007. 薔薇姫の愛のお相手は

 

「フィーフィーねえーさーまっ!」 

「ひゃっ! もう、なによ?!」


 いきなり耳元で彼女の声が聞こえ、私は肩を大きく跳ねさせた。義妹が満面のにこにこ笑顔で私を見ている。


「貴女、盗み聞きでもしていたの?」

「姉さまあるところに私あり、もちろん影から見守っておりました!」

「はしたないわ。それに……あまり、いい話は聞けなかったのではなくって?」


 バルトロメオ殿下は、義妹を側女として迎えたいと言っていた。彼はこの国の未来の王。その意向を悪いとは言えないが、望まれた義妹本人はどう思うだろう。

 彼のそばにいられるなら、どんな形でも喜ぶのか。それとも、なぜ自分を正妻にしてくれないのかと憤るのか。


「うーん……王太子殿下のお話はあまり興味ないんで聞いてなかったですけど、姉さまから、とってもいい言葉が聞けました」

「私、何かいいことなんて言ったかしら」

「私の名前、初めて呼んでくれました」

「……あっ」


 しまった、と私は口元を手のひらで覆う。小さな声だったはずなのに、聞こえていたのか。彼女は嬉しそうに笑った。


「また、呼んでくださいね」

「嫌よ。そんなふうに言われて呼ぶものでもないわ」

「じゃあ、姉さまが名を呼ばずにはいられない女になれるように頑張ります!」

「なによ、それ」


 義妹は私と手を繋いで、隣の壁に寄りかかる。

 前の人生では惹かれ合っていた彼と彼女が今日出会ったわけだが、義妹の私への執着がすぐに消えてなくなるわけではないらしい。

 彼女は、いつになったら彼を愛するようになるのだろう……。



「……そういえば、あの花」


 彼女の隣でぼんやりとしていると、ふと昔のことを思い出した。私の呟きに、義妹は瞳を輝かせてこちらを見る。


「あの花?」

「貴女が花びらを取っていた、薄紅色の花。あれの逸話を思い出したわ」

「へえ、どんなお話ですか?」

「あの花って、正式な名前がつけられていないでしょう? 〝ばな〟……と呼ばれることもあって。他にもいろいろな呼び名がある。私の母が教えてくれたのは、〝死雪花しにゆきはな〟だったわ」

「しにゆきはな?」

「ええ」


 母から聞いた話は、そう多くは覚えていない。私が二歳の頃に死んだ彼女だから、そもそも交わした会話の数も少なかった。

 覚えているのは聞いた時に衝撃を受けた話と、何度も繰り返し聞かされた話だけ。死雪花の話は、衝撃を受けた話の方に入る。


「昔々のこと、ある国のある町に、貧しい花売りの娘がおりました。心優しい花売りの娘は、しかし、ある冬の日、彼女に懸想する男に殺されてしまいます。白い雪の上に、真っ赤な血の痕を残して――。

 と、悲劇から始まる話でね。私の母の母、祖母の生まれた町に伝わる話。少女が最期を迎えたその場所に、あの花を咲かせる木が初めて生えたんですって。花びらが淡く赤みを帯びているのは、彼女の血の色かもしれない、なんてね」

