青の秘密 十四

 一行はひとまず、荷物を置いている砂浜に戻った。目的が達成された今、さっさと宿に戻って休みたかった。全身汗まみれの砂まみれだし、腹も減っている。


「君たちのことは後ほど組合ギルドに報告を上げる。何とか正当防衛が適用されるように持っていくつもりだが、あまり期待しないでくれ」

「いいのよ、伯爵。さっきも言ったけど、覚悟はできてるの。どんな罰でも受けます」

「私もだ」


 ディアーヌとアエスは妙にすっきりした顔で朗らかにそう言ったが、セイラムの心の中は大荒れだった。報告を上げずに隠ぺいするという選択肢は最初からセイラムにはない。自分の信条と信念のためだ。

 だが、そうすると二人は厳罰に処されるだろう。自分の身を守るためだけならまだいいが、ディアーヌははっきりと男たちの死を願ってしまっている。

 何とか正当防衛に持っていきたいが、状況は厳しい。

 頭を悩ませていたため、セイラムはに気付くのが遅れてしまった。


「セイラム様!」


 ウォルクの叫び声にハッと顔を上げた、その時。


「クリサフィスの術式第二百十五番、『烈風吹きすさび、取り巻く刃は白き残光』!」


 鎌鼬のような斬撃がいくつも飛んできた。

 セイラムは瞬時にその場に伏せ転がって避け――頭上を実体のない白い刃が風の速度で通り過ぎていく――即座に起き上って杖を構えた。

 視界の端に、ウォルクがピエールとミシェルを抱えて地面に伏せたのが見えた。すぐそばではアエスがディアーヌとアンジェリカを抱えて防御の魔術を使っている。三人の前に盾のような形に展開した魔力が視えた。

 森の木陰や岩陰から謎の男たちが十名ほど飛び出してきた。全員手に杖を持っている。


「セラーノの術式第九十三番、『天より下りし巨星の圧力、弾けて燃え盛る七つの火球』!」

「レンドンの術式第八十二番、『数多浮かぶ波紋、大いなる海神わだつみに捧げ奉る』!」

「ティエールの術式第五十二番、『砕き潰すはれ言呟く声なき岩と深淵なる底の山の実り』!」


 列車で襲ってきた連中のものよりも強力な魔術がセイラムたちを襲った。

 天から落ち来る火の玉、巨大な渦巻き、そして、突然地面が震え地割れが起き、セイラムたちを飲み込もうとする。


「きゃああぁぁぁ!!!」


 ミシェルが叫び声を上げた。アンジェリカはアエスの腕に必死にしがみついている。

 意外にもディアーヌとピエールは顔を上げて襲い来る脅威を見据えていた。


「セイラム様!?」


 ウォルクが再び叫んだ。今度の叫びは危機を知らせるものではなく、どう切り抜けるのかと問いかけるものだった。それに応えるべく、セイラムは杖を構えウォルクに向けて振った。


「ケストナーの術式第六十七番、『かしこみ畏み汝ら夢の王の子らよ、御祖みおやの手は汝らを優しく包み迎え入れるだろう』!」


 杖の先端から仄青い光の粒子がきらきらと舞い上がり、セイラムとウォルクの頭上に舞い降りた。

 同時に敵の攻撃がセイラムたちに降りかかる。が、攻撃は弾かれ、消え去った。


「何だと!? どうなってる!」

「我々の術が弾かれただと!?」


 狼狽える敵たち。それを見てディアーヌはあることに気付いた。


「もしかして、昨日列車でかけてくださった守護の術式?」

「そうだ」


 セイラムはにんまりと笑いながら答えた。


「昨日は僕とウォルクにだけかけていなかったからな。今急いでかけたが、即効性のある術式でよかった。この術式を作ったクリムゾニカに感謝しないと。……さて」


 続けて唱える。


「リオンの術式第十二番、『燦爛さんらん光華こうか、静かに進軍する焔の軍勢。全ては偉大なる御方おんかたの導きにて』!」


 静かに輝く黄金の炎がセイラムの足元に現れたと思うと、音もなく走り襲撃者たちを包み込んだ。


「ぎゃああぁぁぁぁ!!!」

「あちィ!! 何だこれは!!!」


 海に飛び込んでも消えない炎に、何人かがパニックになる。


「落ち着け、対応できる術式を探せ!」

「無理だ! リオンの術式なんて聞いたことがない! 誰が作ったんだ!?」

「僕だ」


 微笑みながら答えたのはセイラムだった。黄金の炎に照らされた美貌が映える。

 ディアーヌが驚きの表情で尋ねた。


「今の術式は伯爵が作ったの?」

「ああ、そうだ。だから僕は変わり者と呼ばれているんだ」


 セイラムは杖を構え、さらに呪文を詠唱する。


「リオンの術式第十九番、『かえり見すればかぎろひの立つ東天の赫焉かくえん。星の残光、燃える刃と熾火の緋色』!」


 次にセイラムの足元から吹き上がった炎は、今度は緋色の輝きを放っていた。

 紅蓮の炎は刃のような鋭さで敵に襲い掛かる。


「うわああぁぁぁぁぁ!!!」

「助けてくれェ!!!」


 金と赤の炎に巻かれた男たちは、纏わりつく金の炎を避けるために滅茶苦茶に手足を振り回し、紅蓮の炎の斬撃を避けるために右に左に飛び跳ねた。まるでダンスでも踊っているかのようだ。


