004. 二度目は貴方の手をとらない

 新しいドレスに新しい靴、綺麗な髪飾り。私に初めて与えられた煌びやかな服飾品に、かつては胸を躍らせた。

 靴を履かせてもらって、髪を結ってもらった時。やっと私も義妹のように大切にしてもらえるのではないかと期待した。


 二度目の私は知っている、期待するだけ馬鹿らしいと。


 馬車に揺られ、ぼんやりと窓の外の景色を眺める。いっそ町人の娘にでも生まれていれば、まだマシな人生だったかもしれない。ふと思う。


 初めて屋敷の外に出た日のことを、今もよく覚えている。

 外を歩くのに慣れない体がすぐにバテて、苦しくなったことも。新しい世界を知るのがとても嬉しかったことも。


 初めて会った同年代の少年に――バルトロメオ殿下に、胸をときめかせたことも。


 私の方をちらりとも見ない父について、絢爛豪華な王城へと足を踏み入れる。殿下の婚約者として何度も登城した経験のおかげで、もう緊張などしない。


 殿下とお会いする前に、父と私は国王陛下に謁見する。緊張で硬くなっていた過去より、我ながらうまくご挨拶できた。人生二度目の特権だ。


「ハイエレクタム公爵家が長女、オフィーリアにございます。国王陛下にご挨拶もうしあげます」

「うむ、面を上げよ。――そなたがオフィーリアか。会いたかったぞ」


 国王陛下は、あたたかく柔和な笑みをお見せになった。きっと、かつて陛下から母へ向けられた微笑みと同じもの。


「余の可愛いリアーナに、よく似ておるな。特に目元はそっくりだ。まるでリアーナが帰ってきたかのよう」

「……もったいないお言葉にございます」


 リアーナは、私の母の名前だ。母は、現国王陛下の末の異母妹だった。

 身分の低い側室から生まれた母は、同じ父を持つきょうだいたちに蔑まれがちで。それでも国王陛下だけは、いつも優しくしてくださった。そう、遠い昔に母から聞いている。


 母がハイエレクタム公爵家に嫁いでこられたのも、国王陛下のお計らいのおかげだ。

 陛下は、信頼できる臣下であったという父に、母をお頼みになった。母が亡くなった時に一番悲しんでおいでだったのも、国王陛下であらせられたと記憶している。


「可愛いオフィーリアよ。そなたが今日この場に呼ばれた理由は、わかっておるか?」

「はい、陛下。王太子殿下の婚約者候補として、私は参上いたしました」

「ロメオは気難しい子なのだが……。そなたなら、きっと仲良くなれるであろう。あやつのことを頼んだぞ」

「はい、陛下」


 この時はバルトロメオ王太子殿下の婚約者候補のひとりとして呼ばれた私だが、国王陛下は、最初から私を彼の婚約者にするおつもりだ。他の候補者は名列に名があるだけで、実際はいないに等しい。


 かつての私は、こんな自分にも優しくしてくださった国王陛下のお気持ちに応えようと、バルトロメオ殿下と仲良くなれるよう励んだ。

 今ならわかる。陛下は、私にご期待くださったのではないと。ただ私に、母の姿を重ねられただけだったのだと。陛下も、私を見てくださったわけではなかった。


 それでも私は、今度も未来の王妃らしい淑女を目指す。たとえ妃になれずとも。婚約破棄という結末を察していようとも。過去の人生より、もっと賢く、強く、美しい女になってみせる。


 私が病気がちである旨をお伝えすれば、陛下は婚約の件を再考してくださるかもしれない。が、それは父に口止めされている。幼いうちの一過性のものだから、わざわざお伝えする必要はないのだと父は言った。


