青の秘密 八

 気が付くと朝になっていた。いつものようにウォルクが入ってきて、セイラムを起こす。いつものように目覚めの一杯である熱い紅茶を飲み、顔を洗い、着替え、食堂に向かう。

 今日の服装はゆったりした白いシャツに灰色の上着と同じ色のズボン。藍色のネクタイに水色の飾り石の付いたネクタイピン。

 食堂に降りると、ディアーヌたちがすでに席に着いていた。

 ディアーヌは薄い木綿のドレスを着ていた。濃い青色と白のギンガムチェックでウエストはやや高め、背中にくるみ釦がずらりと並んでいる。

 アンジェリカは白と茶色とオレンジが組み合わさった格子縞のドレスを、ミシェルは白い麻のワンピースを着ている。襟と袖口はチョコレート色だ。

 ウォルクとピエールもそれぞれ動きやすそうなシャツとズボンだ。アエスのみ、昨日と同じ従僕のお仕着せだった。


『おはようございます、伯爵』

「やあ、おはよう、ディアーヌ嬢。みんなも早いな」

「セイラム様がお寝坊なんですよぅ」


 ピエールが口を尖らせながら言う。目の前にうまそうな朝食、腹はペコペコ、なのに主人であるセイラムがなかなか来ないからおあずけをくらっているのだ。


「すまないな。さあ、食べよう」


 セイラムが言うが早いか、ピエールはすぐさま皿に手を伸ばし、ウォルクにぴしゃりと叩かれた。苦笑いしながらセイラムも目の前の皿に手を伸ばし、サンドイッチを一つ取った。

 皿には山盛りのサンドイッチ、具はハムやキュウリ、チーズ、卵が入ったものもある。セイラムが取ったものにはサーモンとクリームチーズが入っていた。


「うまーい! これ滅茶苦茶うまいですよ!」


 ピエールはサンドイッチを頬張った後、目の前にあった別の皿の、白身魚を揚げ焼きにして野菜と茸の餡かけにしたものを食べて叫んだ。

 そしてウォルクにたしなめられた。


「ピエール、うまいのはわかったからもう少し静かに食べなさい」


 茸のバターソテーに鱈のフライ、そして大量の揚げたじゃが芋。デザートには糖蜜をかけたケーキが待っている。

 朝からやや重めの食事だが、今日の肉体労働を思うとたくさん食べておかなければ身体が持たない。

 セイラムは頑張って料理を腹に詰め込んでいたが、ピエールは元より、ディアーヌも結構な健啖家のようで、サンドイッチや揚げたじゃが芋を次々と口に運んでいる。

 アエスはやはり冷たい水のみ飲んでいた。精霊には普通の食事は必要ないのだ。基本的には。

 こちらを見向きもしないアエスに、セイラムは昨夜のことを問うタイミングを逃した。


 料理が粗方なくなり、ピエールとミシェル、ディアーヌの未成年三名はデザートの糖蜜ケーキを嬉しそうに食べ始めた。セイラムたちはそれを眺めながらコーヒーを飲む。

 全員食後のコーヒーを飲み終え、お腹も満足したところで、二十分後に玄関に集合として、仕度を整えるために一旦部屋に戻った。

 二十分後に集まった彼らは、初夏の日差しを避けるために、セイラムとウォルクはカンカン帽を被り、ピエールは昨日と同じキャスケット、ミシェルも同じく麦わら帽子を被っている。

 ディアーヌとアンジェリカも、洒落た麦わら帽子を被っていた。ディアーヌは白いレースと青いリボン飾りがついたものを、アンジェリカはオレンジのリボンが巻かれたもので、透けるほど薄いグレーのスカーフを帽子の上から巻き、顎の下で結んでいる。

 アエスのみ何も被ってはいなかったが、彼はそもそも精霊だ。太陽や月の光は精霊や魔術師にとって魔力の源になるので、好んで浴びたいものだろう。セイラムは人間なので夏の日差しは避けたいと考えているが。