「せ、セイラム様、死んじゃいますよあいつら!」

「大丈夫だピエール。加減はしている」


 セイラムの言うとおり、男たちは炎に炙られて衣服が少々焦げてはいるが、皮膚が焼け爛れたりしている様子はない。絶妙な火加減だ。


「くそぅ!!」


 男の一人が無理矢理炎を振り切って杖を構えた。


「ダカンの術式第四十四番、『絶ゆることなく逆巻く怒濤どとう、厄災が目覚める海鳴かいめいの轟き』!」


 海が溢れた。その様に見えた。

 海面が持ち上がって押し寄せ、金と紅蓮の炎を押し流す。あわやセイラムたちも飲み込まれる寸前で、アエスが手を横に払った。


しずめ」


 途端に海水は引き、海は何事もなかったかのように静まった。その光景に衝撃を受けたのか、男は顔を引き攣らせて固まる。


「こ、高位精霊……、これほどまでに強いのか……」

「彼だけじゃないぞ」


 セイラムは再び杖を構えた。


「ケストナーの術式第三十一番、『押しべて数多照らす光炎、燃えよ爛れよ焼け焦げよ、湧き上がるは厄災の果ての劫火』!」


 爆発が起きた。それぐらい激しい勢いで炎が吹き上がり、敵を飲み込んだ。

 吹き上がった炎はすぐに消え去り、後には地に倒れ伏す敵だけが残った。もちろん焼け焦げてはいない。周囲の酸素を焼き尽くされ、一時的に酸欠になっているだけだ。

 セイラムは魔術で茨の蔓を作り出して全員を縛り上げた。


「アンジェリカ、もう大丈夫よ、落ち着いて」

「お、お嬢様ぁ、どうしてそんなに冷静なんですか?」


 涙声のアンジェリカの問いに、ディアーヌは少し考えてこう答えた。


「幼い頃から修羅場をいくつも経験してきたからかしらね。母が殺された件以外にも、娼婦同士の客の取り合いや客の奥さんが怒鳴り込んできたりとか、色々あったから」


 アンジェリカはがくりと項垂れた。そして、自分の平凡だったこれまでの人生に感謝した。いくらなんでも、こんな波乱万丈な人生御免こうむる。

 セイラムは縛り上げて地面に転がした者たちを見下ろした。男ばかりのように見えたが、女も若干混じっている。


「さて、答えてもらおうか。お前たちは何者だ? 列車で襲って来た者たちの仲間だろう? お前たちの裏に誰かがいるのはわかっている。お前たちの目的は? あの高位精霊が目的か?」


 わかってはいたが、誰一人として口を開かない。貝のように口を噤む彼らに、セイラムも眉間にしわを寄せた。そこにアエスが歩み寄る。


「少し痛い目に遭わせた方がいいんじゃないか?」

「物騒だな……そういうのは苦手なんだ。やるならお前がやってくれ」

「面倒くさいな、お前」


 ため息を一つつき、アエスは敵を縛り上げている茨の蔓に自らの魔力を上乗せした。途端、茨が彼らをきつく締め上げる。


「ぎゃああぁぁぁぁ!!!」

「痛い痛い痛い、やめてくれ……!!」

「た、助けて死にたくないぃ……!」


 きつく締め付けられ、全身に棘が刺さり傷から血が流れ出す。もだえ苦しむ彼らをアエスは冷たく見下ろした。


「死にたくないなら言え。お前たちは何者だ? 何が目的だ?」

「言う、言うから緩めてくれ!」

「駄目だ。緩めて欲しければさっさと言え」


 その冷たく暗い瞳に恐れをなしたのか、彼らは顔を青くして震え始めた。


「言え」


 ダメ押しのようなそのひと言に、一人の男がようやく口を開いた。


「……は、初めの目的は、こ、高位精霊であるお前だった」

「初めは?」


 セイラムは怪訝な顔をした。


「では今の目的は?」


 アエスが凄みながら問いかけた。


「い、今の目的は……」


 男は一度口を噤み、視線を泳がせた。そして、意を決したのかセイラムを真っ直ぐ見上げた。


「お前だ、リオン伯爵」


 次の瞬間、男の首がごろりと落ちた。男だけではない、他の全員の首が胴から離れて地面に落ち転がった。

 大量の血が吹き上がり、砂浜を赤く汚す。


「きゃああぁぁぁ!!!?」


 その光景を目の当たりにしたアンジェリカが悲鳴を上げた。ディアーヌは咄嗟に彼女を抱きしめる。ディアーヌは悲鳴を上げこそしなかったが、アンジェリカを抱きしめるその腕は震えていた。

 ウォルクは男の首が落ちた時、咄嗟にピエールとミシェルを腕に抱き込んでその光景を見せないようにしていた。だが、何か異変があったことはわかるのか、ウォルクの服を掴む二人の手はディアーヌ同様震えている。


「……な、」


 突然の地獄絵図にさすがのセイラムも絶句した。アエスのみ涼しい顔をしている。

 何でもない顔のまま、アエスは死体に近寄りじっくりと見聞した。傷口は何かで断ち切られたかのようにすっぱりと綺麗だ。


「ここを」


 アエスは生首の付け根を指差した。セイラムも近寄ってアエスが指し示した部分を視る。

 そこには禍々しい紋様の魔法円が描かれていた。魔法円からはどす黒い色の残滓が立ち上(のぼ)っている。


「……これは、特定の条件を満たすと発動する類のものだな。おそらく、自分たちの情報を喋ったら発動するようになっていたんだろう。襲撃の目的を喋るのも発動条件に入るのか……」

「口封じ、ですか?」

「おそらくな」


 いつの間にか近寄ってきていたウォルクの問いかけにセイラムが答える。見ると、ウォルクが抱きかかえていたピエールとミシェルはディアーヌのところにいた。アンジェリカはもう落ち着いたらしく、今はミシェルがディアーヌの腕の中にいる。


「一体こいつらは……」


 何者なのか、セイラムがそう言いかけた時、大気が震えた。

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