 実際、一度目の世界の私の体調は、なぜか殿下と婚約してから快方に向かいはじめた。なんだか引っかかるけれど……。これについては、父の言う通りなのかもしれない。


 私の体調不良には特に病名はつけられておらず、ただ具合が悪いから何かの病気なのだとだけ言われてきた。

 ラーリィに伝染る云々とカルラ夫人には何度も咎められたが、義妹は毎日のように私の部屋を訪ねても、けろっと元気にしている。おそらく伝染病ではないのだろう。


 どうせ今度の私も、学院に入るまでは、医学書や薬学書を読むことは許されないのだ。病についての調査は後に回そう。

 これから成人するまでは、二度目の極悪令嬢とならぬよう、清く正しく――。



 国王陛下が王太子殿下をお呼びになり、私は彼と対面した。

 陛下は、私と彼の様子をにこやかに見守っていらっしゃる。あと父も珍しくにこにこしていた。


 正式な発表は後になるが、もう私を婚約者に決めたいと考えている、と。陛下は私たちにおっしゃった。前の人生と同じ流れだ。


「お初にお目にかかります。ハイエレクタム公爵家が長女、オフィーリアにございます。王太子殿下にご挨拶もうしあげます」

「はじめまして、オフィーリア嬢。私は王太子、バルトロメオ。会えて嬉しいよ」


 バルトロメオ殿下は、前と同じように私に笑いかけた。どう見たって作り笑いでしかないその笑顔に、かつての私は心揺さぶられた。


 輝く金色の髪に、若葉の黄緑色の瞳。彼もまた義妹のように美しい色を持っていた。過去の私は、その煌めきに目を奪われたのだ。



 美しい王太子殿下と一緒に、王宮内の庭園をふたりで散歩する。「仲を深めてくるのだ」という陛下のご命令によって設けられた場だ。


 かつては心臓がバクバクとうるさくて、夢見心地で頭がふわふわしていた。


 今はただ、体力不足でバテるだけ。さほど心は動かない。あの頃のような純粋な気持ちで彼と向き合うことなど、できるはずがなかった。


 彼の半歩後ろを歩きながら話を聞き、曖昧に相槌を打つ。ふと彼が立ち止まって、こちらを振り返った。

 彼の顔には笑顔の欠片もなく、義妹を前にしたときの私とよく似た冷たさを発していた。前の私は、その冷たさに恐怖をおぼえたものだ。


「お前は、俺をどう思っている」


 彼は低い声で私に問う。


 殿下は典型的な猫かぶり男で、私とふたりきりのときは言葉遣いが雑になった。一度目でも二度目でも、私は彼に見下されている。


 それでも過去の私は彼を慕い続けていたのだから不思議だ。この男の何が良かったのだろう。顔だろうか。あの恋の芯となる想いを、私はもう思い出せない。見たくない。


「……私の婚約者となる予定のお方だと、思っておりますが」


 かつての私は突然の質問にびっくりして、まごつくことしかできなかった。その態度が、余計に私を馬鹿な女だと思わせたのだと思う。


 此度の彼は前の彼のような嘲り笑いをすることなく、ただ「へぇ」と、ため息のように返事した。


「穢れた血をひく馬鹿な女だと思っていたが、思っていたより馬鹿ではないらしいな」

「そうですか」

「俺がお前を愛することは無い。期待するな。父上はお前を俺の婚約者に決定するおつもりだが、俺は命ぜられて仕方なく婚約するだけで、この関係に俺の気持ちは一切考慮されていない」

「はい、存じておりますわ」


 バルトロメオ殿下は尊大な態度を取りながら、意外に繊細なところもある方で、「気持ち」やら「ときめき」やら「愛」やらを、やたらめったら話に持ち出す人だった。どの言葉も、私を否定するために使われたのが悲しいところ。


 私の淡々とした受け答えが不満だったのか、彼は訝しげに眉をひそめた。

 かつての私は、こんなことを言われてもなお、彼に心を開いてもらおうと励んだもの。しかし義妹と浮気したうえに一方的に婚約を破棄してきた前の人生のことを思えば、そんな努力は徒労としか思えない。

 

 彼に愛されたかったのは過去のこと。今の私にとっては、こんな男どうでもいい。どうせ十年後には義妹と愛し合っているのだろうこの男に、かまけている暇はない。


 そう、もう割り切れているつもりだ。心を落ち着かせるため、深呼吸してみる。

 そうだ、もう大丈夫なはずだ。彼への思いなんて、残っちゃいない。大丈夫……。


「娼婦の血をひくお前ごときが俺の婚約者だなんて、最悪だ」

「はあ、そうですか」


 それを言ったら、過去の貴方が愛したイラリアも娼婦の娘ですけれど。

 過去の人生の記憶がないであろう彼にそう返そうかとも思ったほど、この発言は滑稽だった。


 彼は吐き捨てるようなその言葉の後、再びずんずんと歩きはじめる。私はそれについていく。


 私の母は、先王陛下が、視察先で出会った娼婦との間にこさえた子どもだ。

 彼女は――つまり、私の祖母は――先王陛下に見初められて後宮入りしたが、元の身分のせいで嫌がらせをされることも多く、彼女の娘であった母もまた良い扱いはされなかったと聞く。


 城内で唯一、母を溺愛していたのが、母の異母兄である現国王陛下だ。


 私は娼婦の孫で、公爵と王女の間に生まれた娘。

 義妹のイラリアは――本当の父親は不明で、私は決して認めていないけれど、表向きには私の異母妹ということにされていて――公爵と娼婦の間に生まれた娘。


 そう考えると、自分も人のことを言えないな、と思う。かつて私は、義妹の生まれを馬鹿にした。卑しい娼婦の娘だと嗤ったのだ。その行いは、祖母や母を馬鹿にするに等しいことだったのかもしれない。


