青の秘密 十三
「願ったのか? 君が? 母親を殺した者たちの死を?」
セイラムの問いにディアーヌは頷いた。
「ええ、私が願ったの。はっきりと」
セイラムは頭を抱えて呻いた。
「魔術で人の命を奪うのは重罪だ……どう報告したらいいんだ……?」
「いいのよ、伯爵。ありのままを報告してくれても。覚悟はできてるわ」
そう言ったディアーヌの目は真っ直ぐで澄んでいた。自分に科せられるかもしれない罰を、それがどんなに重いものだろうと、全てを受け入れる覚悟を決めた目だ。
「あの後市警に保護された私は、何があったのかすべて話したの。筆談でね。母に莫大な借金を背負わせたくそ貴族……失礼、バレル男爵が今度は私を欲しがっているらしいってことや、くそ……バレル男爵の所領で若い娘が消えてるってこと、襲撃した男たちの中にく……バレル男爵の従僕がいたってことも、全部話したわ。バレル男爵の差し金かもしれないってね。アエスに言われた通りあの男たちが死んだことは精霊の怒りを買ったようだって言っておいたわ」
「言葉の端々にバレル男爵に対する悪意がにじみ出ているな……。しかし、その男たちの死については僕の方に報告が上がってきていない。セント・ルースには英雄的な存在である海の聖霊の伝説があるから、それに関係していると思われて伏せられたのかもしれないな」
かつて大津波からセント・ルースを守ったとされる海の聖霊の存在は、セント・ルースの住民にとってはかなり大きい。毎年盛大な祭りが催されるし、聖霊のための神殿まであるくらいだ。
男たちを殺した精霊が海の聖霊の眷属であった場合、聖霊に咎が行くかもしれないと市警の警察官は考えて、王都にも
「しかし、バレル男爵か。確か、昨年全財産を失い領地と爵位を剥奪されていたな。おまけにいくつかの罪で起訴されて、全てで有罪判決を受けたとか。スカーフィア女侯爵が関わっていたような気がするんだが」
「ええ、伯母さまが手を回したのよ」
ディアーヌは微笑んだ。
「私、母が侯爵家の娘だったってことを知ってたわ。母の持ち物に侯爵家の紋章――蝶と一角獣の紋章が入った指輪があったの。母が、これは自分の実家の紋章だって教えてくれたのよ。だから保護された時に警察官にその指輪を見せて、母の実家のものらしいって話したらすぐに侯爵家に問い合わせてくれたわ。知らせを受けて伯母さまはすぐにセント・ルースにすっ飛んできてくれた」
「女侯爵が……」
慌てる彼女など想像もつかないが、女侯爵は本当に取るものとりあえずといった感じでセント・ルースに駆け付けたらしい。
「伯母さまは私を見て人目も憚らず泣き出して、抱きしめてくれたの。無事でよかった、ずっと探していたのよ、って言って。まさか母が娼婦になっているなんて露ほども思っていなかったから、花街の方は全然探していなかったらしいの。ずっと見当違いのところばかり探してたって」
十年間行方不明だった妹と姪の消息がやっと分かったと思ったら妹は死んでいた。スカーフィア女侯爵はさぞかしショックだったろう。
「くそ貴族の話をしたら、すぐに動いてくれたわ。あのくそ貴族、花びらと人魚亭の事件についての警察の取り調べを何かと理由をつけて逃げ回っていたらしくて、警察も頭を抱えていたのだけれど、伯母さまはあいつがどうやって借金を作ったのかも、いなくなった娘たちの行方も、全部調べてくださったの。あいつと黒い取引をしている相手のことや囲っている愛人のこと、女の好みも好きな体位も、税金をごまかして自分の懐に入れていることもね」
「女侯爵が情報収集に長けていることは知っていたが、そこまでとは……」
セイラムはただただ驚いた。そして、スカーフィア女侯爵には逆らわないようにしよう、と心に決めた。性癖までもろバレになるなんて、こんな恐ろしいことはない。
「いなくなった娘たちはセント・ルースを含むあちこちの街の娼館に売られ、無理矢理娼婦をさせられているところを保護されたわ。くそ貴族の借金の原因は、取引相手に、調子に乗って粗悪な品を売りつけた挙句代金を水増しして請求し、余剰分を懐に入れていたのがバレて金を全部返すように相手に言われたんですって。損害賠償請求もされたそうよ。でも金は全部使ってしまっていた上にあちこちの店のつけ払いも残っていて……愛人にプレゼントした宝石の代金とかね。諸々の借金を全部まとめたらとんでもない額に膨れ上がったみたい」
