青の秘密 五
ピエールは、かつて両親と幸せに暮らしていた頃のことを思い起こした。
「どうしてあんなことになったのか、僕にはよくわかりません。ただ、父が……父は鉱石採掘と研究の仕事をしていたんですが、ある日、父が幼い頃に拾った何の変哲もない小石を譲ってくれっていう人が現れたんです。僕が九歳で、ミシェルが五歳の時です。思えばあの男は最初から胡散臭かった。ただの小石にとんでもない金額をつけてきて……」
「とんでもない金額?」
アンジェリカが問いかけた。ディアーヌも興味を示しているようだ。
「目の玉が飛び出るような、途方もない金額です。ただの小石にそんな値をつける男を信用することはできなかったし、あの男がそんな大金を持っているようには見えなかったので、父はその話を断りました。そうしたら、あの男、僕たちに付きまとうようになって……」
ピエールは一度大きく喘いだ。顔色は少し悪い。身の内を支配する恐怖と戦っているようだった。
「僕らの周りで不幸が連続して起こったんです。あまり良く覚えていないんですけど、男のことを相談した刑事さんや父の鉱物学の師匠が殺されて、近所の住人が飼っている犬や猫が何匹か死んでいるのが見つかって、あと火事が起きたり、近所の老人たちが次々に亡くなったり……うちの両隣の家が火災で全焼して、両方の家族が全員亡くなって、それで父は逃げることを決意したみたいです」
ピエールはあの日のことを思い起こした。
何でもない日を過ごし、ベッドに入ってうとうとしかけていたら突如母親に叩き起こされ、まとめた荷物を持たされ、夜陰に乗じて家を抜け出した時のことを。
ピエールは、何が起きているのかわからなくて心の底から不安だった。今自分たちが置かれている状況、起きている出来事について、両親が事情を説明してくれなかったからだ。子供たちに心配をかけまいと気を回したのだろうが、両親が苦悩し疲弊していく姿を黙って見ているだけ、というのは九歳の子供であっても辛いものだった。
何もかもでなくてもいいから、何が起きているのかほんの一部だけでも説明してほしかった。
「深夜、家族で家をこっそり抜け出し、夜通し歩いて大きな街に着くと、駅で汽車に乗りました。でも、あの男がつけてきていることに気が付いて、すぐに汽車を降りました。そこからは汽車を乗り換えたり、来た道を戻ったり、男を振り切ろうと滅茶苦茶に動き回りました」
あの時と同じように汽車に揺られながら、ピエールは記憶を掘り起こす。
「疲れ果てて転寝しているうちに、汽車は王都に着きました。夢うつつに、親に手を引かれて汽車を降りたのを覚えています。でも、その後のことはほとんど……半分寝ながらあちこち歩いたのは覚えているんですけど」
ミシェルもこくりと頷く。
「でも、あの男の人がずっとついてきてたのは覚えてます」
「ずっと?」
ミシェルの言葉にアンジェリカは問い返した。それにピエールが答える。
「ええ、ずっとです。僕たちは結局あの男を振り切ることができなかったんです」
ピエールとミシェルの手を引きながら、両親は何かをぼそぼそと話していた。それは何となく覚えている。
「気がついたら、僕とミシェルはどこだかわからない路地裏の物陰で寝ていました。両親の姿はなくて、上着のポケットに父の財布が入っていました。両親とは、それっきりです」
ピエールの上着のポケットにはもう一つ、メモが一枚入っていた。父の字で、『ミシェルを頼む』『必ず迎えに行く』『お前なら大丈夫だ』と、三言だけ書いてあった。
「で、僕は同じく浮浪児のコミュニティを見つけてそこにうまいこと入り込み、そこのリーダーに頭が回るところや要領の良さを見せて信頼を勝ち取り、そこそこ優遇されるようになったんですよ。すごいでしょう?」
自慢げに胸を張るピエールだが、ディアーヌとアンジェリカは相変わらず痛ましいものを見る顔だ。
「一年が経ち二年経ち、その間にリーダーが何度か変わりましたね。コミュニティのメンバーも、入れ替わりが激しかったです。運良く仕事を見つけて出て行ったり、へまをして捕まったり……捕まることの方が多かったな。みんな生きていくために必死だから、盗みとか、まあ、その、色々やってたし」
ピエールが歯切れ悪く言う。おそらくピエール本人も盗みか何かをやっていたのだろう。
『行政は何もしてくれなかったの? あなたたちみたいな、その、浮浪児を保護するとか』
「そんなの、全然何にもしてくれなかったですね。神殿の巫女さんたちは時々炊き出しをしてくれたし、女の子なら巫女になるという条件で引き取ってくれたんですけど。ミシェルも声をかけられたことがあったんですが」
「私、お兄ちゃんと離れたくなかったの」
そう言ってミシェルは兄の腕にしがみついた。
「で、一年前、偶然セイラム様と出会って、今に至る、というわけです」
ピエールは満足そうに笑った。セイラムも微笑を浮かべる。
『出会ったきっかけはどういったものだったんですか?』
ディアーヌの質問に、セイラムは微笑みながら答えた。
「うちに泥棒が入ってね、とある像が盗まれたんだ。精霊が宿っていると言われている緑柱石の竜の像でね。僕が今身に着けているこの指輪は、その像の欠片で作ったものなんだ」
そう言いながら、セイラムは左手の人差し指に着けている指輪を見せた。金の台座に見事な緑柱石がはめ込まれている。傷が入っているのか、光に反射して奇妙なきらめきが見えた。
