青の秘密 九

「皆さん、少し休憩しましょう」


 ウォルクの声に全員水から上がり、屈んでいたせいで痛む腰をさすりながら休憩場所に集まる。日は高く昇り、正午が近いことを示していた。

 宿の者が差し入れてくれた冷たいお茶で喉を潤し、全員深い溜息をつく。

 セイラムは遥か彼方の水平線に目をやった。白い帆船が進んで行くのが見える。

 疲労の色が見えるセイラムに、ウォルクが声をかけた。


「セイラム様、昼食を摂りましょう。空腹では士気が落ちますし良い考えも浮かびません」

「……そうだな。食事にしよう」


 宿の者は冷たいお茶のほかにバスケット一杯に詰め込んだおいしいランチも差し入れてくれていた。

 焼きたてのパンにこんがりとローストした鶏肉。鮪のパテ。酢漬けにした野菜に塩をふって焼いた茸。薄く切ったハムとチーズ。丸ごとの林檎。

 敷物の上に座り、各自皿に取り分けたランチを黙々と食べる。全員疲れた様子だが、ピエールだけは美味そうなランチを前に元気を取り戻したようだ。


 食べながらセイラムは考えていた。

 高位精霊であるアエスの宝物の風鈴。とても大事にしている様子だったし、当然壊れないように魔術で守っていただろう。一年半ですっかり消えてなくなるようなやわな魔力ではないはずだ。

 それに、どういう事情でぜつを落としたのかは分からないが、どうして彼には見つけられなかったのか。落とした直後に探せば、アエスなら見つけられたはずだ。


 落とした直後に探せなかった……? 何故?


 気が付くと、ディアーヌのすぐ隣にアエスが立っていた。ディアーヌは彼を見上げて微笑みかけている。アエスも表情をやわらげていた。

 ふと、セイラムはその光景に何か違和感を感じた。

 昨年、ディアーヌに何かがあって彼女は危機に陥り、アエスと魂の半分を引き換えに契約を交わし、命を守ってもらった。短くなった寿命を全うするために、声を引き換えに守護の契約を交わした。

 彼らの関係はもっとビジネスライクなものだと思っていた。だが、あの光景はどう見てもそうではない。もっと親密で、二人の間には親愛の情があるようだ。

 旧知の仲だったのか……?


 食事を終えたセイラムは、もう少し捜索範囲を広げようと気合いを入れて立ち上がった。気合いの表れとしてネクタイを外し、丸めて荷物の隣に置く。上着も脱ぎ、くしゃくしゃのままその辺に置こうとして、ウォルクに止められた。