「そんな話があるんですね。初耳です」

「その話をしたすぐ後に、母は血を流して倒れたわ。だからこれは、母さまと私が顔を合わせて会話できた、最後の時の話」

「そう、なんですか……」


 しょぼん……と義妹はどこか落ち込んだ様子になる。どうしたのかしらと私は彼女の顔を覗き込み、そしてドキリとした。失敗したかもと。

 死雪花の話だけすれば良かったのに、彼女にとっては気まずいであろう私の母のことまで、うっかり喋ってしまった。これは良くない。

 話の方向性を変えようと、私は慌てて口を開く。


「あっ、そうそう。それであの花の木、ごく稀に実をつけるらしいの。小さな林檎みたいな実なんですって」

「食べたら楽園から追放されたりする感じです?」

「いいえ。雪が降る頃に花が咲いたときにだけ実って、それを食べたら死ぬらしいわ」

「あら。なんか怖い感じですねー」


 雪の日に少女が殺された場所に生えたという、死雪花の木……。なんとなく好きにはなれないな、と思う。


 私が義妹を殺した夜も、外には雪が降っていた。

 私が処刑された時は前日まで雪が降っていたから、バラバラになった私の血が雪の上に散ったことだろう。

 そのうえ私は〝名無し花の贄〟だ。あの花に重なる死に様をした悪女だ。


 雪も、薄紅色の花も、――晴れ空も。好きになれない。


「でも、やっぱり私は、幸せを願える花っていうのを推しますね。素敵じゃないですか。〝ゆめはな〟って言ったりもしませんでしたっけ?」  

「そうだったかもね。それなら、あの花びら、やっぱり貴女が持っていたほうがいいと思うわ」


 その呟きに、彼女は「どうしてですか?」と問うてきた。私はただ「空気の読めない子ね」と返す。


 罪深い聖女殺しの私ではなく、今度は彼女に幸せになってほしい。なんて、口が裂けても言えない。


 母が教えてくれた死雪花の花言葉を考えると、幸せだけを願う花ではないようだけれど。

 曰く、その花言葉は「あなたと一緒になれないなら死んでやる」らしい。物騒なこと。


「ふっへへへっ」

「いきなり笑いださないでよ。びっくりするじゃない」

「へへっ、すみません。姉さま、帰りも一緒に帰りましょうね」

「貴女、友人を作る予定はないわけ?」

「それで、姉さまが私のぶんの花びら捕まえてください」

「……わかったわ」


 相変わらず、ときどき会話が噛み合わない彼女。きっと私と気が合わないのだ。


 予鈴が鳴るまで私たちは、何をするでもなく、ただ互いのそばにいた。


 前の人生では考えられないような、彼女と過ごす穏やかな時間だった。







 ――この日が来るのは、わかっていたことだった。


 昼休みの中庭に、今日は大きな人だかりができた。

 バルトロメオ殿下が他の男子学生と模擬剣で遊んでいたところ、その学生の手が滑って、彼の肩に傷をつけてしまったのだ。


 致命傷にはならないとは言え、この国の次期国王である彼の体を傷つけてしまった罪は軽くない。

 一度目の私は鬼の形相で男子学生を咎め、彼の身を拘束しろと叫んで――そこに、義妹がやってきたのだった。


 学院に入学した日から、人々を魅了してやまなかった義妹。今日もローズゴールドの髪を靡かせて歩き、それだけで何人もの学生が彼女に見惚れる。彼女の姿は美しい。私だって、そう思う。


「大丈夫ですか? 王太子殿下」


 前の人生と同じように、義妹は彼に近づいた。

 私は今度は何もせず、怪我をした婚約者と、そのそばにひざまずき彼に触れる義妹の姿を、ただ眺めるだけだった。


「ああ、このくらいの傷……なんてことはないさ」


 いかにも苦痛に耐えて平静を装ってます感のあふれる表情と声色で、彼は言う。

 なんてことはないなら放っておけよ義妹よ。と私はひそかに思ったが、お優しい彼女は彼の傷口に丁重に触れた。


 いつか私の脚の傷を治してくれた時と同じように、義妹のしなやかな手は、彼にも触れる。なぜかチクリと胸が痛くなった。

 最近はわりと調子が良かったはずだが、また寝込むことになるという前兆だろうか。それは嫌だな、と。


「……神に愛されし聖女の力よ、かの者に癒しを与えよ」


 義妹の声は、どこか冷たい色を帯びているように感じられた。彼女の手のひらから白い光が放たれて、学生たちはざわざわとうるさくなる。それは、一度目の人生とまるきり同じ光景だった。


