011. 星に願いを
この国では、八月の八日に、毎年お祭りが催される。その名も流星祭。
一年で最も流れ星が降り注ぐとされるこの日、人々は空を見上げ、星に願い事をする。
一度目の人生のこの日には、義妹を死なせてほしいと願った。その願いは、私が彼女を殺したことで叶えられた。
けれど今度の人生では一度も星に願いをかけたことはないし、今年も何かを願うつもりはない。
私は前の人生と同じように、バルトロメオ殿下から呼び出しを食らっている。
あの時は……待ち合わせ場所に行ったら、義妹と彼がいちゃいちゃしているのを見せつけられた、という展開だったと記憶している。あまりのショックで詳しくは覚えていないのだけれど、とにかくふたりがいちゃいちゃしていた。
年に一度の流星祭。どうせならば楽しもうと、今年は祭りを回ることに決めている。死に戻り現象についての調べ物も、今日はお休みだ。
一度目の人生では祭りの日さえも彼との待ち合わせまでは勉強に励んでいたのだから、今思うと、相当に無理していたのだろう。ストレスを溜め続けたせいで、彼女に酷いことをしてしまった節もあるかもしれない。
極悪令嬢にならないためには、息抜きの時間も必要だ。屋台で苺飴を買い、食べながら歩いていく。
ハイエレクタム家からの侍女や護衛もいなければ友人もいない私は、完全なるぼっちだった。バルトロメオ殿下の婚約者であるために王城からの護衛は近くに隠れている可能性が高いものの、彼らが一緒に回ってくれることはないだろう。
バニラジェラートを食べた後は、屋台のおじさんの熱心な声掛けに負けて短剣投げをしてみた。
特に狙ったわけではないのだが、何の奇跡か的の真ん中に当ててしまい、大きなウサギのぬいぐるみをもらう羽目になった。
巨大ウサギを抱え、バルトロメオ殿下に言われた待ち合わせ場所へ向かう。
行っても良いことはないとわかっていても、彼の命令に逆らって、後から文句をつけられるのは面倒くさい。
待ち合わせ場所に着いた時、彼はそこにいなかった。前の人生ではどうだったかと考えてみると、向こう岸にいたような記憶があった。人々が灯籠を流している川を挟んで、彼はあちら側にいたはずだ。
灯籠の光がゆらゆらと映る水面を越えて、視線は向こうの人影に向かう。人々はわいわいと祭りを楽しんでいるようだった。
今度は彼より先に、まずローズゴールドの髪を見つける。そして金髪の男を見つける。
ふたりは寄り添って、手をとって、笑い合った。いやに鼓動がはやくなる。
見なければいいのかもしれない。けれど目を離せない。あの男の手が彼女の頬に触れる。顔を近づけて、それで。
「――あっ」
小さく、誰にも気づかれないような声を上げた。
過去にも見たことがあるはずの光景に、こんなにも胸を裂かれるような気持ちにさせられるとは、思っていなかった。
イラリアの唇に、あの男がキスをした。
私と何度も重ねてきた彼女の唇が、あの男に奪われた。
……こんな。こんなことは、こんなに痛いのは、おかしい。
視界がぼやけて、雫が落ちた。あの男と目が合う。あいつが笑う。そして、また彼女は奪われた。
なぜ、こんなにも胸が痛いのだろう。なぜ、こんなにも虚しくて悲しいのだろう。
ふたりをこれ以上見ていられなくて、私は駆け出す。
どこに行きたいのかはわからない。どこに行けばいいのかもわからない。
変わってしまったことに傷つけられた私は、いつも通りを求めた。
学院の薬学室に足を運ぼうとするも、校舎には鍵がかかっていて入れない。だから仕方なく外の薬草畑に向かった。
蕾のない薔薇の木の周りには、ペンペン草が生えている。
その花壇に腰掛け、ひとりで泣いた。
自分の泣き声と夏虫の音ばかりが聞こえる夏の夜。空を見上げると、たくさんの流れ星が降っていた。
願うつもりなどなかったはずなのに、私は思わず願いを呟く。
十数年ぶりに、星に願いをかけた。
「イラリアが――……イラリアが、幸せになってくれますように」
これが、私に願える最大限。
これ以上に、これ以外に、願えることなど何もない。
かつては私が彼女の未来を奪ったから、彼女の幸福を壊したから、お願いだから今度こそは幸せになってほしい。ただ、それだけ。