「呆れて言葉も出ないな。バレル男爵……いい噂は聞かなかったが、それほどとは」
セイラムはバレル男爵の顔を思い出す。
爵位は世襲で受け継ぐものだ。セイラムも、先代である父が早世したため伯爵位を受け継いだというだけで、文句を言われる筋合いはないのだが、バレル男爵は明らかに不満そうだった。
「伯母さまはバレル男爵を脱税や横領、誘拐や殺人教唆などの罪で告発したの。大貴族であり外務大臣の職務に就いているスカーフィア女侯爵の告発を受けて、司法省と国務省がすぐに動いたわ」
国務省は戸籍関係の管理などを司り、その関係で租税一般も管轄している。国務大臣であるエサリッジ公爵の命令で国務省が調査した結果、バレル男爵領の税金におかしな動きがあることが分かった。
「おかしな動きって何ですか?」
税金の仕組みに疎いピエールが首を傾げた。
「確か……バレル男爵の所領の住民が納める税金の額が他領よりかなり多くなっていたんだが、そこから男爵が国に納める税金の額は以前と変わらないままだったんだ。余分に納められた分がどこにいったのか……どこにいったのだと思う?」
「え、えぇと、あっ、バレル男爵の懐に、ですか?」
「その通りだ」
「せこい奴ですね」
まったく、とセイラムは頷いた。せこい小物にディアーヌは母親共々苦しめられたのだ。
「あの、奥様がこれまで関わりのなかったバレル男爵を突然告発して、周囲に不審に思われなかったんですか?」
恐る恐る手を挙げたアンジェリカの質問に、セイラムは眉を上げた。
「おや、アンジェリカ、君は知らなかったのか?」
「はい、あのう、私が侯爵家に雇われたのは奥様がお嬢様を引き取ってしばらくしてからなんです。なので、奥様がバレル男爵を告発した頃、私はまだ故郷のメルブロウにいました」
メルブロウはスカーフィア侯爵領にある中規模の町だ。おそらくアンジェリカは領内で縁故採用でもされたのだろう。
「そうか。……確かあの時女侯爵は、妹君のことを駆け落ちしたのではなく、南部に住む遠縁の元に嫁がせたと、その相手がバレル男爵の馬車で轢き殺され、妹君は多額の借金を背負わされた、実家に迷惑はかけられないと思った妹君は十年間奮闘して借金を返済しようとしていたが、卑劣にもバレル男爵は美しく成長した妹君の娘――ディアーヌを借金の形に寄越せと言ってきた。妹君が拒否すると、雇ったならず者に襲わせた……」
ほとんど事実だ。だから、誰も疑う者はいなかった。セント・ルース市警の関係者――エリザベートが娼婦だったことを知る者にはいくらか金を握らせたらしい。
「生き残った娘の証言で、バレル男爵が黒幕であることが分かったが、男爵は疑惑を否定し逃げ回っていた。女侯爵は秘密裏に男爵の背後や実情を調べ、先に述べた数々の不正を確認したため告発した。そういう筋書きだったな、確か」
貴族の娘が駆け落ちしただの娼婦になっただの、周囲に知られれば恥でしかない。引き取ったディアーヌの将来のことを考えてそういうことにしたのだろう。
そして、この告発を受けて激怒した者が一人いる。セント・ルースがある南部の一地方を領地とするブルダン伯爵だ。
情に厚く、領民を大切にしているブルダン伯爵が、自分の領民――娼婦も立派な領民だ――を殺されて黙っているわけがなかった。おまけに、攫われた娘たちは自分の領内で娼婦として働かされていた。ついでに、バレル男爵は他にも黒い商売をやっており、その取引現場はセント・ルースを含むブルダン伯爵領内だった。自分の領地で好き勝手されて激怒しないわけがない。
徹底的に追及されたバレル男爵は、初めこそ罪を認めようとはしなかったが、確たる証拠を次々と突き付けられてようやく罪を認めた。
「ちなみにね」
ディアーヌは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「母が背負わされた借金なんですけど、あれも出鱈目だったわ」
