永遠にイきはしない
空原海
第1話
「女同士のセックスってどうやるの?」
「知らん。っていうか、男と女のセックスだって知らんのに」
「それな」
ベッドの上、下着姿で向かい合ってすぐ。
震える手で肩を抱き、キスをしたあと、戸惑い顔の彼女の目の中に、同じく戸惑い顔の私の顔が映っていた。
「ちょー、見てみ。ほれ、これよ、これ」
真剣な顔でパソコンを覗いていた彼女が、目はパソコンの画面から離さずこちらを手招きする。
パソコンからは「あんっ、あん!」という、わざとらしく飛び跳ねる、妙に高くてリズミカルな女の声が流れてくる。
「……わざとらしくない? マジでこんな声出る?」
「いや、出る? って聞かれても。知らんわ」
カマトトぶって、『ワタシ何も知らなくって』を装いながら彼女の顔を見てみると、薄暗い部屋の中、パソコン画面の光に照らされる彼女の横顔。
私と同じく、『知ってるけど、言い出しにくいわ』みたいな。
妙にモゾモゾと居心地悪そうに肩を揺らし、視線が泳ぐ。
鼻の頭をギュッと寄せると「えー……。あのさ。なんていうか、経験ない? 自分で……みたいな?」と彼女が言う。
ああ、なんだ。
彼女だって、シたことあるんじゃん。
私だけがヘンタイエロガキだったわけではないのだとホッとして、口元がゆるんだ。
すかさず彼女の目が光る。
「あー。シたことあるね、その顔。そんじゃ聞くけど。出た? こーいう声」
いや。切り替え早すぎるわ。
もうちょっとモジモジしててよ。可愛かったのに。
いつもは凛とした、こう、王子様キャラぶってる彼女の愛らしい一面を見られるのは、彼女――ようやく、ようやく正式に自他ともに恋人になったのだ!――の特権だとばかりに堪能していたかったのだが。
もう少しの隙も見せないぞ、とばかりに優位に立とうとする彼女の姿を見て、諦める。
彼女は常に主導権を握りたいタイプだ。
「いや、出ない。ていうか、正直言うて、気持ちいいとこがわからんかった」
「マジか。そらあたしより開発進んでない……」
開発って。
エロオヤジか。
「んー。それだとあたしが触っても、気持ちよくならんかもね」
「そーなの?」
「うん。なんかさ、最初は全然気持ちよくないんだよ。慣らさないといけないっつーか。なんかこう、『触ったら気持ちよくなるんだぞ!』って、暗示かけるっつーか」
「んん……っ。ややこしいな……。雰囲気で、そんな気分になるってことない?」
「あー。それはあるかも。やってみる?」
そしてふたたびベッドに横になり、彼女が私に覆いかぶさり、緊張からか少し冷たい手が私に触れて。
「……たっ!」
「えっ。あったかいよ?」
「いや、『冷たっ!』じゃなくて『痛っ!』だから」
首をかしげて指先に息を吹きかけようとする彼女。その手首をひっぱって寄せる。
されるがままに肩ごと、それにつられて彼女の薄い上半身が、ずるりとこちらに屈みこんだ。
「ほら。のびてる」
「ああ……」
二人の視線が彼女の指先に集まる。
バスケットボール部の彼女の指は、いくども突き指をしているから、それぞれの指の太さがばらばらで関節は太い。ハンドクリームを塗りこむ習慣がないから、かさついている。中指の左側はペンだこで固くなって凹んいる。
そしてそれから。
「ツメ。痛かったのは、たぶんこれ」
「ごめん。そうだね。準備が足りなかった」
「ていうか、ふつう、いきなりソコから始めようとする?」
すると彼女が唇を尖らせ「『ふつう』なんて知らんし。初めてだし。緊張してるし」と顔をそらすから、私は頬に手を当てる。
「ごめん。ふたりで少しずつ前に進もう」
「すこしずつね」
鼻の先をくっつけて、彼女の生ぬるい息が唇にかかる。皮肉っぽく片方の口の端があがるのが見えて、頬を擦り合わせた。
「『覚えとけ、明日はもっとひどくなるぞ!』ってこと?」
抱きしめた体は薄くて、あんまり柔らかくはない。
「ほんとにボンジョビ好きだね。きんに君かよ」
彼女は呆れたように笑ってから、「でもそうだね。確かにそう。『明日』はいつまでも続かない」と頷いた。
きんに君て。
「『明日』より、今を生きようぜって歌だよ」
「そうだっけ?」
「まぁ、だいたいそんな感じ」
「テキトーだね」
「いいの。私がアメリカに行くわけじゃないし。エイゴなんか、赤点取んなきゃそれでいい」
「薄情なヤツ」
そのままベッドに倒れこむ。何をしたらいいのかはわからないから、ただ抱きしめあって、キスをした。
パソコンから流れてくるノイズ。男向けレズものポルノの、わざとらしい喘ぎ声は、まだ続いていた。
おっぱいを触り合ったり、首すじやおなか、フトモモからふくらはぎをなぞったりするところまでは順調だった。
「……だめだ。やっぱり自分でやる方が気持ちいいわ」
「同じく」
肝心のアソコに関しては、てんでよくなかった。
このとき、このタイミングで、このタッチで、このリズムで、このポイントで。あとどのくらい続ければいい?
そんなのは、自分の人差し指と中指、あるいは親指しか理解できなかった。
それがよくなる程度には、私も開発を進めていた。
「同じ指だし。そりゃ自分の方がいいに決まってる」
「つまり?」
「指じゃないものでアプローチしなくちゃ、自分にはぜったい勝てない。でしょ?」
ニヤリと笑う彼女が右の手のひらを顔の前にかざす。
「同感」
ぱしっといい音を立てて、手を合わせ、それから握りしめる。
「……ちょっと痛かった」
「ごめん。振りかぶっちゃった」
「女バレエースのアタックじゃ、痛すぎる」
「何いってんの。女バス期待のパワーフォワードが」
「むこういったら、ボックスアウトどころか、ゲームに出られもしなそうだけどね」
「……それは。がんばれ」
「うわぁ。ぜんぜん頼りにならない応援」
「だって仕方ない。フィジカルの強さがぜんぜん違うもん」
「まぁね。まぁバスケ続けるか続けないかの前に、あたしのヤバすぎるエイゴ、どうにかしないとね」
「日本人学校なんじゃないの?」
「それにしたって、だよ。高校からは現地校になるだろうし」
シワを寄せた彼女の眉間をぐりぐりと人差し指で押す。
「いまからその調子じゃ、すぐにシワシワになっちゃうよ。向こうはオーバーリアクションと顔芸の国なんだし」
「違いない」
おでこに手を当て、彼女が無表情になった。
「『何考えてんのかわかんない日本人』をやめるために、たくさん顔にシワつくんなくちゃいけないのかぁ……」
「無理やりやらんでも、きっといつの間にかそうなってるよ、きっと」
きっとその頃には、彼女は私の知る彼女とは別人のような顔つきをしているんだろう。
彼女は「恥ずかしいわ、そんなん」と言った。
覆った手の下で、眉をひそめたのかもしれない彼女の表情は、アメリカ人からすれば、きっと『感情の起伏がないロボットみたい』。今はまだ。
そのいち。貝合わせ。
「気持ちよくない。ってゆーか、この態勢、無理ありすぎ」
「なんの筋トレってかんじ」
ボツ。
そのに。ペニバン。
「……。すっごい、ぐらぐらするんだけど?」
「手でおさえるんじゃない?」
「んん……。どう? 進んでいい?」
「いいよ……。いや、ちょっと待った」
ショッキングピンクのソレが途中まで入った状態で止まる。前かがみになって真剣な顔でソコしか見ていなかった彼女が顔を上げる。
「なに?」
「いやいや。それ、ただ手で挿れてるだけやん」
彼女は腰を動かしもしていない。ショッキングピンクのディルドを右手で前に押し出すだけ。ディルドにつられて、ベルトが引っ張られる。ベルトは彼女の腰から浮く。
なんだそれ。
「そんなん言われても。手ぇはずしたら、ぐらぐらするだけで入らんもん」
「そんならもう、ディルドだけでよくない?」
「だって、なんかこう、『俺が挿れてるんだぜ!』って気持ちになってみたくて」
言ってることとヤってることが違う。
デコピンの要領で、彼女の股間に生えたショッキングピンクを中指ではじく。ぶらぶらと揺れる。すでに抜かれていた先端がローションを飛ばし、太ももにかかった。
「で、なれた?」
「まったく。ていうか、バンド部分が擦れて痛い。たぶん皮剥けてる」
ほら、と示された先。
見えやすいよう、彼女が黒いナイロンのベルト部分に指を引っ掛けて肌から離すと、骨盤のでっぱりが赤くなっているように見えた。影になっていて、はっきりとはわからない。
でも。
「うわぁ。痛そう」
「実際、痛い」
よく見ると、涙目になっている。
可愛い。可哀想。
「安かったしねぇ。もうやめときなって」
「うん。悔しいけどやめる」
「悔しいの?」
「そりゃね。だって男は自前のがついてんだよ。挿れてるって感覚もあるんでしょ。グラグラ根本が揺れたりなんかしないんでしょ。擦れて皮が剥けたりなんかしないんでしょ。ずるいじゃん」