 当時の私には、そんなつもりはなかったけれど。人を生まれや身分を理由に馬鹿にするのは、とても淑女として相応しい振る舞いではなかった。冷静に見れば当たり前、反省すべき過去である。


 生まれなんかにこだわらず、そのひと本人と、向き合って……。

 考え事をしながら歩いていると、つんっと段差につまづいた。

 そういえば前の人生でも転んだな、と思いながら私は転倒する。残念なことに、途中で体勢を整えられるような平衡感覚は持ち合わせていなかった。


「おい、何をしているんだ」

「転びました」

「まったく、のろまな女だな。脚が見えているぞ、はしたない」

「はい、そうですね。……へっ?」


 過去の彼には、転んだ拍子に露出した鞭打ちの傷痕を見られて「気持ち悪い。吐きそうだ」と言われたなぁ。と思い返していたのに、此度の彼にはそう言われなかった。


 転ぶところまでは前と同じだったのに、何が違うのだろう。そう考えて三秒後、今の私には傷痕がなかったことを思い出した。


 そうだ、昨日義妹が魔法で治してくれたのだった。今の私は、ただ単に色白の生脚を青空の下に晒している、はしたない女だ。


「いつまで座り込んでいる。ほら、立て」


 言って、彼は私に手を差し伸べた。これは前の彼と一緒の行動で、前の私はドキドキしながら彼の手をとり、立ち上がったはずだ。

 ああ、こんな振る舞いに、さらりと手を差し伸べられる紳士らしさに、かつての私は恋したのかもしれない。よくわからないけれど。


 私は彼の手を一瞥し、すぐに顔を上げる。


「いえ、ひとりで立てますわ」

「……はっ?」


 その手を無視して立ち上がると、彼はぽかんという顔をした。

 せっかくの優しさを無下にして申し訳ないが、いまさら彼に助けられるなど、私の矜持が許さない。


 此度の彼には、心を動かされたくない。一瞬たりとも、彼にときめく隙を自分に与えたくない。


 彼に婚約を破棄されたら、私はひとりで生きていく心積もりなのだから。人の手を借りずとも立ち上がれる女でなくてはならないのだ。


 大丈夫、ひとりでやっていける。


「王太子殿下」

「なっ、なんだ」

「ご心配せずとも、殿下と私の間に結ばれる婚約が、どのようなものかは理解しております。私は貴方様に何も求めません。お手をわずらわせるようなことはいたしません。正式に決まりましたら、婚約者として、最低限やるべきことだけを務めさせていただきます」


 彼と私が仲良くなれる日は、きっと来ない。だから今度はそのための努力はしない。彼が義妹を望むなら、勝手にそうすればいい。

 義妹が彼を愛するなら、私は彼女を殺した過去の罪滅ぼしの意も込めて、心の底から応援してやるつもりだ。


 私は、彼に微笑みかける。義妹と比べたら愛らしさのない笑みだろうけれど、過去の人生経験のおかげで淑女らしい品の良さは醸し出せているはず。今の歳のわりには、うまく笑えた。


「……ああ、そうか。わかった」


 バルトロメオ王太子殿下は、たいへん嬉しくなさそうなお顔で頷いた。互いに無言で庭園を歩き、気まずい雰囲気のまま散歩の時間は終わる。


 ――ここまでは、間違えていない。あとは屋敷で……。



「フィフィ姉さまっ! おかえりなさい!! お父さまも!」

「きゃっ」


 公爵邸の玄関扉が開くや否や、ローズゴールドの頭が私の胸に飛び込んできた。義妹が、ぎゅうっと強く私を抱きしめる。


 私が固まっていると、父が彼女を引き剥がそうとした。ギロリと彼に睨みつけられ、背筋に悪寒が走る。私に向けられる視線の冷たさとは引き換えに、彼女に掛けられる声は優しかった。


「イラリア、やめなさい」

「やめないもん! 姉さまいなくてさみしかったぁ」

「……お菓子をあげるから、姉さまから離れるんだ」

「おかし?! やったー! ありがと、お父さまっ」


 義妹はぱっと顔を上げ、私から離れて父にすり寄りはじめた。欲に忠実だと言うべきか、子どもらしく素直だと言うべきか。


 私がいつまでもここにいては、家族の時間を邪魔することになるだろう。


 そーっと立ち去ろうとするも、「あれ、フィフィ姉さまどこいくの?」と義妹の声に引き止められた。「姉さまもいっしょに食べよ?」

 