 一行は手に宿で借りた潮干狩りの道具――熊手や大きなざるなどを持っていた。セイラムはさらに、数冊の法議書を入れた布の鞄を肩から掛けていた。


「よし、行こう」


 一行はアエスの案内で風鈴のぜつを落としたという白い砂浜に向かった。

 朝の日差しが爽やかに降り注ぐ中、一行は青い空、白い雲、青い海に近くの森の緑など美しい風景を楽しんだ。

 十分ほどで一行は砂浜に到着した。


 砂浜は広かった。


 途方もなく広かった。


 セイラムが予想していた倍以上、いや、数倍の規模があった。

 到着してすぐセイラムはがっくりと膝をつき、さすがのウォルクも呆然とした。ピエールとミシェルは不安そうにセイラムを見て、アンジェリカはディアーヌを見た。ディアーヌは何か悟ったような、受け入れたような、覚悟を決めた顔をしていた。


「ここだ。落としたのはあの岩の近くだったと思う」


 アエスは砂浜の中ほどにある岩を指差した。砂浜の真ん中の邪魔なところに突き出た岩だ。

 ひとまずその岩のところに移動し、近くに敷物を敷いて幕を張り休憩場所を作った。各々手荷物を置き身軽になると、すぐに作業に取り掛かった。


「この岩を中心に探そう。まず僕が魔術を使ってみる」


 セイラムは休憩場所に戻り、どの法議書を使うか選ぼうとした。


「って、アエスがいませんよ、セイラム様!」


 ピエールの声に顔を上げると、アエスの姿がどこにもなかった。


「構わない。はなからあいつは頭数には入れてない。これは僕たちがやらねばならないことだしな。ディアーヌ嬢との契約があるから、そう遠くには行っていないと思うが」


 ピエールは、ずるい、と言いたげに唇を尖らせた。そりゃあ、こんなだだっ広い砂浜で小さなガラスを虱潰しに捜さなければならないのだ。ある意味苦行に等しいこの仕事から逃れられるものなら逃れたいだろう。


「俺、今、ついてきたことを心底後悔しています」

「ああ、だろうな」


 ピエールから少し離れたところで、ディアーヌとアンジェリカは砂浜をきょろきょろ見回しながら話していた。


「お嬢様……」

『ごめんなさい、アンジェリカ。先に帰ってもいいのよ……?』


 ディアーヌは砂浜に直接字を書いている。これから地面に這いつくばったりしなければならないのに、帳面など持っていられないからだ。


「いえ、帰りませんよ。お嬢様のお供をせよと奥様からのご命令ですからね。最後までお供いたします」

『ありがとう。それにしても……』


 ディアーヌは顔を上げて周囲を見渡した。岩のこちら側、少し離れたところでピエールが悪態をつきながらつま先で砂浜を蹴っている。ウォルクとミシェルは大人しくセイラムを待ち、セイラムは休憩場所で荷物をあさっていた。

 ディアーヌは溜息をついた。


『……どうしたらいいのかしら』


 セイラムはまずぜつにアエスの魔力の残滓が残っていないか確かめようと、集中し感覚を研ぎ澄ませた。呼吸を深くし、己の血流と脈動を感じ取る。五感が鋭敏になり、耳は遥か上空の鳥の羽音を聞き取り、皮膚はごくわずかな空気の揺らぎを感じ取り、鼻は潮風の中の水の香りを、舌は吸い込んだ空気の塩気を感じ取った。

 感覚を目に集中させ、セイラムはそっと目を開いた。まず己の両手を見る。魔力が勿忘草の花のような青色の粒子となって手からチリチリと漏れ出ているのが分かる。

 次にセイラムは視線を上げて周りを見渡した。ディアーヌの身体から、明るく鮮やかな青色の粒子――魔力が立ち上っている。アエスの魔力だろう、彼女を守護しているのだ。昨日セイラムがかけた守護の魔術の効果である仄青い粒子も見えた。

 セイラムは砂浜を見渡した。ディアーヌの身体から立ち上っているのと同じ明るく鮮やかな青色の魔力の残滓を探す。だが、どんなに視ても、場所を移動しても、同じ魔力は見つからなかった。

