第5話 豚と海

 は……腹が減った……。

 小舟に乗ったはいいものの、岸は高く遠く、いつまでたっても岸に着く気配がない。

 え?これ、つんだ?

 海まで出ちゃうヤツ?

 そこまで止まらないの?


 俺は小舟に横たわり、少しでも体力を消耗させない方向に努力する他、やれることがなかった。

 ザワザワ……。ん、まぶしい……。

 さっきまで聞こえなかった人の声が聞こえる。──人のいるところにつけたのか!?


 俺はハッと目をあけて、ガバっと起き上がると周囲を見渡した。

「おい、早く助けてやれよ!」

「あのままじゃ、海に出ちまうぞ!?」

 え?海?

 周囲を見渡すと、そこは川と海の境目のようなところだった。


 俺の乗った小舟は潮の流れに乗って、海の先へと、まさに流されようとしている最中だったのだ。

 うわあああ!オールもないのに、海に流されたら、これ、戻ってこれないヤツ!

 てか、オールあっても俺漕げないぃい!!


 俺は焦って小舟の上でくるくると回った。

 そこに別の小舟が近付いてくる。

「プギッ!?」

「ほれ、落ち着かんか、助けてやろうと言うんだ。安心せい。」

 俺は見知らぬ老人に首根っこを掴まれて、グイッと持ち上げられたのだった。


「やった!

 モート爺さんが子豚を助けたぞ!」

「さすがモート爺さんだ!」

 見ると川と海の境目あたりの岸に、たくさんの人々が集まってこちらを見て手を振ってくれている。


 どうやらこの人たちは、俺が高値で売れる伝説の食材であるということを知らないらしい。素直に小舟に乗って海に流されそうになっていた子豚が救われたことを喜んでいるようだった。

「さて、みんな心配している。無事な顔を見せてやろうな。」


 そう言ったモート爺さんの小舟に移された俺は、泳ぐ以外で岸に戻る手段もなかったので、素直にそのままモート爺さんとともに、小舟で岸まで運ばれたのだった。

「さすがだな!モート爺さん、お手柄だよ!

 急に舟に乗って飛び出していった時は、何事かと思ったぜ!」


「なんのなんの。

 ワシのところの弟子が、先にコイツに気がついて、ワシを呼びに来たんだよ。ほれ、コイツは無事だぞ、安心したか?ビンタ。」

 モート爺さんは小舟から降りつつ抱え上げた俺を、ビンタと呼ばれた男の子に差し出した。


「この子を助けてくれてありがとう、モート爺さん。」

 ビンタは嬉しそうに俺を抱いた。

 可愛い顔してるけど、男の子に興味はないんだよなあ……。この子にそっくりな姉妹でもいればなあ……。


「ほら、ボーレも抱いてごらんよ。」

 そう言って俺を差し出す先には、ビンタとそっくりな顔の、もう少し小さな可愛い女の子が。キタアアア!

「怖くないよ?」

 うんうん、怖くないよー?


 ボーレちゃんは恐る恐る俺を抱っこして、嬉しそうに、にへらっと相好を崩した。

 かあいい。ぺったんこなお胸もイイネ!

「それで、助けたはいいが、コイツをどうするつもりなんだ?ビンタ。」

「うちでは飼えないから……。」

 そういってしょんぼりするビンタ少年。


「なんだ、せっかく助けたのにか?」

「飼ってあげられない?モート爺さん!」

「ワシがか?」

 ええ?俺、ボーレちゃんと寝たい……。

 今日の日がのぼるまでは天国にいたってのに、こんなジジイと寝るとか、いきなり地獄に行けってか?


「仕方ないのう、こんなに小さくっちゃ1人でエサも取れんだろう。

 ワシも一人暮らしが長いことだし、新しい家族として迎えてやるか。」

「本当!?ありがとう!モート爺さん!」

 えええええええ。


「プギッ!プギイイイィイ!(ボーレちゃん!ボーレちゃああああん!)」

「ははは、子豚も喜んでいるぞ。」

 嘆いてんだよ!

 俺の抗議は当然誰にも届くことなく、俺はモート爺さんの家に連れて行かれてしまったのだった。


「まだ母親のオッパイを飲んでいる頃だろうからな。牛の乳がいいだろうな。

 ほれ、たんとお飲み。」

 そう言って、深い皿にたっぷりと出した牛乳を俺にくれた。

 牛の獣人たちのところでご飯貰ってたから分かるけど、俺、別に普通のご飯食べられるんだけどなあ……。


 そう思いながらも、伝わらないので牛乳をペロペロとなめて飲んだ。

「おお、随分と飲むな!

 よしよし、おかわりをやろうな!」

 牛乳だけじゃ腹が膨れねえんだもん!

 一度他の食べ物の味を知っちゃうとね!


「ワシは漁師をやっとるんだ。明日は朝から漁に出るから、お前も一緒に来るんだぞ?朝早いからな、食べたら早く寝るんだぞ。」

 ええ……。俺それについって行っても、なんにも出来ることなくない?


