同じ電車に乗り合わせたのだった。
「そんなにステッカー張り付けて重くない?」
どうせ教科書とかでカバンが重いのだから関係ないのだという。
少しでもいい方がいいじゃん。と、同意を求めるわけでもなく、半分独り言みたいに言う。
昔からゲン担ぎとかにうるさく、大学受験の時はトランクスの柄も受験用に運が良さそうなのを選んだと言っていた。下着の御利益があったのか志望校に合格をしたのを善いことに、その担ぎ方は強くなっていく一方だった。
大学に入ってからだろうか、かってもらったばっかりのスマホにステッカーが付き始めた。はじめは、IT系のPCにやるようなものかと思ったが、どうも貼っているものが少し違う。お守りや護符みたいな柄が目に付いた。
「それさ、いつもどこで買ってるの?」
いつだったか聞いたことがある。目に付いた神社やお寺にあれば買っているのだという。そんなに見境無く張り付けていいものなのか気になったが、信心についてはあまり興味がないのでふれないでいた。
毎日手にとってそれとなく使っているがあまり意識しないが、スマホは最高峰の技術の固まりで、その心臓部は精密な回路の固まりだ。それは、まるで航空写真で大都市を眺めるような黒や緋色の四角いところに整然と線がつながっている。その街を駆けめぐるのは極々微弱な電気で意志や感情を持っている訳ではない。精緻・精密・理路の固まりが液晶を光らせ、電波を拾っている機械だ。けれども、肌身離さず持ち歩いているからか、財布やメガネと同じように身の回りの品の一つになっている。
だからといってステッカーを貼り重ねていくのもどうかと思うが、その張り方もたいがいなものだろう。鏡のようになめらかでまっすぐだったスマホの背中は、貼り重ねられたステッカーが地層のようになり、カメラのレンズがある部分以外は、シールで貼り固められていた。長いこと使い込んだ二つ折りの革財布が手のひらに納めたときに程良いような曲線になるように、スマホの地層も奴の手のひらに程良く収まるような小さな丘のようになっていた。
当人はそんなにゲン担ぎとか気にしてないと言うが、スマホの地層がそれを否定していた。
ステッカーを眺めながら言うことには、小学生の頃から学生になった今まで、安心して先のことを見たことがない。少し歩幅がずれただけで墜落してしまうような漠然とした恐怖が、目の前とその先にある未来に影を落としていると言う。試験でD判定なんてもらうもんなら、それだけで人生設計が崩れてしまうような恐怖だ。しかも、その人生設計と言っても目の前の壁を越えることぐらいしかない。
少し前の世代であれば、それは就活が代表的な壁だったが、その就活ですら、先輩達の話が通用しないぐらいに変化し続けている。
少しでも真ん中を歩かないといけない。真ん中からずれてしまったら、それで未来が終わってしまう、という恐怖だ。
恐怖の先にはなにもない。ただ、“大人”という漠然とした世界が始まる。
なんとなくの手いたずらなのか、スマホの裏を上にして積み重なったステッカーの地層を親指で撫でている。いつもやっているのだろう、指が当たるところのステッカーは色があせているところもある。
「これさ、就活対策セミナーとか見ているときによくやっちゃうんだよね」
本人もわかっている癖なのだろう。
「それさ、触ってると気持ちいいの?」
そういうわけでもないと言うが、先のことを考えたくないときにそこを触ってしまうのだという。
逃げているわけでも、無かったことにしようと言うのでもなく、今はそこに目を向けない時間にしたいというだけの、ちょっとの猶予時間がほしい時、そこに指が伸び、そしてつみあがったゲン担ぎの山を撫でていると言う。
指を二・三往復させるだけのちょっとの思考の隙間で、膨れ上がって気持ちが入る皿からあふれそうになる、先が見えないざわめいた感情を静かにしていると言う。
その説明をしながらも、指はステッカーの山の上を何往復もし、その気持ちがぶり返してきたのを落ち着かせようとしているのかと思った。
目の前の試験対策をしているときはやることがわかっているからか、手を動かすべきことにすべてを打ち込めいいのもあり、試験に対する不安は横にどけておける。けれども、大学という策の外にでようとすると、とたんに泥沼のような濃い闇につつまれた気持ちになって、息をするのもやっとの重い感情につぶされそうになる。
ステッカーの山のことを聞いて、さっきまでスマホの背中に指を這わせていたが、落ち着いたのか、今のことしか考えない自堕落モードに戻った。
けれども、その話を聞いたこちらの頭の中には、さっきまで忘れていた重い感情が漂い始め、ただでさえ薄暗い喫茶店の店内がさらに暗くなったように感じた。
スマホいじったって、なにも変わんねーよ 北緒りお @kitaorio
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