「イラリア嬢。君は――」

「傷は治りましたから、彼のことは咎めないであげてください。では、失礼いたします」


 聖女に相応しい、美しく包容力を感じさせる笑みを浮かべ、義妹は優雅に一礼してその場から去った。ざわめきがさらに大きくなる。


 私の婚約者殿はと言えば、頬をほんのりと染めて呆けていた。

 かつての私は、こんな……あほっぽい王子を大切に思っていただなんて。見る目がないようで嫌になる。


 いつまでも地面に座り込んだままの彼に、私は仕方なく手を差し伸べた。

 あくまでも今は彼の婚約者である私は、王太子ともあろう彼が間抜けな姿を皆の前に晒しているのを放っておけない。


「バルトロメオ殿下。お怪我は、もう大丈夫ですか」

「ああ、平気だ。――皆にも、心配をかけて悪かったな」


 彼は私に差し出された手を見たことでようやく我に返ったのか、その手はとらずに自力でスッと立ち上がった。

 今更かっこつけたところで遅い気もするが、まあ好きにさせておこう。


「ご無事ならば良かったです。念のため、医務室にも行かれますか」

「そうだな」

「では、私がお供いたします」

「ああ、頼んだ」


 必要最低限の関わりしか持たないことにしていても、婚約者が怪我をしたとなれば、世話を焼かないわけにもいかないだろう。私は彼と一緒に医務室へ向かった。

 しばらく無言で歩いていると、彼から声を掛けてくる。


「……なあ」

「はい、殿下」

「あれは……そなたの妹が使ったのは、魔法、だよな?」

「おそらくは、そうだと思います」

「ならば、彼女は……私のことを好いてくれているのだろうか」


 そこそこの距離に他の人もいるからか、今の彼の言葉遣いは乱雑ではなかった。

 私は彼の表情を見て、これが恋をした人の顔なのか、と妙に理解できた気になってしまう。


 この二度目の人生では、彼もまだまだ子どもだな、と思うことがしばしばあった。

 十四歳で成人とは言え、学生である私たちは、まだ猶予のようなものを与えられていると思う。


 子どもではないが、大人にもなりきれていない。けれど、そういう意味だけでなく、彼のことは子どもっぽいと思う。


 過去の人生の記憶があるせいか、私はどこか遠いところから、彼や義妹を眺めている気がするのだ。


 彼らの未熟さを嘲り、同時にその若さを羨ましいとも思う。

 荒みきった私の心は、どうやったって、元に戻れる気はしなかったから。


「……イラリアの気持ちは、私にはわかりませんわ」

「そうか」


 私に愛を囁き、たくさんキスしてくる義妹。彼女の気持ちなんてわからない。わかりたくない。

 仮に彼女が私を本気で愛していたとして、私たちが結ばれることはないのだから。


 私とバルトロメオ殿下の婚約がこのまま続けば、私は彼の妻になる。

 先日の彼の言葉によれば、彼は義妹を側女として迎える可能性もある。

 前の人生と同じようになれば、私は婚約を破棄されて、義妹が彼と結ばれる。


 私とイラリアが一緒になれる未来は、どこにも存在しない。



 医務室に行って校医に診てもらうと、彼の傷はすっかり治っていて、なんともなっていなかった。


 義妹の聖女の力の発現について、今度の週末、陛下にお話しするために登城せよとバルトロメオ殿下から命じられた。

 前の人生での連絡は手紙によるものだったが、手段がどうであれ、やることは変わらない。私は「はい」と頷いた。


 義妹とバルトロメオ殿下が結ばれる可能性に気づいて、どうにかそれを妨害しようと、彼女への嫌がらせを激化させた一度目の私。


 悪い噂を流して、彼女を侮辱する言葉を吐いて。取り巻きの令嬢たちにも彼女を傷つけさせた。

 彼女が穢れれば良いと、手荒な男を雇って彼女を襲うように命じたこともあった。それは未遂に終わったけれども、私は本当に酷いことをしてきた。


 だから、今度はイラリアに幸せになってほしい。


 彼女のことは嫌いだけれど、私の罪悪感を薄めるために、彼女が幸せになる姿を遠くから見守りたい。



 五限目の授業の間も、六限目の授業の間も、私の胸はずっとモヤモヤしたままだった。

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