――アエスの魔力はもうぜつには残っていないのかもしれない。

 セイラムはアエスの魔力の残滓を探すことを早々に諦め、休憩場所の鞄から持ってきた法議書のうちの一冊、ライライディーアの法議書を取り出し、探し物に有効な術式はないかとページを捲る。

 失せ物捜しに効きそうな術式を見つけたセイラムは、早速杖を構え、呪文を詠唱した。


「ライライディーアの術式第百八番、『光よ照らせ、失われたものの道筋を。ひそむは影の如く、水底に沈む貝の如く、森に潜む獣の如く、風に乗る雲の如く、地面に落ちるもの』!」


 反応はない。


「セイラム様?」

「ウォルク、みんなも、この周囲をよく見てくれ。何か光るものはないか?」


 セイラムの言葉に、全員が辺りを見回す。砂浜を舐めるように見たが、セイラムの言う光るものは何もなかった。

 場所を変えて何度か試したが、やはり何も効果はない。がっかりしたが、気を取り直してセイラムは次の法議書から術式を探した。


「ケストナーの術式第二百十五番、『光よ照らせ、其は風と星の廻る足音』!」


 こちらも効果はなし。他にもいくつか失せ物探しの術式を試したが、全て結果は同じだった。


「ではこっちだ」


 セイラムはゴッドフリートの法議書を取り出した。

 五賢者の一人、青の魔術師ことクレメンス・ゴッドフリート。『群青の水君』という異名を持ち、水に関する魔術に長けている。

 彼と彼の弟子たちで構成されるゴッドフリート一門は魔術師の最大派閥だ。実を言うと、セイラムはクレメンスに弟子にならないかとスカウトされたことがある。セイラムの師匠である『紅炎の魔女』クリムゾニカが丁重にお断りしたが。

 水と炎で相容れないのか、クレメンスとクリムゾニカは仲が悪い。お互い、それぞれが作り出した術式や体系については尊敬し合い、研究し合って魔術界のさらなる発展に貢献しているが、とにかく馬が合わない。顔を合わせれば嫌みの応酬だ。杖を出さないだけまだ冷静だしマシだろう。

 魔術師の中には顔を合わせるだけで決闘を始めるほど仲が悪い者もいると聞く。原因はたいてい自分の研究や魔術理論にケチをつけられた、とかだ。皆自分の魔術理論には絶対の自信を持っているから。

 師匠同士は仲が悪くても弟子たちは友好な関係を築いているため、セイラムはゴッドフリート一門の魔術師とよく手紙で意見交換などをして交流している。

 セイラムは水属性の魔術は苦手であるため、彼らの意見は非常に参考になる。代わりに、セイラムが得意とする火属性の魔術のコツを教えているのだ。


「ゴッドフリートの術式第七十一番、『雫の連なり、繋げて十三の波紋、還るは涙の請い』!」


 セイラムの目の前の波打ち際に不自然な動きが起こった。同心円状の波紋がいくつも生まれ、やがて、水底の貝や小石が浮かび上がって来たのだ。中には誰が落としたのか、指輪やハットピンなどもある。


「うわ、すっげぇ!」


 いつの間にか近寄ってきたピエールがその光景を見て感嘆の声を上げた。ディアーヌも近寄ってきて驚きの表情を見せる。


「浮かび上がったものをざるですくってぜつがないか確かめてくれ」


 セイラムの指示で全員靴を脱ぎ、セイラムとウォルクはズボンの裾を捲って波打ち際に入る。ピエールとミシェルも裸足になって水に入り、早速浮かんだものを笊ですくい始めた。

 ディアーヌも少々はしたないがスカートを捲り、ふくらはぎを露わにして水に入った。アンジェリカのみ浜辺に残り、ディアーヌがすくったものを一緒に確かめている。成人した女性が足を露わにするのはマナー違反であるため致し方ない。


「……ないな。くそっ」


 セイラムは浮かび上がってきたものを一つ一つ確かめて悪態をついた。海ガラスの破片はいくつもあるが、肝心の舌らしきものは見当たらない。

 何度も場所を変えてゴッドフリートの術式七十一番を試したが、舌は見つからなかった。

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