青の秘密 十五

「何だ!?」


 振り向くと、先程までいた森の木々が何本も沈んだ。

 いや、沈んだのではない。何本もまとめて倒されたのだ。大地が沈み込み、共に沈む様に倒れたのだ。

 地鳴りのような音が近づいてくる。


「っ伯爵! 防御しろ!」


 アエスの怒鳴り声にセイラムははっと我に返り、すぐに杖を構えた。


「ライライディーアの術式第三十七番、『虚構映す鏡の如く反射し飛び散る星の光、巻き取る風は女神の慈悲』!」


 防御の術式を咄嗟に使い、セイラムは全員の前にシールドを展開する。同時にアエスも自分の魔力を使って防御の術式を完成させた。呪文の詠唱なしでの魔術の行使。普通の魔術師には真似できない芸当だ。ごく簡単な術式ならセイラムも呪文を省いて行使できるが、このレベルの術式ではまず無理だ。

 防御の術式を展開すると同時に、衝撃波がセイラムたちを襲った。先程の攻撃とは比べ物にならないほど巨大で強力で濃密な力が容赦なく魔力の盾にぶつかる。

 この世の重力が全て自分に圧し掛かってきたかのようだ。


「くそっ、重いっ」


 杖を構えながら耐えるが、強力かつ重厚な攻撃にセイラムは押された。一瞬でも気を抜くとたちまち防御の術式は破壊される、それぐらいギリギリの状態だった。

 次の瞬間、急に攻撃がんだ。圧が消え、セイラムは思わず前につんのめる。

 踏みとどまって前を向くと、男が一人立っていた。黒ずくめの恰好に黒いローブを纏い、フードを被っているため顔はほとんど見えない。わずかに口元だけが見えた。

 手に持つ杖はねじれた形で、夜のような濃紺に金の紋様が散っている。

 そいつはにやりと笑って口を開いた。


「なかなかやるじゃないか、リオン伯爵」

「……何者だ?」

「殺すつもりで攻撃したんだが、防がれるとは……ああ、その高位精霊の助力あってのことか。それなら納得だ」

「おい」

「そこで死んでいる間抜けが、『目的はお前だ』と言っただろう? その意味を教えてやろうか? どうして自分が目的なのか」


 セイラムが男を睨みつけると、男はますます笑みを深めた。


「お前はただの魔術師じゃない、そうだろう、伯爵?」

「どういう意味だ? 僕は……」

「貴族で魔術師の変わり者。俺が言っているのはそういう意味じゃない。お前は“魔法”を使えるだろう?」


 男の言葉にセイラムは目を見開いた。アエスもこちらを見ているが、すでに気付いていたらしく、驚きの表情はない。いつも通り平然とした涼しい顔だ。

 ウォルクもセイラム同様驚いている。どうしてわかったのか、と顔に出ている。いつものポーカーフェイスが行方不明だ。

 他の四名は意味が分からないようで、きょとんとしていた。


「伯爵、あの、“魔法”って……? 魔術のことではないの?」


 ディアーヌが小声で問いかけてきた。セイラムは男から目を逸らさずに答える。


「“魔術”と“魔法”は全然別物だ。“魔術”とは魔力を使う技、人が作り出した技術だ。“魔法”は、魔力の定められた現象、事象の法則……口では説明できない不思議なこと、かな。神秘的で超常的な力の理。現実ではあり得ない不思議なことを起こす力。“魔術”はそれを使った技や技術だ」

「……ええと」


 ディアーヌの目が一瞬泳いだ。あまり理解できていないようだ。


「風がどうして吹くのか、どこから吹くのか、誰にも分からない。風そのものを魔法、風を利用した技術――風車による小麦の製粉や発電を魔術と考えてくれ」

「……それなら、何となくわかる気がします」


 少しは理解できたようで、ディアーヌは自信なさげに頷いた。


「いいや、全然わかっていないな、小娘」


 男が口を挟んできた。


「魔力の法則そのものを使えることがどれほど素晴らしいことなのか、全然わかっていない! リオン伯爵、お前はこの世界のことわりを、ルールを変えることができるんだぞ!」


