第9話 VSチャンピオン

「さてと、今日は何を作ってやろうかなっと。こないだから肉料理が続いてるし、たまには野菜をメインにするとして……」


 今日は試合が無くオフの日となった未来とテアは、市場へと買い出しに来ていた。


 正式に恋人同士になって以来、こうしてちょっとしたデートがてらに一緒に買い物に来ることが増えたのだが、今は別行動中だ。


 何故なら今日は週に一度の特売の日であり、市場中の店が協力して安売りをしている為、分担作業で買い出しをしなければ人でごった返す中で目当ての物を買うことが出来ないからだ。


 とは言っても、人形の体のおかげで疲れ知らずのうえ、フィジカルで主婦たちに負けることもない未来は効率的に目当ての物を全て購入しており、今はついでに今晩用の食材を追加で買おうとしているところだった。


「しかしテアの奴大丈夫か? トラウマが吹っ切れたおかげで多少人見知りが治ったって言っても限度があるし。やっぱり探して合流した方が良い気がしてきたな」


 人見知りなど関係なくこの人込みで小柄なテアが押しつぶされていないか、もしかしたらあの可愛さに目をつけた不審者に誘拐されるのでは、と段々心配になってきた未来は、テアが今いるであろう青果店が多く並ぶ区画へと向かう。


 ここも当たり前だがかなりの人混みで、キョロキョロと辺りを見回すが手の姿はどこにも無い。


 入れ違いになったのかもしれないと思った未来は元いた場所に戻ろう振り返ると、初老のスーツを着た男性とぶつかってしまう。


「おっと、悪い。大丈夫か?」


「いや構わんさ。私もよそ見していたからな。……君は確かミライ、だったかな」


 なぜ自分の名を知っているのかと驚く未来だったが、よくよく考えれば一応自分は剣闘試合に出ていてそれなりには人気がある、いわば有名人なのだから名前くらい知られていても当然だろうと一人納得する。


「そうだけど何だ? もしかして俺のファンとか? サイン書こうか?」


 自分の名前が売れていると思い勝手に未来が舞い上がっていると、初老の男性はどうしたものかと苦笑いする。


「ミライさーん! ここで何してるんですかー!」


 そこへ人込みの中で溺れそうになりながらも無事に買い物を済ませたテアが、未来の姿を見つけて駆け寄ってくる。


 だがあと少しで未来に合流できるというところで、足をもつれさせてしまい転びそうになる。


 そのせいで抱えていた紙袋からリンゴが飛び出してしまう。


 テアは未来が受け止めることに成功するが、宙を舞ったリンゴはそのまま地面に落ちてしまうかと思われたが、年齢を感じさせない素早い動きでリンゴをキャッチした初老の男が、そのままテアの袋にリンゴを戻した。


「お嬢さん、こんなところで走ってはいけないよ。気を付けなさい」


「あ、ありがとうございます。……もしかしてチャンピオンですか?」


 テアは初老の男の顔に見覚えがあった。


 何故なら彼はコロシアム現チャンピオンであり、テアの父マリオンがチャンピオンの座を返上して以来ずっと彼がその座に座り続けている。


「ええ! マジか! このおっちゃんがチャンピオン!」


 それならば自分を知っていたことに納得がいった未来だったが、何も知らなかったとはいえチャンピオン相手に調子に乗った発言をしていたことが恥ずかしくなる。


 今のこの体に血が通っていれば耳まで赤くなっていただろう。


「ハッハッハ、そうとも。確かに私はコロシアムのチャンピオンだが今はただの嫁にお使いに行かされているただのおっさんさ。いつまでもこんなところで話しては他の人に迷惑になってしまうし私はここで失礼するよ」


 笑いながら去っていくチャンピオンを見送りながら、予想だにしていなかった出会いにテアと未来はポカンとしながら立ち尽くすのだった。


「……チャンピオンも嫁さんには勝てないんだな」


「……うちもパパがママに逆らってるところ見たことないですね。あ、リンゴ安かったんでアップルパイ焼いてださいよ」


「ダメ、最近甘い物食べ過ぎだからだそのリンゴはそのまま剥いてウサギさんにします」


 願いが聞き入れられずにがっくりするをテアと共に未来は市場をもう少し見て回るのだった。



 折角の休み、たまには家でゆっくりしたかったのだが、買い物のリストと共に家を追い出された時は正直不運だとチャンピオン、タクス・ヴァンガは思った。


 チャンピオンというのは試合以外にも案外色々とやることが多いうえに、旧王国時代のコロシアムからずっと剣闘試合に関わり続けている経験を買われて近頃は運営団体の手伝いまでさせれているせいで忙しい身である。



 だから、自分を休みで家にいるからとこき使う嫁に怒りが湧かないではないが、惚れた弱みと諦めるしかなかった。


 だが、そんな憂鬱な気分を吹き飛ばす出会いがあったのは運命のイタズラとしか思えなかった。


 何せ偶然ぶつかったのがあのマリオンが残した遺作だったのだから。


 更に久しぶりに娘のテアにまで会えたのには驚いた。


 マリオンが引退する前に何度かコロシアムに連れてきてたのを見かけてはいたが、久しぶりに近くで見た彼女は自分が思っていたより成長しており、他人の子供は成長が速いというのは本当なんだなとタクスは思う。


「あの剣闘人形、想像以上に出来が良い。……戦える日が来るのが待ち遠しいな」


 風の噂でマリオンが狂ったように一体の剣闘人形の制作に夢中になっていたのは知っていたが、ぶつかったうえに近くで観察したことでその出来の良さが彼女たちのデビュー戦を見た時よりも理解できた。


 恐らく未来の完成度は現在剣闘試合に出場しているどの人形よりも高い、それがタクスの評価だった。


 つまり完成度だけでは自分の相棒たる剣闘人形、カイウスよりも上だと言うことだ。


「近頃は歯ごたえの無い奴らばかりで辟易していたところだったが、久しぶりに血が滾ってくる。……しかしマリオンの奴どんな疑似魂フェイクソウル組み込んだんだ? あんな風に自らの意思で喋っている人形なんぞ見たことが無い」


 今は亡きライバルの残した剣闘人形に対する疑念と血が滾ったことで頭がいっぱいになったタクスは、そのまま家へと帰ってしまい、大量の買い忘れを妻に叱られ家を放り出されてしまい、もう一度市場へと行く羽目になるのだった。

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