悲しくって冷たい夜。
私以外には誰もいないと思っていたのに、誰かの声が聞こえた気がした。
喋り声というよりは、泣き声、あるいは鳴き声。距離は遠くないと思うが、妙にくぐもっている。
花壇から立ち上がり、その声の主を探す。キョロキョロしていると、声が明瞭になる。
声の方向がなんとなくわかり、そちらに絞って探すことにした。この泣き声は、なんだろう。
「……えっ?」
私はその正体を見るやいなや、慌てて畑から逃げ出した。
流星祭の次の日、私は薬学実験室にジェームズ先生と一緒にいた。
「お前、昨日はどうしたんだよ? いきなり抱きついてきたかと思ったら、でかいウサギ放り投げて去りやがって」
「すみません、先生。でもあれは抱きついたのではなく、ただぶつかってしまっただけです。畑に変なのがいたのが悪いんです」
昨夜は畑から一目散に逃げ出した時、ついうっかり前を見られていなくてジェームズ先生にぶつかり、巨大ウサギのぬいぐるみを落としてきてしまった。
あのウサギは今、先生の部屋もとい薬学準備室のソファに座らせられているらしい。家に持ち帰るにも大きすぎて邪魔だったので、そのままそこに居座らさせてもらおうと思う。
「はあ、変なの? なんだよそれ」
「……泣いている、
私の答えに、先生はため息をついた。全然信じてくれてなさそうだが、私は昨夜たしかに見たのだ。
手足の生えた太い人参が、大口を開けて泣き喚いていた奇妙な姿を。
「人参が泣くわけねぇだろお前――っと言いたいところだったが、そういえば心当たりがあったかもしれん」
「本当ですか?」
「ああ。んなくだらないことで嘘つかねぇよ。畑行くぞ」
「はい、先生」
私は先生について、昨夜おかしな人参を見かけた畑に向かう。
あの時は土の上に座っていたけれど、あの人参は歩けるのかしら。そんなことを考えていると、靴の先にコツンと何かが当たる感覚がした。
「びゃあっ!」
「ぅおい、なんだよ突然大声上げて」
「に、人参です。これです!」
よちよちと歩く人参を潰してしまったらと思うと恐ろしく、急いでそれから離れる。
ジェームズ先生を盾にするように彼の後ろに隠れるも、人参はなぜか私の方へと歩いてきた。
「ひっ。やめて、来ないで」
『まぁーまぁー』
「おい、お前『ママ』って呼ばれてんぞ」
「ま、ママ……?」
断じて私はこんなのを生んだつもりはないし、養子にした覚えもない。
土まみれの汚い人参は、私の足首に抱きついてきた。生々しい感触に、ぞわっと鳥肌が立つ。
『まぁーまぁー』
「私は貴方のママじゃないわ」
「ああ、そいつぁ初めて見たやつを親だと思い込む……かも、しれない」
「かもしれない?」
「実験から生まれたやつだから、詳しい生態がわからねぇんだよ。……一応、マンドラゴラのつもりで作ったやつだが。まさか成功するとは思わなんだ」
「マンドラゴラ、ですか」
マンドラゴラは、大昔に絶滅した生物の一種だ。
土の中で育つ、手足の生えた人参のような生き物で、その泣き声を直接聞いたものは死ぬと言われている。
魔法薬や料理の材料として使われることが多く、一部の好事家にはペットとして飼われていたらしい。
「まあ、お前が死ななくて良かったわな。このマンドラゴラは、おとなしいお利口さんみてぇだ」
「学院内でこんな生き物を作ろうとするなんて……」
「そりゃ、お前の妹に言ってやれ。あいつ、いつになってもホムンクルス研究やめねぇんだよ。これはその一環だ」
「ホムンクルス、まだ研究してたんですか」
ホムンクルスというのは、人造人間のこと。
生殖行為を経ずに、材料をビーカーの中で混ぜたり熱したりして作られるとされる人間のことだ。
昔とある錬金術師が創造に成功したらしいが、彼のレシピは再現性がなかったので、実在するかわからない幻のものとされてきた。人を造り出すことも、時間移動と同じく〝真の不可能〟のひとつに数えられる。
「ああ。お前も優秀だが、あの子もすげぇよな。まだホムンクルスは成功してねえが、植物に自我を与えることはできたんだから」
「義妹と比べたら、私なんて大したことないですよ」
「……お前だって頑張ってんだから、自信持てよ。オフィーリア」
「えっ、と。ありがとうございます?」