 喋りながら高笑いする男を見て、セイラムは唐突に悟った。


「それが目的なのか、お前たちの? 理を変えるために魔法を使える者が欲しかったのか?」

「そうだ! 最初は街をぶらつく高位精霊を見つけてこいつを手に入れようと考えた。だが、列車での襲撃に失敗しおめおめと戻ってきた者から、伯爵、お前が魔法らしきものを使ったと聞いた。それを俺の上の者に報告したら、何としても伯爵を手に入れろと命じられたのだ!」


 最後に列車から蹴り落とした男だ、とウォルクは気付いた。あの時セイラムは炎のを使った。気付かれないだろうと高をくくっていたが、あの男は気付いていたらしい。

 確実に捕らえておくべきだった、と後悔しても、もう遅い。


「お前たちは何者なんだ? 何故理を変えようとするんだ?」


 セイラムは男を睨みつけた。紫の瞳がチリチリと光を帯びる。中で炎が舞っているようだ。


「俺はとある組織に所属している。名前はオーブリーだ。覚えなくてもいいが」

「とある組織……?」

「我々はこの世界を変えようとしている。そのために強い精霊との契約が必要なわけだが、伯爵、お前一人がいれば事足りるかもしれん。とりあえず、お前は連れて帰る。他の者は殺す」


 言い終わると同時にオーブリーは杖を構えた。


「デュ・コロワの術式第百二十一番、『深淵の底に沈む。其は昏き夜の新月の影。錆びた鎖の残酷な束縛、大地の実りは失われた』……」


――デュ・コロワ……? 聞いたことがない。


 セイラムがそう考えた次の瞬間、目の前が闇に包まれた。足元の地面の感触が感じられなくなり、浮遊感が襲う。真っ黒な底なし沼に落ちたかのような感覚だ。


「なっ!」

「セイラム様!」


 どこかでウォルクの声が聞こえたが、姿は見えない。


「ウォルク!? どこだ!」

「ははははは!! 無駄だ! 伯爵、お前はすでに俺の手の内だ!」


 すぐ近くからオーブリーの声がする。

セイラムは、限定的な異空間を作り出す魔術で捕らえられていた。

 前後左右上下の感覚がない。何も見えない。音だけは聞こえる、そのことがセイラムに焦燥感を抱かせた。


「くそっ」


 攻撃魔術をいくつか放ったが、空間を壊すことはできない。


「……どうすればいいんだ」


 暗闇の中でセイラムは立ち尽くした。


      ***


 ウォルクたちが見たのは、突如現れた黒い液体のような闇がセイラムを包み込み、卵のような形になるという光景だった。


「まずいぞ、執事。あの男はかなりの実力者だ。お前たちはまず間違いなく殺されるだろう。契約により、ディアーヌだけは私が守るが」

「我々にはセイラム様がかけてくれた守護の術式がある。少しはもつだろう。だが、それよりもセイラム様をどうやって助けるか、だ」

「アエス、伯爵が攫われてしまったらどうなるの? あの男はこの世界を変えるって言ってたわよね? 伯爵がいればそれができるの?」


 前に出て構えるアエスとウォルクに、ディアーヌが近づき質問した。


「ディアーヌ、下がれ。危険だ」

「私のことより伯爵よ! ねえ、伯爵が攫われたらかなりまずいことになるの?」

「ああ、まずい」


 アエスは初めて厳しい顔をした。


「世界の理を変えられるということは、例えば死者の蘇生や昼を夜にする、というようなあり得ないことが可能になってしまうかもしれないということだ。世界がひっくり返ってしまう。もしかしたら、この世界を滅ぼすこともできるかもしれない」

「何ですって!?」

「だが、伯爵にそこまでの強大な力があるとは思えない。理を変えるには他にも仕掛けは必要だろう」

「その通りだ!」


 オーブリーが高らかに笑った。


「いくら魔法が使えるとは言え、伯爵程度の魔力では理を変えることはできない。仕掛けができるまで、伯爵は監禁しておく。数日拷問すれば大人しくなるだろう。大丈夫、真っ先に心を壊してお前たちのことは忘れさせてやるさ!」

「そんなことはさせない。絶対に!」


 ウォルクが睨みつけるが、睨まれた当の本人はどこ吹く風だ。にやにやといやらしい笑みを浮かべながら舌なめずりをした。


「どうかな。お前たちは俺には勝てない。そこの高位精霊にだって俺は負けないさ。それにしても、伯爵は本当に綺麗な顔をしているなぁ……早くあの顔が苦痛に歪むところを見たいから、とりあえず、さっさとお前たちを全員殺そう。そうだ、伯爵の目の前で、一人ずつ順番に殺してやろう。そうしたら伯爵は絶望して大人しくなるに違いない!」


