三・めぐる季節と散る花々

010. 薔薇に寄り添うペンペン草

 十二の月の中で、最も暑い――八月。

 爽やかに晴れ渡る日も多く、そんなときの空は青が鮮やか。あたりには緑が生い茂り、生き物は活発に動く。そういう夏が来た。


 今日のように暑い日は、大昔の魔法つかいたちのありがたみが身にしみる。彼らが水道の整備や空調機器の開発をしてくれていなければ、夏も冬も、今より厳しい季節だっただろう。


 ――涼しい。

 空気のひんやりした学院の図書室。一度目の人生でも、この空間には癒やされた。勉強するときによく訪れた。ふと窓の外に目を向けたら、殿下と義妹が仲よさげにしている姿を見つけてしまった、なんてこともあったっけ……。


 例年どおり、学院は七月の後半から夏季休暇に入った。おかげさまで私は厄介な学生たちの対処に明け暮れる必要がなくなった。

 義妹は屋敷を空けることが多く、最近はしょっちゅう登城している。城に泊まっている日だってある。おおかたバルトロメオ殿下と仲良くやっているのだろう。


 私がときどき彼に会うときは、義妹との惚気のろけ話を散々聞かされた挙げ句、何かしらを馬鹿にされる。貧相な体つきのことを主に蔑まれる。慣れたつもりでいても、何も言われないときと比べると気分が沈むものだ。


 成長の兆しが見られない胸、ほっそりした腰や太腿、わりと高めな身長と、自分の体の特徴に良いところなど何もないように思えてしまう。


 夏季休暇中、義妹は城でバルトロメオ殿下と仲睦まじくしている。私はひとりで屋敷に閉じこもる――なんてことは嫌だったので、積極的に外へ出かけていた。

 行き先は、主に学院。部活動ということにして、薬に関わる勉強や作業をしている。また、今のように、自主学習ということにして図書室にも行っている。


 ――昨日は、この棚の……ここまで試し読みしたから。今日はここからね。


 三年生から立ち入りを許される、持出禁止の書庫で。一度目の人生では縁のなかった本に触れ、二度目の私は調べ物をしていた。


 あの日、あの時、何が起きたのか。この世界は何なのか。それについて知るために。


 常にこの問題を考えていたとまでは言えないが、時間のあるときに調べ続けている。神話の学び直しから始まり、最近では「魔法つかいの研究」に焦点を合わせて。


 時間移動に憧れる者は多かったのだろう、これを題目とした本は何冊も著されている。時を操ることは、魔法つかいにもできなかった〝真の不可能〟の代表だ。時間移動を叶えるための研究に生涯を捧げる者は、今の世においても存在する。


 時間関係の本を読み進める過程で〝時空の逆説タイムパラドックス〟のことも学んだ。「時を遡った人間が過去の出来事を改変した結果、矛盾が生じることがある」ということらしい。

 例えば「自分が生まれる前にまで戻って、親を殺してしまう」とか。親がいなければ自分は生まれないけれど、自分が生まれなければ親を殺す人間もいない、そうなると矛盾して……と。ぐるぐるする。

 そんな矛盾が生じたときに、世界はどうなるのか。世界そのものが終わると考える人もいる。何かしらの力がはたらいて、どこかで辻褄合わせが起きると考える人もいる。そもそも矛盾が生じる歴史改変はできないよう、そこに力がはたらくと考える人もいる。


 ――まあ、結局のところ。こうして新しい知識を得て、予想の幅は広げられても、未だに決定打には出会えていなくて。真相は掴めていないのよね。


 死にまつわる研究書物の棚から「死者の復活」について書かれた一冊を手に取り、ぱらぱらとめくってみる。私も彼女も一度は死んだはずの人間だから、何か参考になるかもしれない。……なるほどね。これなら読む価値がありそう。


 ここに集められた本は、危うい思想や研究、不都合な歴史のことも書かれたものだ。健全な学生を育成するためという名目で、学院は、学生の読書情報を管理していた。持出禁止の本を読んだ学生は、どの本のどんな章をどんな目的で読んだのかをレポートに書き、学院に提出する義務がある。

 報告しなくてもいい試し読みは、一冊一分以内の決まり。それ以上読むなら報告義務あり。入退室時にも煩雑な手続きが必要。と、これらの本は乱読できる環境ではなかった。それゆえに読む本は真剣に選び、読むと決めた本は隅から隅まで読み込むことにしている。


 選んだ本を胸に抱えて、閲覧席につく。筆記用具の準備をしてから表紙をめくる。

 氏名と閲覧時期を記入する必要のある、利用者リスト。本の表紙の裏に貼り付けられているそれに記名しようとしたところ、見知った名前が目に入り、手が止まった。

 持出禁止本の利用者リストからその名前を見つけたのは、これが初めてではない。時間移動の本の中にも彼の名前があった。見慣れた筆跡を指先でなぞり、先生はどうして、と心の中で呟く。


 私の選んだ本と同じ本を、もっと昔に読んでいた、彼の名前は――ジェームズ・スターチス。





 明くる日。私はジェームズ先生のもとを訪れた。夏季休暇前に彼と話し合って決めたスケジュール通りの、れっきとした部活動だ。

 義妹はもうほとんど来ないから、最近は彼とふたりきり。今日は薬草畑の雑草をむしることにしている。


 畑の世話も、薬学研究部の活動の一環。余計なものが生えていると、育てたい薬草たちに栄養が行き届かなくなってしまう。ぷちぷちと小さな雑草まで丁寧に取って、ごみ袋に捨てていく。


「暑くねえか?」

「暑いですね」

「お前、体弱えんだから無理すんなよ」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 お喋りな義妹がいないと、ジェームズ先生との会話も弾まない。ふたりとも、せっせと草をむしり続ける。流れる時間は穏やかだった。


 このあたりの草は取れたから、と。ごみ袋を持って向こうの花壇に移動する。多種多様な花の隙間から、ぴょこぴょこと雑草が顔を出していた。

 気合を入れ直し、花壇の雑草も抜きはじめる。作業は概ね順調に進んだ。しかし、ある花のもとに来た時、雑草へと伸ばした手が途中で止まる。私はその草を凝視した。


「あら、ペンペン草だわ」

「ん? ああ。そりゃあ、ペンペン草も生えてるだろうな」

「薔薇の近くに多いのはなぜですか」

「べつに薔薇の近くに多いなんてこたぁねえだろう」

「でも、薔薇の周りに生えてるの、ペンペン草だけなんです……」


 いくつかのつぼみがついた薔薇の木の根本には、何本ものペンペン草が生えていた。他の場所には様々な雑草が生えているのに、そこにはペンペン草以外のものが見当たらなかった。


 先生は「どれどれ」と、私のいる花壇にやってきて、隣で姿勢を低くして草花たちを見た。そして訳知り顔で言う。


「あぁー、なるほどね。これはな、お前が可愛いペンペン草姫だからだろう」

「はぁ……?」


 私が首を傾げると、ジェームズ先生は「あいつも面白いことするな」と笑った。意味がわからない。しばらく薔薇とペンペン草を眺め、先生の言葉の意味を考える。


 私がペンペン草姫。ならば薔薇は――と考えたところで、ようやく思い出した。義妹は〝大輪の薔薇姫〟と呼ばれ、私は〝道端のペンペン草姫〟と呼ばれていたことを。

 最近は義妹と一緒にいることが少ないせいか、めっきり聞いていなかった。


「なら、これはイラリアが?」


 私の呟きに、先生は「そうだろうなぁ」とのんびり返す。

 薔薇に寄り添うように生えるペンペン草を見ていると……なんだか感傷的になってしまった。


「ねえ、先生」

「なんだぁ?」

「ペンペン草、このままでも良いですか」


 なんとなく、ペンペン草を抜くのが嫌だっただけ。小さな白い花をつけたペンペン草だから、ただの雑草だと思えなかっただけ。

 あの日、小さなイラリアがお見舞いに持ってきてくれた花の中にペンペン草もいたから、これは雑草ではなく野の花なのだ。

 だから、むしるものではない。それだけ。


「ああ、べつに構わねえ。そういや忘れてたが、夏の蕾は摘んでおいた方が良かったな。代わりに摘んでおいてくれ」

「蕾、取っちゃうんですか」

「夏には花を咲かせない方が、秋に綺麗な花が咲く。暑さのせいで、薔薇も元気がないだろう? そこで花まで咲かせたら、もっと疲れちまうからな」

「……たしかに、そうですね」


 言われてみると葉っぱに色艶がなく、薔薇の木は元気そうではなかった。「とげには気をつけな」と言う先生に頷いて、私は薔薇の蕾を摘み取っていく。


 美しい薔薇姫のことを、ひそかに想いながら。




 摘み取った薔薇の蕾を綺麗な水で煮て、分離や濾過ろかの工程を経て、化粧水を作った。なかなかうまくできたと思う。実験室にあったシンプルな瓶にそれを詰めて、私は学院を後にした。帰り道、町で輸入物の硝子瓶を買っていく。


 町で自ら買い物をするというのは、上級貴族にとっては、自由度が高い学生時代特有の楽しみのひとつ。大人になってもお忍びで買い物に行く人はいるものの、祭りなどの特別な日でない限り、それは少数派だ。

 貴族の令息や令嬢が通う学院の近くにある町では、彼らの趣向に合わせた店と商品が展開されていた。

 買い物に慣れない彼らにもとっつきやすいようにか、その時々の貴族の流行にちょっと乗ったもの。見た目の洒落しゃれた華やかなもの。あるいは逆に、彼らが普段の生活では目にしないような庶民的なもの。異国の珍しいものなどなど。


 私が立ち寄ったのは、天然石をあしらった工芸品が並ぶお店だった。隣の隣の国から来た商品らしい。色とりどりの瓶に、ひとつひとつ異なる細工、美しい天然石――数々の硝子瓶の中から、私は浅紅色のものを選んだ。つたを模した金製の細工がくるりと施され、小さなひとつの赤い柘榴石ガーネットが飾りとして嵌められている。そんな、なんとなく彼女に似合いそうなものを。


 薔薇の化粧水を硝子瓶に移して包装してもらい、私はそれと一緒に帰宅する。なぜか、いけないことをしているような、変にそわそわした感じがあった。


 義妹は、今日も家には帰ってこない――。

 私は彼女の部屋にこっそり入って、日の当たらないところに、そーっと箱を置いた。


 メッセージカードはつけたりしない。差出人の名前も書かない。気づくだろうか。気づかないだろうか。喜んでくれるだろうか。使ってくれるだろうか。

 もしかしたら、メイドにバレたら、彼女が帰ってくる前に捨てられてしまうかもしれない。でも、それでもべつに良い。彼女へ贈り物をするなんて恥ずかしすぎるから、届くか届かないか、わからないくらいの方が良い。


 そんなことを考えて、私は静かに部屋を出る。


 彼女は今、何をしているのだろう。どのくらい、あの男と触れ合っているのだろう。


 そういうことも、考えた。



 次の日の夜。


 お風呂上がりの義妹から、昨日の薬学実験室で嗅いだのと同じ薔薇の匂いがするのを感じた。


 彼女は廊下で私に抱きついてきて、「ありがとうございます、フィフィ姉さま」と言った。

 肯定の答えを口にするのは照れくさくて、私は返事をする代わりに、彼女のことをちょっとだけ抱きしめ返した。


 久しぶりに、彼女と触れた夜だった。

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