 すると父はあからさまに不機嫌そうな顔をする。どう見ても私はお呼びでないのに、なぜ義妹はわからないのだろう。

 

「え……いえ、私は、いいわ。大丈夫です」


 お菓子は気になるには気になる、が、今は義妹と一緒にいたくない。いてはならない。

 王太子殿下の婚約者になるからと調子に乗った過去の私は、まさにこの日に、彼女をいじめる悪女へと変貌したのだ。


 記念すべき初の嫌がらせは、彼女のお気に入りのうさぎのぬいぐるみを、廊下ですれ違った時に奪い取って窓から投げ捨てるというものだった。


 それから私は、彼女を守ろうとするメイドやカルラ夫人を出し抜いてまで嫌がらせを重ねた。私を虐げる大人たちへの鬱憤を、義妹にぶつけて晴らすように。


 足を引っかけて転ばせたり。彼女の私物を奪ったり捨てたり。悪口を言ったり。ドレスを汚したり。

 私が成長して健康になるにつれ、嫌がらせはエスカレートした。学生時代が最も酷かった。


 カルラ夫人は当然のこと私にお仕置きしたが、私は反省の色を見せず、かえって同じだけの苦痛を義妹に与えようと躍起になった。

 私はカルラ夫人からのお仕置きで、義妹は私からのいじめで、それぞれボロボロになっていった。


 カルラ夫人やメイドは私に、服を着れば隠れるところにだけ傷をつけた。一方私は義妹に、皆の目から見えるところにも傷をつけた。

 だから私が家で傷つけられていることには誰も気づかず、彼女が私にいじめられていることは多くの人が知っていた。


 義姉にいじめられる可哀想な女の子。心優しく可憐な女の子。それが過去の義妹だった。


 義妹は、怪我をしたら家の医師に診てもらえた。成人してからは、自らの聖女の力で治すこともできた。

 私は、家の医師に傷は診てもらえなかった。幼い頃は自然に治した。ひとりで外に出られる年頃になってからは、町の薬屋に行くようになった。けれど薬を使っても、義妹のように綺麗に、完全に治ることはなかった。


 だから最終的に体に傷痕が残るのは、いつも私だけで。私だけが、身も心も、日に日に醜くなった――。



 今思うと、いじめなんて馬鹿馬鹿しい。今度の人生では、そんなことをする気はまったくない。

 けれど、かつて愚かな真似をした自分のことを、私はもう信じられなかった。無理だった。


 私が部屋にひとり籠もっていれば、誰も傷つけずに済む。だから早く立ち去らせてほしい。


「あの、私、もう行きますね……?」

「ラーリィはぁ、姉さまといっしょがいいの。ね、いいでしょ? お父さま、いいでしょー?」

「……まあ、お前がそう望むなら」

「えっ」


 階段をのぼりかけていた足が、ずり落ちた。


 父が義妹に甘いことは知っていたが、まさか承諾されるとは。大怪獣オフィーリアが、家族団欒の時間をぶち壊しにするとは考えないのだろうか。いや、考えていたうえで許してしまったからこそ、あの苦渋の表情なのか。


 現実を受け止められずに突っ立っていると、義妹が私の手をひいた。


「ぅあっ」

「おいで、フィフィ姉さま!」

「え、ええ」


 彼女にぐいぐい引っ張られ、私は今まで入ることを許されなかった、母さまのいないハイエレクタム家の団欒の場へと足を踏み入れた。


 義妹がにこにこ笑う。彼女はいつでも私に笑顔を向けてくれる。


 義妹は――まるで陽だまりのようなひとだ。


 彼女がいると、その場が明るく温かくなる。私には険悪な態度ばかりをとる父と継母だって、彼女がいれば比較的穏やかになる。


 愛される彼女が羨ましい。心の底から彼女に憧れると同時に、なぜ私は彼女を殺してしまったのだろうと疑問に思う。


 彼女が生きていれば、たくさんの人が喜ぶのに。死を喜ばれるのは、彼女ではなく私なのに。


 彼女が私を連れ出す世界は、明るく美しく、痛いくらいに眩しかった。


 ひとりで生きて、ひとりで死ぬつもりの二度目の人生だったのに。


 彼女のせいで私は、一度目の人生よりも幸せに生きてしまった。どうせ壊れる幸せなら、手に入れない方が良かったのに。




 ――……イラリアのことなんて、今も大嫌い。


 私に中途半端に幸せを与えて、それでも他の男のものになってしまう貴女のことが。私は世界で一番大嫌い。

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