 ウォルクは自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。怒りで目が眩む。


――脳裏に浮かぶのは幼いセイラムの震える細い背中。その向こうに広がる血の海。


 腰を低くして構え、素早く動く。呵呵大笑しているくそ野郎まではおよそ十五、六メートル。瞬発力なら誰にも負けない自信がある最強執事は、目にも留まらぬ速さでオーブリーに肉薄し、その顔面に拳を一発叩き込んだ。


「ぐぁっ」


 続いて杖を持つ手を蹴り上げ、濃紺のねじれた杖を吹っ飛ばす――が、吹き飛んだ杖は空中で止まり、すぐにオーブリーの手に戻った。


「馬鹿め!」


 鼻血を垂らしながらにやりと笑い、オーブリーは杖を振った。


「デュ・コロワの術式第百三番、『夜闇の彼方に立ち去らん。遥かな大地を歩みゆく星の影』!」


 目の前が暗くなった。だが、十メートルほど離れたところは明るいままだ。今いる場所だけが暗い。


「執事!」


 アエスの怒鳴り声に、ウォルクは勘で飛び退いた。次の瞬間、ウォルクがいた場所の地面が衝撃音と共に凹んだ。


「なっ!?」


 地面の凹みはまるで人の足跡のような形をしていた。ただし、普通の人間のものより何十倍も大きいが。


「ちっ、勘のいい奴」


 舌打ちしたオーブリーは続けて杖を振った。


「ソルターの術式第五十一番、『地に落ち影を突き抜けよ、我が怒りは矢の如し』!」


 天空から無数の光が落ちてきた。尾を引き長く鋭い形の光の矢は容赦なくウォルクたちに襲いかかる。

 アンジェリカとピエールとミシェルはディアーヌのそばにいるおかげで、アエスにに守られている。だが、ウォルクにはセイラムがかけてくれた守護の魔術しか身を守るものがない。

 大量に攻撃を受けると術式の効果が早く無くなるかもしれない。そう考えたウォルクは逃げ回った。光の矢を避けるべく走り回り転げ回って矢を避けた。

 だが、限界はある。


「ぐっ!?」


 矢のいくつかがウォルクの身体を掠めた。腕を数カ所と左足のふくらはぎ。ただ掠っただけなのだが、その部分は大きくえぐれ、血が溢れた。

 がくりと膝をつくウォルクに、オーブリーはにやにやと笑いながら近づいた。


「ここまでだな、執事。お前はよくやった。さあ、惨たらしく殺してやろう」


 杖を振り上げるオーブリーを見て、ディアーヌはアエスに縋りついた。


「アエス! サジェさんを……」

「必要ない」


 にべもない言葉にディアーヌは激昂した。


「どうして!!? お願い彼を助けて! 対価なら……」

「違う」


 対価を払う、と言いかけたディアーヌを遮ったアエスの瞳は青い燐光を帯びていた。ディアーヌはそれに気付き口を閉じる。彼は険しい顔をしていた。


 アエスは警戒していた。何か途方もないことが起きる予感がする。自分から漏れ出る、あるいは周辺を漂う魔力がチリチリと音を立て、小さくスパークしている。

 突然空が暗くなった。見上げると、急速に雲行きが怪しくなりつつある。遠雷の音が響いてきた。


「何だ……?」


 異変に気付いたのか、オーブリーも周囲をきょろきょろと見回している。

 スパークが肌の上を走り、ディアーヌは小さく悲鳴を上げた。


「何? 何なの、一体?」

「あいつがやってるの?」


 ミシェルを抱きかかえながら今にも泣きだしそうな様子のピエールに、アエスは答えた。


「違う、あいつでも私でもない」


 アエスは雲が垂れこめ重く暗くなった空を見上げた。


 脳裏に浮かぶのはセイラムの左手人差し指の緑柱石の指輪。


――何かが来る。


 次の瞬間、セイラムを捕らえている卵のような物体がどろりと溶けるようにして消え、中から嵐が巻き起こった。

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