「後が大変ですので、その辺に放り出さないでください」


 そう言ってウォルクはセイラムの上着を横からかっさらい、しわを伸ばして丁寧にたたんだ。ついでにネクタイも回収する。

 立ち上がって思い切り伸びをし、法議書を抱えて歩き出したセイラムは、後ろから聞こえてきた「きゃあっ」という甲高い悲鳴に即座に振り向いた。

 見ると、ミシェルが尻餅をついていて、ピエールが助け起こそうとしていた。同時にウォルクがどこかに走り出す。


「どうしたんだ? 大丈夫か? ウォルクはどこに行くんだ?」

「セイラム様!」


 ピエールがセイラムの方を見て叫んだ。


「ネクタイピンを盗られました!」

「……何だって?」


 あそこに、と指をさすピエール。彼が示した方向を見ると。


「……あ」


 飛び去って行く一羽の烏がいた。きらり、と嘴に光るものがある。


「ミシェルが烏に気が付いて、ネクタイピンを取り返そうとしたら嘴でつつかれそうになったんです」

「そうか、ありがとうミシェル、怪我はないか?」


 セイラムが礼を言うと、ミシェルははにかんだように笑って答えた。


「けがはないです。大丈夫です」


 烏はそのまま森の中に姿を消した。途中まで走って追いかけていたウォルクが追跡を断念して戻ってくる。


「申し訳ありません、見失いました」

「いや、別に構わない。それほど高価なものではないし。しかし、とんだ盗人だな」


 そう言いながら、セイラムは閃いた。


「そうか、烏が持って行ったのかもしれないな」

「風鈴のぜつを、ですか?」

「ああ。アエスは確かぜつについて、光の当たり方によって虹色に煌めくと言っていた。烏は光物が好きだからな。それに、この辺りでは烏の姿をよく見る」

「そう言えば、セント・ルースに到着した時、森に帰っていく烏の群れを見ましたね」

「ああ、森に巣があるんだろう」


 森の中を捜索してみるか、と考えていると、ピエールがそう言えば、と声を上げた。


「そう言えばセイラム様、セイラム様がさっき魔術を使ってぜつを探している時、森の方で何か光った気がしましたよ」

「私も、それ見ました」


 ピエールに続いてアンジェリカも頷く。その隣でディアーヌも首を縦に振った。


『アエスがぜつを落としたのは砂浜だから、関係ないと思っていましたが……』


 セイラムは森の方を向き、もう一度集中した。感覚を研ぎ澄ませ、森を視た。

 風が吹く。森の木々が騒めき、木の葉が舞う。栗鼠が枝から別の枝に移動し、木の実が一粒地に落ちる。それを烏が拾い、巣に持ち帰る――

 その巣から、青い粒子が発せられているのが視えた。


「あった!」


 セイラムの上げた大声に、全員が反応した。


「あった!? どこですか?」

「森の中だ、ウォルク。お前、木は登れるか?」

「誰に聞いているんですか? 執事に不可能などありません。主の気紛れを捌くのが執事の役目です」

「よし」


 セイラムは満足げに笑った。


「森に行くぞ」


      ***


 森の中は爽やかな涼しさを保っていた。どこか薄暗いが、不気味さは感じない。セイラムは先頭に立ち、目を凝らしながら進んで行く。すぐ後ろにウォルクがつき、その後ろに手をつないだピエールとミシェルが。二人の後ろにディアーヌとアンジェリカが続き、殿しんがりにはアエスがついた。

 しばらく進んで、ある大木の前でセイラムは足を止めた。


「ここだ」


 見上げると、枝と枝の隙間から鳥の巣のようなものが見えた。


「うわっ、ものすごく高いところじゃないですか! あんなところ、行けます?」


 ピエールが驚きつつも心配そうにウォルクに話しかけた。


「……難しいが、やってみよう」


 ウォルクが袖を捲り、作業手袋をはめ、靴を脱いで揃えている横で、セイラムは魔力を込めて手をパンと叩いた。するとどこからか長い長い縄が現れ、束になってセイラムの手の上に落ちた。


「使ってくれ」

「ありがとうございます」


 縄を受け取ったウォルクは早速木に登り始めた。


「セイラム様、ウォルクさん大丈夫ですか? 落ちたりしませんか?」


 ピエールが泣きそうな声でセイラムに尋ねた。常日頃、主に行儀作法のことなどでたくさん叱られているが、何だかんだでピエールはウォルクに大変懐いている。


「大丈夫だ。ウォルクの運動神経の良さはお前も知っているだろう?」

「でもぉ……」

「セイラムさま、空を飛べる魔術はないんですか?」


 ミシェルの問いにセイラムは彼女と視線を合わせて答えた。


「空を飛ぶ魔術はあるにはあるが、僕の力量では使えないんだ。とても難しいから。僕の兄弟子のグリニスというやつが、空飛ぶ箒を作る研究をしている。それが完成すればもっと簡単に空を飛べるんだが、まだ完成には至っていないようだ」


 紅炎の魔女クリムゾニカ・ケストナー。その一番弟子であるグリニス・ザミアン・ライライディーア。変わり者の多い魔術師の中でも群を抜いて変人で、人としての道徳観や倫理観が欠けているため、他の魔術師からあまり良くは思われていない。

 魔術師には珍しく精霊が嫌いで、精霊契約法を一切使わず、精霊そのものにもなるべく関わらないようにしている。

 優秀であることに間違いはないが、研究の方向性がいつも変で、三年ほど前は確か人工生命体ホムンクルスを作ることに熱を上げていた。何かよく分からない生命体が生み出されたところでクリムゾニカと組合ギルドに止められてしまい、研究はそこで終了したらしいが、あの研究を今も続けていたらどうなっていたのだろう。