「出鱈目? どういうことだ?」
セイラムはディアーヌを見た。
「父がバレル男爵の馬車に轢かれて死んだ時、バレル男爵は父のせいで大事な積み荷が壊れたから代金を払え、って言ってきたの。提示された金額は庶民が一生かかっても稼げないような額だったわ。父が死んでしまったショックと混乱で母はその話をすんなり受け入れてしまったけど、伯母さまが調べた結果、積み荷というのは絨毯で、壊れるようなものではなかったの」
「絨毯だと? 確かに、人がぶつかったりしたくらいで壊れるものではないな。なるほど、バレル男爵は君の母上にいちゃもんをつけて大金を騙し取っていたってわけか」
呆れた男だ。無礼で卑劣でおまけにがめつい。今度、こっそり呪いでもかけておくか、とセイラムは心の中に書き留めた。外出するたびに犬の糞を踏む呪いとかどうだろう。彼は今牢獄の中だから、呪いが効果を発揮するのは当分先のことになるが。
「この事実が分かって、伯母さまはさらに激怒したわ。それはもう、怒髪天を衝く勢いで。母がつけていた記録を元に、母がバレル男爵に返済した分のお金と父を轢き殺した賠償金、さらに慰謝料としていくらか余分に回収してくださったの。もちろん、正規の手続きを踏んでね。そのお金は母の遺産として私が相続したわ」
ふう、と、ディアーヌは大きく息を吐いた。その顔はどこかすっきりとしている。
「私の話はこれで終わりです。何か他に聞きたいことはあるかしら?」
長い話が終わった。昼過ぎだったのに、もう日が傾き始めている。疲れたのだろう、じっと立って話を聞いていたミシェルが近くの石の上に座り込み、隣にピエールがしゃがんだ。
「アエス、お前に一つ聞きたいことがある。あの風鈴のことだ。
セイラムの問いに、アエスは少し気まずそうな顔をしてそっぽを向いた。
「おい?」
「……嫉妬したんだ」
「は? 何て言った? 嫉妬?」
アエスはそっぽを向くことを継続しながら言った。
「風鈴をくれたのはエリザベートだ。二年ほど前のことだ。とても綺麗で嬉しくて浮かれていた。風鈴が壊れないように守護の魔術をかけ、大事にしていた。風鈴を貰ってから半年ほど経ったころ、エリザベートとの会話の中で彼女がオリヴィエ――死んだ夫の惚気話をしたんだ。エリザベートは未だにオリヴィエのことを愛している、今は私が一番近くにいるのに。そう思ったら無性に腹が立って、風鈴の音が耳障りになって、気付いたら
ディアーヌはあんぐりと口を開けた。
「……あなた、父さんに焼きもちを焼いたの?」
アエスは頷いた。
「あなた、母さんのことが好きだったの? その、友人としてじゃなく……」
「そうだ」
アエスは真っ直ぐディアーヌを見た。
「私はエリザベートを愛していた。彼女とあの浜辺で初めて会った時から、彼女の虜だった。きらきらと輝く彼女の笑顔に心を奪われたんだ」
初めて聞いたアエスの心の内に、ディアーヌは涙を浮かべた。
「だから十年間ずっと母さんを買い続けてくれたの? それに、私のことも助けてくれて……。友人にしては親切すぎるって思ってたけど、本当は母さんのことを愛してたからなのね?」
頷くアエスにディアーヌは抱きついた。ディアーヌを抱き返しながらアエスは言葉を続ける。
「
アエスのさみしげな声にディアーヌは顔を上げた。
「確かにあなたは父さんじゃないし、父さんの代わりだなんて母さんも私も思ってなかったわ」
ディアーヌはアエスの腕の中で彼を見上げながら言った。
「でも、母さんはあなたのことをとても信頼していたわ。私が海に潜りに行くのを止めなかったのは、あなたが見守っていてくれるって確信していたからでしょう?」
こくり、とアエスは頷く。
「ありがとう。私たちを守ってくれて」
ディアーヌは心からお礼を言い、微笑んだ。きらきらと輝いた彼女の笑顔は、まるであの日アエスが見たエリザベートの笑顔そのものだった。
アエスはディアーヌを強く抱きしめた。その目からは、ひと筋の涙が零れ落ちた。
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