 そう思ったが、俺は夜明け前にモート爺さんに叩き起こされ、まだ肌寒い外に無理やり連れ出されてしまったのだった。

「おい、モート爺さんが舟を出してるぜ?

 まだ漁に出るつもりなのか?ぷっ。」

 ──ん?


「もう何年も何にも取れてないってのに、いい加減諦めたらどうなんだよ、それより大工仕事を手伝えっての。村には他にもたくさん仕事があんだからよ。」

 なんか、昨日の村人たちとは随分扱いが違くねーか?尊敬されてんじゃねーのか?このジーさん。


 昨日の村人たちと違って、日焼けした屈強な男たちの集まりだ。多分、あいつらも漁師で、不漁のモート爺さんを馬鹿にしてるってとこなんだろうな。

「モート爺さんを馬鹿にするな!

 俺の師匠なんだぞ!」


 ビンタ少年が男たちにくってかかる。

「ビンタ、お前もあんなモーロク爺さんに弟子入りなんてやめて、俺たちから教わんな。そのほうが早く一人前になれるぜ。」

「伝説の漁師だなんて、もう過去の話さ。

 引退すべきなんだよ、モート爺さんは。」


 男たちの声を浴びながらも、モート爺さんは、小舟に釣り竿と、よく手入れをされた銛と、昼飯の弁当を携えて乗り込んだ。

「ビンタ、行ってくるぞ。今日こそデッカイ獲物を釣って戻ってくるからな!」

「行ってらっしゃい!モート爺さん!」


 あれ?ボーレちゃんは?ビンタ少年だけ?

 俺は周囲を見回すも、まだ朝早い時間で寝てるのか、ボーレちゃんの可愛らしい姿は見当たらなかった。

「さあ、ここから長いぞ。だいぶ沖まで漕ぐからな。お前は寝ているがいい。」


 そう言って、モート爺さんは小舟を沖へと漕ぎ出した。

 てか、寝てていいなら、俺連れてこなくてもよくない?家に置いとくのが心配だからってこと?話し相手に連れて行きたいのかなって思ったんだけど。


 最初は海に興奮して、覗き込んだりしてたんだけど、だんだんと日差しが高くなり、小舟に日が当たるようになって、その暖かさにウトウトしだしてしまった。

 ガクンッ!大きく小舟が揺れ、俺はハッと目を覚ました。寝てしまっていたらしい。


「くっ!この……!逃がすか!」

 見るとモート爺さんが小舟の先にいる何かと格闘していた。いや、何かを釣り上げようとしているらしかった。

「──今だ!」

 モート爺さんが左手に持った竿を体でおさえながら、右手で掴んだ銛をぶっ刺した。


 ビタン!ビタン!と暴れながら、モート爺さんに釣られた巨大な魚は、やがてゆっくりと動きを止め、水面に浮かび上がって静かに横たわったのだった。

 すっげええええ!

 めちゃくちゃデカい魚だった。この小舟の縦幅よりもデカいんじゃないか?


 こんなのを仕留めるなんて、やっぱり伝説の漁師なんだな!モート爺さん!

 俺は思わずキラキラした目でモート爺さんを見つめた。

「さすがに舟に乗らんからな……。

 よしっと、こうしてロープでくくって、これでいい。動かないな、うん。」


 モート爺さんは小舟にくくりつけた巨大魚が、ロープからすり抜けないことを確認してから、うんうんとうなずいた。

「さて、いい時間だな。昼飯を食ったら村に帰ろうか。お前も腹が減ったろう。」

 そう言って、小舟の上で弁当を広げて、俺にも深めの小皿に、皮袋に入れた牛の乳を出してくれた。


 俺とモート爺さんは昼食にして、お腹を満たしたところで村に帰ることにした。

 行きよりもだいぶ小舟は重たかったけど、ある一定の場所まで来たら、潮流の流れが変わったのか、急に進むのが早くなった。

「ここまでくれば、あとはこがなくてもだいじょうぶだ、ワシも寝るかな。」


 モート爺さんは小舟の上にゴロンと横になった。俺とモート爺さんが一緒になってウトウトしだした頃だった。

 ドン!と突然何かが小舟に当たり、その衝撃で俺たちは飛び起きた。

「な、なんだ!?」


 モート爺さんは小舟の外を覗き込んだ。

「クソッ!こいつら、血の匂いを嗅ぎつけてきおったか!

 ビショップ・フィッシュの巣は抜けた筈だと言うのに、こんなとろまで来おって!」

 俺も背伸びして前脚をかけ、小舟の外を覗き込もうと──するまでもなかった。


 小舟にくくりつけられた巨大魚を狙って、尾ビレが脚のように別れ、鉤爪のついた腕のような姿の魚の化け物が数体、小舟を攻撃しているのが見えたのだった。

 これが、ビショップ・フィッシュ……?

 頭がサメの鼻先のように尖っているが、目と口はだいぶ下の方にあった。


 小舟の上には俺と、モート爺さん。

 360度足場のない海。

 武器は長年使い込まれた釣り竿と、よく手入れのされた銛1つ。

 ビショップ・フィッシュは3体。

 これ、やべんじゃね……?

 俺は足が震えてくるのを止められなかったのだった。

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