 そうこうしているうちに、ウォルクはかなり高いところまで登り巣に手が届くところまで行っていた。先程からずっと烏による威嚇の鳴き声がする。


「気を付けろ、巣に雛がいるかもしれない! 攻撃されるぞ!」

「はい、うわっ!」


 ウォルクが返事した直後、一羽の烏がウォルクの背後から舞い降り、頭を掠めてサッと上昇した。


「烏の威嚇行動だ。次は攻撃されるかもしれないな」

「えっ」


 驚いて振り向くピエールをよそに、セイラムは杖を取り出した。


「ドゥームズの術式第百十八番、『風の吐息、そよぐは天壌の雲居にて』!」


 セイラムの足元から上昇気流が起こり、ウォルクを包み込んだ。烏は気流に阻まれてウォルクに近づけないようだ。


「ありがとうございます!」


 ウォルクはセイラムに向かってそう叫んだ後、幹を一気に上り詰め烏の巣を覗き込んだ。

 巣の中にはセイラムが予想したとおり、数羽の雛がいた。

 ピィピィと鳴く雛たちをそっとかき分け、ウォルクは巣の中を調べた。羽毛に埋もれる硬貨や何かの金属片、それらに紛れて、それはあった。

 親指の爪ほどの大きさの丸い硝子。糸を通す小さな穴が開いている。透明なそれは、光に当てると虹色に煌めいた。


「ありました!」


 ウォルクは大声を上げ、下にいる主に見えるように指先で摘まんだ丸い硝子を掲げた。ウォルクの手にきらりと光るものを見たセイラムは、すぐさま感覚を研ぎ澄ませる。

 集中。

 すっと瞼を開いたセイラムは、ウォルクの手から青色の魔力の粒子が発せられているのを確認した。


「それだ、間違いない!」


 セイラムの声に、ウォルクはほっと一息ついてぜつをシャツの胸ポケットに大事にしまい、烏たちに一言「邪魔をしてすまなかった」と声をかけ、するすると降りてきた。


「ウォルク、怪我はないか?」

「ウォルクさん、大丈夫ですか!?」


 セイラムとピエールが同時にウォルクに駆け寄る。


「怪我はありません、大丈夫です」


 微笑みながら返事をしたウォルクは、胸ポケットからぜつを取り出しセイラムに渡した。

 つやつやとした小さな丸い硝子。手のひらの上でころりと転がるそれをセイラムはディアーヌに見せ、次いで彼女の後ろに控えているアエスに見せた。


「これはお前の探し物に間違いないか?」


 アエスは目を見開いてセイラムの手のひらの上の硝子を見つめ、頷いた。


「……間違いない。私の風鈴のぜつだ」


 その表情は、まさに歓喜。

 それまでの鉄面皮から一転、満面の笑みを浮かべてセイラムに対して頭を下げた。


「リオン伯爵、礼を言う。私の宝を見つけてくれて、どうもありがとう。約束通りディアーヌの声と魂の半分を返そう」


 言うが早いか、アエスは風鈴を取り出しそれに向かって「還れ」と一言発した。すると、風鈴から煌めく靄のようなものがふわりと浮き上がり、ディアーヌの身体に吸い込まれた。


「あ……、え?」


 驚いたディアーヌは思わず声を発し、自分の声が出たことにさらに驚く。

 次にアエスは服の中からロケットペンダントを引っ張り出した。貴婦人の横顔が浮き彫りにされたカメオのペンダントだ。

 蓋を開けると、そこからも煌めく靄が浮き上がった。先程よりも大きな靄だ。それもディアーヌの身体に吸い込まれた。


「魂も返したぞ」


 ハッとしたアンジェリカが、手に持っていた小さな手提げ袋から手鏡を取り出してディアーヌに渡す。

 鏡にはディアーヌの姿がはっきりと映っていた。どこも透けてなどいない。


「お嬢様!」


 アンジェリカは喜んでいるが、ディアーヌはどこか戸惑った様子だ。鏡に映った自分の姿を矯めつ眇めつし、何度か声を発し、そして困ったようにアエスを見上げた。


「……よかったの? 本当に? 私、あなたに何も返せてないわ。母さんのことだって……」

「いいんだ。お前とエリザベートからはもう充分に貰っている」


 二人の様子に、セイラムは確信した。


「やはり、君たちは旧知の仲だったんだな」


 セイラムの声にディアーヌは顔を伏せ、アエスは鋭い目でこちらを見た。


「教えてくれないか? 君たちはどういう関係なんだ? ディアーヌ、君にいったい何があったんだ?」


 ディアーヌはアエスを見上げた。アエスは彼女を見下ろし、溜息を一つついて言った。


「わかった、話そう」

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