「そりゃ感覚はあるだろーけど。皮は剥けることもあるんじゃない?」
「そっちの皮じゃねーわ」
いや、おにいは、テンガ試したとき、痛かったって言ってたけど。まぁいいか。
これもボツ。
そのさん。
舌でアソコをどうにかする、アレ。
ペニバンで擦れた哀れな赤い傷痕に舌を這わせて、そのまま。
「ん……。これ、いい」
「……めっちゃマズイ……」
「ぶふっ。だろーね! てゆーか、その口とキスしたくない!」
「はあ? あんたの舐めてんですけど?」
「んふっ! そうだけどさぁ。だからっていうか……んっ。いや、自分のなんか口にしたくないじゃん……ん、気持ちいい……」
あまりの言い草にムカついたから、めちゃくちゃ舐めてやった。鼻先にぐいぐい押し付けてくるから、むわっと鼻腔に入ってくる匂いに、ウッとしてちょっとだけ涙目になった。
こいつ、部活終わってから、シャワーしか浴びてないなって。
イライラしたから、舐めながらつまんでやった。彼女は以前見た、嘘っぽいレズものポルノみたいな声は出さなかったけど、いろんなところがガクガクして、すごい顔になった。
「……これ、成功」
「だね。舐めるってきたねぇなぁヤだなぁって思ってたけど、結局これが一番なのね」
「うん。でもやっぱそのまんまキスすんのはヤダわ」
「ムカつくけど、気持ちはわかる」
これはボツじゃない。
「リアル『Lの世界』に行く前に正解を見つけられたね」
「あたしが行くの、ハリウッドじゃないんだけど?」
「ちょっと言ってみたかっただけ。昨日U-NEXTで観たから」
「どこまで観た? あたし、デイナが死んでから凹んじゃって、そこから観られてないんだけど」
「デイナ死んじゃうの?! ウソでしょ!」
「げ。まだ観てなかったの……」
「ネタバレおつ! っていうか、アリスは? そしたらアリスどーなんの?」
「いや、だから。アリスかわいそすぎて観てらんないんだって……」
「マジか! マジかよぉおおおおお!」
それから二人で『Lの世界』鑑賞会して、バイバイした。やっぱりテニスプレイヤーの『デイナ』は死んでしまっていた。泣きながら帰った。家に着いてからも泣いた。泣き続けた。
『なんで死んじゃったの、デイナ。置いてかないで』
アリスになりきって泣いた。
Lの世界。LAが舞台のレズビアンドラマシリーズ。複雑な人間模様とセックス。
お風呂に入りながら泣いていたら、おにいが洗面所で「早く風呂から出ろ!」と怒鳴ってきた。
ムカムカして急いでお風呂から出て、リビングの扉を勢いよく開けた。
お母さんが「ドアは静かに!」と言うのを無視して、ソファーで胡座をかくおにいの手からSwitchを取り上げる。
「JCのお風呂覗くとか、どんだけ変態だよ!」
「はぁ?」
ポケモンバトル中だったらしいおにいは、ギロリと一重で腫れぼったい、ぶっさいくな目を眇めて、凶悪な顔つきを向けてきて、それから目が合うと「うわ」と言った。
「もしかして泣いてんの? キメェ」
妹が泣いてたら慰めろよ。
だからモテなくて、テンガしか相手がいないんだ。ていうか、風呂場にテンガ置くな。
「テンガ愛用者が何イキがってんだか。風呂場に置くなよ。キメェ」
「は? はぁあああああ? 使ったことねぇし! 風呂場になんか置いてねぇし!」
いまさら何ホザいてんだろう。このバカ兄は。
バカでかい声でおにいの友達とおにいでシコトークしてたんじゃん。ぜんぶ筒抜けだよ。
「隠したいんだったら、置き忘れんなよ。キメェ」
おにいは顔を真っ赤にして黙り、私の手からSwitchを奪い返してリビングから出て行った。
「可愛い妹を慰めないからいけないんだ、バカめ」
おにいの後ろ姿に中指を立てていると、お母さんが「お兄ちゃんに謝りなさい」と言った。
正解を見つけてすぐ、彼女は教室の真ん前に立ち、「親の都合で転校することになりました。アメリカに行きまーす。カリフォルニアだそうでーす。ロサンゼルスのロミータってとこでーす」と言った。
教室内は「ロサンゼルス? 都会ってこと?」「ロミータってどこだよ」とか、彼女が席につくまでの間、クラスの視線が彼女に集まったけれど、担任の先生が定期試験の日程について説明し始めると、それまでのざわめきは綺麗に消え去った。
そして間もなく彼女は日本から出て行った。
普通に学校のある日に飛行機で。だから見送りはしていない。さよならも言わなかった。
最後にふたりきりで会ったのは、正解を見つけた日で、初めて彼女が私のすることでイった日で、『Lの世界』のデイナが死んだのを知った日だった。
しばらくして、彼女からラインが届いた。
バカっぽいポエムもどきだった。
ひさしぶりって挨拶スタンプだとか、新生活についてだとか、ロミータについてだとか、青い空と青い海だとか、ブロンド美人がウヨウヨいるとか、ロサンゼルスっぽい話は何一つ書かれていなかった。
『永遠にイきはしない。
ただイきたいだけ、終わったあとじゃなく、イきてるときに。』
ひさしぶりのラインがこれ。
頭沸いてんのかと思った。もしくは日本から離れて、早くも日本語に不自由になったのかと。
スマホをじっと見つめてると、今度はきんに君のラインスタンプ。音声付き。
きんに君のネタ。「ヤー!」ってやつ。つまりイッツ・マイ・ライフ。
ふざけてる。
きんに君だけじゃなく、彼女までボンジョビをパロってきやがった。
いや待てよ。もしかしてこのためだけに、きんに君のラインスタンプを買ったんだろうか。
アホじゃないのか。
アホすぎる。
スマホの画面がパタパタと落ちてくるしずくで濡れる。指で拭って、しずくがのび、そしてまたしずくが垂れてくるから、袖口をひっぱって拭う。すこし濡れているけど、画面は綺麗になった。
『美人にNetflix and chillって言われたらついてってみ。』
そう返信した。
きっと、このラインのやり取りも、一年も経たないうちに途絶え、やり取りがあったことさえ、時々思い出すくらいになるんだろう。彼女の顔も声も、アソコの生臭さやマズさも。他の女のソレと混ざり合って、判別がつかなくなって、すっかり思い出せなくなるんだろう。
おそらくもう二度と会うことはない。いや、いつの日か、ババアになったとき、彼女がもし日本にいたら、同窓会で顔を合わせるのかもしれない。
きっとそのときの彼女は、オーバーリアクションの顔芸人になってるに違いない。
それでいいんだ。
今しかないんだ。
ボンジョヴィの言う通り。彼女の言う通り。
イってるときにイってるって感じていたい。それだけ。
好きだと感じている、ただそのときだけでいい。色褪せることのわかりきってる恋に、しがみつくだけの約束はいらない。
それじゃあ、明日は今よりもっとひどくなるしかない。
私は日本で中学を卒業して、どこかの高校を受験して、その先はまだわからない。
今は『Lの世界』のデイナが死んでしまったことにクヨクヨ泣いて、それからスマホのYou Tubeでボンジョヴィのイッツ・マイ・ライフを流して、わけわかんない主人公の大冒険と、トンネル内でのゲリラライブのMVを見て。一人で歌っている。きんに君ではない。
くじけんなよって、ジョン・ボン・ジョヴィが歌うから、うるせぇなって歌い返す。
了
永遠にイきはしない 空原海 @violletanuage
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