『まぁーまぁー』とうるさいマンドラゴラの声を背景に、私たちはそれをどうするかを話した。
とりあえずはジェームズ先生に薬学室で面倒を見てもらうことになったが、それが私のことを母親だと思い込んでいるので、私もたまに世話をしに来てほしいと言われた。
「名前つけてやれよ」
「じゃあ、マンドラゴラなのでドラコでいいです」
「テキトーだな」
ということで、マンドラゴラの名前はドラコになった。
季節はめぐって秋になり、学院生活がまた始まった。あの薔薇の木は美しく立派な花を咲かせた。
ペンペン草は控えめに、見守るようにその周りに生えている。
休み時間や放課後、私は部活動と調べ物に励んだ。義妹はバルトロメオ殿下との親交を深めた。今日も私は、薬学室に入り浸っている。
『まぁまぁ、みーみー』
ドラコは前よりも喋る言葉が増えた。と言っても、喃語のようなものをずっと喋っているだけなのだけれど。
彼の食事は水と植物用の肥料で、それを匙ですくって食べさせてあげている。
私が世話できるときは固形のものを、そうでないときは液体肥料を自分で飲んでもらっている。
光合成ができるので肥料なしでも生きられるのだが、食べさせた方が活き活きしているのだ。
ドラコの体は私の髪色とよく似た朽葉色をしているので、なんとなく親近感をおぼえる。感情移入させられる。
瞳の色はドラコの方が、きらきらの金色をしていて綺麗だ。
出会ったばかりの頃は気持ち悪いとさえ思っていたが、最近はかなり可愛いと思っている。
ちなみに、べつにイラリアが構ってくれないからドラコに逃げているわけではない。
「先生、ドラコに歯が生えてきました」
「ああ、そうだな」
「私、今日ここに泊まっていきますね」
「ああ。…………はっ?」
私はドラコを膝の上に乗せて、頭から生えた葉っぱをなでなでした。ジェームズ先生は、紺色の瞳を丸くしてこちらを見ている。
「お前、正気か? ここって、どこに泊まるってんだよ」
「畑で寝ようかと」
「んなことしたら、また調子崩すだろ。ちゃんと家に帰れ」
「私、今日誕生日なんです」
「そりゃ、おめでとさん」
「……誕生日に、婚約者と義妹が仲睦まじくしている姿なんて、見たくありませんわ」
前の人生、私の誕生日を祝うという口実で我が家にやってきたバルトロメオ殿下は、義妹といちゃいちゃするばかりで、私にはほとんど構ってくれなかった。
今はこれっぽっちも彼に構ってほしいなどとは思っていないが、彼と義妹が仲良くしているのを見ると、私の胸はなぜか痛くなってしまう。
チクチクと痛い思いをするのは嫌だから、今日は家に帰りたくないのだ。
「お前、友だちの家に泊まるとかいう選択肢はないのか?」
「私に友だちがいるとでも?」
「すまん。だが、さすがにここに泊まって帰らねぇっていうのは問題ありだろ? べつに俺は何もするつもりねぇけどよ、下手なスキャンダルになったらお前はまずいんじゃねぇか」
「どうせ婚約破棄秒読みなので、私は怖いことなど何もありません。そういえば、先生はお帰りにならないのですか」
「お前が残るって言うなら、俺は部活の顧問としちゃ帰るわけにはいかねぇだろう」
「先生に迷惑がかかってしまうのなら、別の策を考えます」
「べつに迷惑じゃねぇ。……ったく、しゃあねえな。なんか実験でもすっか。泊まり込みで実験するってことにすれば、申請すれば通るだろ。俺ら薬学研究部だし、お前、
「いいのですか?」
「ああ。ちょうど週末で都合が良かったな。申請書類、書けたら提出してこいよ。家に連絡はいくが、まあ……特に問題はないだろう」
「……ありがとうございます、先生」
私が誕生日に家に帰らないという連絡をしても、父も継母も悲しんだりはしない。
後で怒る口実に使われる可能性はあるが、私が家にいなくても何も困りはしない。
そういう意味で、特に問題はない。
私が部活動の時間延長の申請書類を出してきた後、ジェームズ先生は「大したものはやれないが」と言って、学食で売っていたという苺タルトをくれた。
私はそれをありがたくいただき、舌鼓を打ってたいらげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます