第6話 指名-4
未来がマッドネスメイデンの中に閉じ込められていく様を見てテアは凍り付いた。
テアはトラウマからどうしても剣闘試合をまともに見ることが出来ず、いつも顔を隠すのと観客たちからの視線から自分を守る為のフードで目深に被り下を向くことで視界にの端にすら映らないようにしていた。
未来はいつも苦戦することなく短期で決着を付けるので剣闘士とての役割であるマスターリングを通じての剣闘人形の強化や、指示を出すといったことをしなくて済んでいたのでそれでも今までは問題なかった。
でも今回は違った。
フードでは防ぎきれずに耳に嫌でも入ってくる司会の実況やセリーナと未来のやり取りから、未来がかなり苦戦しているのが分かった。
剣闘士ならば普通は自分の剣闘人形が苦戦していたら、未来には指示は必要なくても試合を見ることで試合の流れを変える為に必要な強化を未来に施すべきなのだが、どうしても試合を見ることが出来ないテアはただただ未来の勝利を祈る事しか出来ない。
だが、祈りは通じずに聞こえて来たのは未来の勝利を告げる司会の声ではなく、断末魔のように聞こえる未来の叫ぶ自分の名前だった。
思わず顔を上げて試合を見てしまったテアの目に移ったのは、おぞましい形の剣闘人形の腹の中に未来が閉じ込められていく様だった。
その瞬間、泥の様な悪寒と恐怖がテアに纏わり付いてきた。
剣闘試合と狂気に侵された父が作った母そっくりの剣闘人形へのトラウマ、そして自分の命を救ってくれた恩人が破壊されるかもしれないという恐怖。
それらが入り混じることでテアはまともに立っていることが出来なくなり、シールドサークル内に崩れ落ちてしまう。
そんなテアの剣闘士としては情けない姿を見たセリーナは、テアの心が完全に折れたと思い、自分が一番見たかったものが見ることが出来て上機嫌になった彼女は未だ試合の決着が付いていないにも関わらず勝利を確信して高笑いしだす。
ただでさえ普段の試合の時から観客からの視線による羞恥心だけでも手一杯なテアに、トラウマと恐怖心と、セリーナの甲高い笑い声による嘲笑が合わさったせいでテアの心の中はぐちゃぐちゃになる。
もうどうしていいかも分からなくなり、ぐちゃぐちゃになった心がショート寸前に陥った時、テアの中で何かが弾けた。
フードをむしり取って初めて観客たちに真面に素顔を晒したテアは、マスターリングをセリーナに見せつけるように手を突き出すと赤の宝石に魔力を流す。
「ミライさん! 負けないで!」
テアの中で何かが弾けたことで、トラウマと気弱な性格のせいで心の奥底で眠っていた彼女の中の闘争心と勇気が初めて顔を出したのだ。
全てを諦めかけた未来に届いたテアからの声援と力。
「テアが勇気を出してくれたんだ! これで負けたら女が廃るってもんだぜ!」
自分に気合を入れ直した未来は赤の宝石の攻撃力強化の魔法のおかげで漲る力を使い、自分の手に穴があくこともいとわずに迫りくるマッドネスメイデンの体の扉を張り手で吹き飛ばす。
勝利を確信して高笑いしていたセリーナの顔が、吹き飛んだマッドネスメイデンの腹の扉が大きな音を立てながら地面を転がっていく様子を見て凍り付く。
そんなことはお構いなしに未来はもう片方の扉も吹き飛ばすと、マッドネスメイデンを踏み台にして空中へと飛び上がり、体操選手のように空中で一回転捻りを決め、マッドネスメイデンからの脱出を成功させる。
「噓でしょ! 今まであの状態から逃げ出した剣闘人形はいないのに! そこのお嬢ちゃんだって完全に心が折れたハズなのに!」
驚きのあまり髪をかきむしりながらヒステリックに叫ぶセリーナに答えるようにテアが叫ぶ。
「もう、私は何も失いたくないんです! だから! 私もミライさんと戦う!」
テアの決意に流れることの無い涙が溢れ出しそうになりながら未来はマッドネスメイデンの懐に潜り込むと、穴が開いたせいで繰り出せないパンチの代わりにローキックを繰り出して足を攻撃し、マッドネスメイデンの重心を崩す。
元々特徴的な胴体のせいでお世辞にも体のバランスが良いとは言えないマッドネスメイデンは、そのままあおむけに倒れてしまい、6本の手と2本の足をばたつかせながら懸命に起き上がろうとする。
そんなひっくり返ったカブトムシのようになったマッドネスメイデンの頭の上に未来は立つ。
苦し紛れにマッドネスメイデンは鞭を発射して来るが、不意を突かれた最初とは違い、予測していた未来に避けることは容易かった。
絡みつかれる代わりに鞭を掴んだ未来は、マッドネスメイデンの肩を踏んで押さえつけると鞭を掃除機の電源コードを引き出すのと同じ要量で引っ張り、体内に格納されている部分を全て引き出す。
引き出せなくなっても未来が引っ張ることを止めなかった結果、強靭でちぎれない鞭が災いして鈍い音ともに鞭の最後の部分が射出及び巻き取りのギミックを引き攣れてマッドネスメイデンの腹から釣りあげられる。
「へ、どうせ釣るならマグロが良かったんだが今日はこれで勘弁してやる。止めはテメエのせいでボロボロになったこの服のお礼だ! テア! 俺を固くしてくれ!」
マッドネスメイデンの体内に閉じ込められたせいで未来の体には針による大量の刺し傷が出来ており、当然折角毎晩夜なべして作った女子プロレレスラー風に衣装も穴だらけになっていた。
その復讐と言わんばかりに未来は空中に飛び上がると、数多あるプロレスの技の一つ、ダイビングエルボードロップをマッドネスメイデンの頭部目掛けて繰り出す。
体同様に頭部も鋼鉄で出来ていたのだが、空中に未来が飛び上がったのに合わせてテアが青の宝石に魔力を流すことで未来の体表面が一時的に鉄のように固くなって事で技の威力が上がり、マッドネスメイデンの頭部は粉々に砕け散った。
「嘘、でしょ、私の拷問官が……」
目の前で起こったことが余程ショックだったのか、セリーナは先ほどのテアのように膝から崩れ落ち、立場が逆転してしまった。
人形が破壊され、心までも折れるといういつもと逆の立場になってしまって放心状態のセリーナの耳に、試合終了を告げる太鼓の音が聞こえていたのかは定かではない。
「まさかまさかの逆転劇! 新人剣闘士にトップランカーである拷問妃が破れるという大番狂わせ! これは明日発表のランキングが荒れそうだ!」
司会、観客共にジャイアントキリングが起きたことで興奮状態となり、いつも以上にコロシアム内が騒がしくなる。
だが激しい一戦を終えた未来にはそんなことはどうでもよく、試合中に張り詰めた緊張の糸を解しながら自分の体に空いた穴を確認していく。
幸いにも突っ張りを繰り出したせいで針が貫通した手のひら以外は傷が浅く、ひと先ずは動けなくなるほどのダメージは無さそうだった。
「はあ、流石に今回はヤバかったな。でもテアのおかげで勝てた。ありがとうなって、テアーーーーーーー!」
テアに礼を言いながら未来が振り返ると、テアはシールドサークル内で倒れていた。
慌てて未来が駆け寄って抱きかかえてみると息はしており、ただ意識を失っているだけだった。
その後すぐ駆け付けたスタッフによりテアは担架に乗せられ医務室へと運ばれて行き、ジャイアントキリングを成し遂げた割には締まらない退場となったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます