006. 貴女の名前
「……どうして」
前の人生と違うクラスになっていたのは、私だけではなかった。名列に書かれた私の名の隣には、婚約者であるバルトロメオ王太子殿下の名が並んでいたのだ。
「おはよう、オフィーリア。久しぶりだな」
「……バルトロメオ、殿下」
気づくと、私と義妹のすぐそばに殿下が立っていた。
ふたりきりのときとは違う取り繕った声で、彼は優しげに話しかけてくる。
「そなたが同じクラスだとは、思っていなかったな」
「私もでございます。殿下」
三、四年生のクラスは、進路希望によって、
武の道に進む者のためのクラスで、男子の割合が最も高い。
こちらは
今度の私と殿下が所属することになるクラスで、四クラスの中で最も人数が少ない。
学院卒業後には家庭に入ることを望んでいたり、ベガリュタル国や近隣諸国の後宮に入るつもりだったりする女たちのための、花嫁修業や淑女教育を行うクラスである。
私は今の人生でも、二年生までは彼と同じ
三年生になれば、違うクラスになれると思っていた。彼と離れたいことを理由に一度目と違う選択をしたわけではないけれど、離れられると思い込んで
余計なことは互いに伝えてこなかったから、私も彼も、相手がどんな進路希望で提出したのか知らなかったのだ。こんな事故が起きるとは盲点だった。
「
「一、二年生の時の薬草学の授業が好きだったので。さらに薬学を深く学びたいな、と思いまして」
「好きなもので選んだのか。そなたは気楽で良いな」
やや蔑むような調子で彼が言うと。
私と繋いでいた義妹の手が、ぎゅっと力を込めてきた。
彼女の表情をちらりと窺えば、なぜか不快そうな顔をしている。にこにこしていることの多い彼女が、こんな表情をするのは珍しい。
「どうしたの? 調子でも悪い?」
私は小声で問いかけるも、義妹は首を横に振った。
「いいえ、フィフィ姉さま。大丈夫です」
「……そう」
大丈夫そうには見えないが……彼女がそう言うなら、これ以上構うのもおかしいだろう。義妹を気にかけるなんて私らしくもない。
バルトロメオ殿下は今さら義妹の存在に気がついたようで、はっと目を見開いた後、朗らかに笑った。
「おや、そちらは――そなたの妹か?」
「はい、殿下」
「ハイエレクタム公爵家が次女、イラリアと申します。王太子殿下」
義妹はやや引きつった笑みを浮かべ、彼に挨拶した。やはり調子が良くないらしい。入学式で代表の挨拶をする予定があるから、緊張しているのだろうか。
「私は、バルトロメオ。これからよろしく。そういえば、そなたは首席入学らしいな」
「はい。殿下」
「学院でのさらなる活躍を期待している。――オフィーリア、そなたに用がある。しばし時間をもらえるか?」
「えっ、ええ。はい。もちろんですわ」
前の人生での〝今日〟は、特に彼と話す用事はなかったはずだ。あの日の彼は、私が挨拶しただけで嫌そうな顔を見せたくらいで。
今度はどうしたのだろう。私は疑問に思いながら義妹と別れ、彼と一緒に校舎内へと入った。
バルトロメオ殿下は、脈絡なく言う。
「お前の妹、可愛いな」
「……はあ?」
「お前と違って体つきも女らしいし、何より髪と瞳の色が美しい。お前と違ってな」
なぜ二度も「お前と違って」と言われなければならないの?? と思いつつ「そうですね」と頷いた。いらぬ反抗で関係を悪化させたくはない。
そういえば……私と義妹が一緒に登校したせいで、彼と彼女の出会う時期が、一度目の世界の時からずれている。ああ、わざわざ話す時間が設けられたのはそのせいね、とひとり納得した。
「彼女には、婚約している男はいるのか?」
「いいえ。おりません」
「聖女の素質がある娘だったな。彼女が力を発現させたことはあるか?」
「……いえ、ありません」
幼い頃、彼女が私の傷を魔法で治したことは、あったにはあった。……けれども、私と彼女以外は誰も見ていなかったうえ、彼女からは「ないしょだよ」と言われている。公式記録にも残っていないから、無かったことにして良いだろう。
彼女は、まだ真の聖女にはなっていないはずだ。――と、私は心の中で苦し紛れの言い訳をする。
認めたくはないけれど、彼女に愛されている自覚がある現在。彼女が私のせいで〝愛〟を知って覚醒したのではないかと思うことは、なきにしもあらずだった。
しかし、彼女が私を愛して覚醒したと言っても、誰も受け入れはしないだろう。
お優しい大輪の薔薇姫は、姉であるペンペン草に慈悲をかけることはあっても、彼女をパートナーとして愛することはあり得ない。
この世のみんながそう思っている。というか、義妹が私を愛する可能性など考えもしない。
「婚約者もいない、想い人もいない――か。良いな」
「どういう意味ですか」
「お前に命じよう。彼女を他の男から守れ」
……どういうことか、さっぱりわからなかった。
「私は騎士ではありませんし、
「そういうことではない。彼女が他の男に手を出されないよう注意しろ。可愛い妹のためならできるだろう」
「私は彼女のことを可愛いと思っておりません」
「なんだ、嫉妬か。醜いぞ」
「私は、彼女の邪魔をしたくないのです。彼女に愛する人ができたなら、その方と添い遂げてほしいと思っております。もちろん家のために婚約をする運びになれば、そうさせるつもりでもありますが」
「ならば俺が愛される予定だから、それまで彼女を他の男のものにさせないでくれ。縁談が来てもできるだけ止めておけ」
「……もしや」
私は口元に薄い笑みを浮かべ、彼を見上げた。
しつこくて面倒くさいな、と先ほどまで思っていたが……。この様子は明らかにおかしい。ようやっと気づいた。
「……なんだ」
彼の表情に、普段は見られない焦りの感情を読み取る。私は笑みを深め、囁くような声で問うた。
「彼女に――私の義妹に、恋をなさったのですか?」
「なっ!」
彼は頬を赤らめ、自分の口元を腕で覆った。なんてわかりやすいひとなんだろう。
どうせ私は捨てられるのだから、自分から言った方が心に傷を負わなくて済む。
思っていたより早かったが、彼が義妹に一目惚れしたと知った以上、できるだけ早く身を引くべきだろう。
私は自ら、あの言葉を口にした。
「婚約破棄、なさいますか?」
「……はっ?」
バルトロメオ殿下は、私の言葉に目を丸くした。
そんなに驚くほどのことかしら? と思っていると、彼の口からまた「は?」という声が出る。
「どうなさったのです? 殿下。義妹と結婚したいなら、私との婚約は解消しておいた方が良いのではありませんか?」
「いや、無理だろう。馬鹿なのか?」
「……は?」
なぜ、ここで私が馬鹿と言われるのだろう。首を傾げると、彼は私を見下すように笑った。
「はははっ。お前、やはり馬鹿だろう」
「……」
「だんまりか。まあ良い。はっきり言っておくが、俺は、お前との婚約を破棄するつもりはない」
「……正気でございますか」
「ああ、正気だ」
この世界に、この男のこの言葉以上に信じられない言葉は存在するだろうか。
彼に婚約破棄を宣言された日の記憶を未だ鮮明に持つ私にとっては、この言葉は何をどうしたって信ずるに値しない。
「頭の悪いお前を思って、丁寧に説明してやろう。俺は王太子で、ゆくゆくは王となる身。つまりお前以外の女をそばに置いても咎められやしない。お前との婚約を破棄して父上に失望される可能性を考えれば、妹君のことは側女として迎える方が賢いだろう」
あんまりにもな発言に、何を返せば良いか、わからなかった。たしかに話の筋は通っていたけれども。
一度目のふたりの姿を覚えている私には、彼の言葉はひどく不誠実であるように聞こえた。
一度目の人生、ふたりは想い合っていた。私との婚約を破棄してまで、殿下は彼女とだけ添い遂げようとした。
そんな彼を知っていたから、私は今の彼の言葉を聞いて、まるで自分が裏切られたかのようなショックを受けたのだ。
「お前なぞに拒否権はない。黙って俺の命令に従うんだ」
「……はい、殿下」
「いい子だな、オフィーリア」
彼はそう言って、にっこり笑った。義妹の笑顔とは似ても似つかない、悪魔のような邪悪な笑みだ。
彼が去っていくと、私は廊下の壁に寄りかかった。彼との会話を復習し、過去の出来事と比較していく。義妹と仲睦まじくしていた過去の彼の姿を、様々な背景とともに思い返す。
彼の心が、途中で変わるかもしれない。彼は結局、私との婚約を破棄するかもしれない。
彼に婚約を破棄された日、ものすごく悲しかったのに。ものすごく悔しくて、義妹を殺すほどに嫉妬したのに。
私は、現在と過去の自分の明瞭な違いに気づいた。今の私は昔と違って、バルトロメオ殿下のことを、まったく惜しいと思っていないのだ。
彼に婚約を破棄されることを嫌がるのではなく、むしろ、心から望むようになっている。
「……イラリア」
彼女の名前をぽつりと呟く。
彼女が彼に愛され、私は妻として彼のそばにいる羽目になる未来なんて最悪だ。現実になったら気が狂ってしまう。それだけは回避しなくては。
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