「僕の先祖が、交流のあったとある魔術師から預かったものらしい。とても大事なものなんだとか。それが盗まれてしまったんだ。慌てて行方を追って、何とか取り戻したんだが、その途中でピエールとミシェルに出会って、二人にも協力してもらったんだよ」
ピエールとミシェルは誇らしげに胸を張った。
「二人のおかげで無事に像を取り戻し、犯人たちも捕らえることができた。お礼に何か欲しいものはないかと聞いたら、住み込みで働かせてほしいと言われたんだ。行く当ても帰る家もないし、貴族の屋敷で雑用でもさせてもらえたら、最低限の食事ぐらいは貰えるだろうからって」
ピエールとミシェルがこくこく頷く。ピエールの口にはジャムとクリームをたっぷり付けたスコーンが詰め込まれていた。
「ピエール、口に食べ物を詰め込むのを止めなさい。一口ずつ食べるようにと教えただろう?」
ウォルクが呆れた口調で言う。ピエールは慌てて呑み込もうとし、ディアーヌとアンジェリカはそれを見て笑い、アエスは神妙な顔でその光景を眺めていた。
その時。
セイラムとアエスが同時に勢いよく振り返った。二人の見つめる先には客室のドアがある。
二人に一瞬遅れてウォルクも振り返った。三人とも警戒態勢だ。
「ど、どうしたんですの?」
アンジェリカが問いかけるが、三人は答えない。
セイラムは自分の懐から杖を取り出した。長さは約四十センチ。透き通る花色(薄青色)で、野薔薇の模様が刻まれている。
師である赤の魔女に作ってもらった杖だ。
ドアを睨みながら、杖を構える。
次の瞬間、ドアが勢いよく開き、数人の男たちが飛び込んできた。同時に、攻撃魔術が飛び出してくる。
「ドゥームズの術式第四十三番、『稲妻を連ぬること煌めく槍の如し。地に落ち破滅をもたらせ』!」
「ソルターの術式第八十番、『地を這う蛇の毒の牙、其の鋭さは針の如く、その密やかさは影の如し』!」
「イグレシアスの術式第二十六番、『炎の轟音、灼熱の風。かき消すは人の世の無常』!」
呪文の詠唱と共に客室内に嵐が沸き起こり雷が落ち、炎が吹き上がって広がり、床には無数の影のような蛇の姿が現れて鎌首をもたげ、目にも留まらぬ素早い動きでセイラムたちを攻撃してきた。
セイラムが咄嗟に防御の魔術を展開しようとした時。
「
ひと言。
ほんのひと言、アエスが呟き、同時に手を振り下ろす。たったそれだけで雷も炎も蛇の姿も、すべてがかき消えた。
「なっ」
「馬鹿なっ」
驚愕し、動きが止まる男たち。
同時にセイラムが杖を構えながら前に出る。
詠唱するのは自分の師、『紅炎の魔女』クリムゾニカ・ケストナーが構築した術式だ。
「ケストナーの術式第五十九番、『
紅蓮の炎が湧き
鮮やかな体術にディアーヌとアンジェリカが目を瞠る。
『お強いんですね』
帳面の殴り書きを読んでセイラムは頷いた。
「うちの執事はとても優秀でね。昔うちに入った泥棒に土下座をさせたことがあるんだ」
時々あの鉄面皮が無性に恐ろしくなることが気のせいではなく、少しある。
素手で薪を割れる執事なんてルビロ中探してもうちだけだろうなぁ。
「くそっ、こいつら、強いぞ!」
「貴族のくせに魔術を使うなんて!?」
「退け、退けェ!」
廊下にいた男たちの仲間が泡を喰って逃げだした。ウォルクが素早く後を追う。
「深追いするな!」
「大丈夫です! それより、そいつらを!」
それだけ言い置いて、ウォルクはあっという間に姿を消した。セイラムは魔術で茨の蔓を作り出し、倒れている男たちを素早く縛り上げ、転がした。棘が痛そうだが我慢してもらおう。
「君たちはここにいろ! アエス! ここを頼む!」
セイラムは、ウォルクを追って走り出した。余談だが、セイラムは足の速さには自信がある。
ふと振り向くと、ピエールがどこで手に入れたのか掃除用のモップを手についてきていた。
「ピエール!」
「戻れ、なんて言わないでくださいね! セイラム様を一人にしたら、僕がウォルクさんに叱られますから!」
「……仕方がないな」
セイラムは前に向き直り、さらに加速した。「え、ちょっ、足速っ」と後ろから聞こえたが、構わず走り続ける。
「ウォルクさんたちが、ど、どこに行ったか分かるんですか?」
息を切らしながらピエールが尋ねてきた。
「わかるよ。微かだが残り香がある」
残り香とは魔力の残滓のことだ。魔術師の中にはこれを感知することに長けた者がいる。感知できるできないには個人差があるが、セイラムは感知できる方だった。光の粒子として見えるのだ。
襲撃して来た魔術師らの残り香を追って、セイラムとピエールは列車の後方に向かって走っていた。
いくつかの客車を駆け抜け、最後尾の客車の外にあるデッキに辿り着くと、ウォルクが何人かの男を外に叩き落としているのに遭遇した。ちょうど今走っているのは橋の上だ。男たちは川に落とされ派手な水飛沫を上げた。ピエールが「ひえっ」と小さな悲鳴を上げる。
「セイラム様」
こちらに気付いて振り向いたウォルクの後ろで、一人の男が身を起こした。ウォルクは気付いていない。
「うおおぉぉぉ!!!」
雄叫びを上げながら男が拳を振りかざし襲い掛かってきた。
振り返ったウォルクの腕を掴んで引き寄せ、代わりにセイラムが前に出る。手のひらに魔力を込めると、そこに炎が灯った。美しい緋色の炎だ。手のひらの炎に強く息を吹きかける。
炎が飛んで男の身体に火が点いた。
「うわああぁぁぁぁぁ!!!」
男が地面に転がって火を消そうとしているのを、ウォルクは無慈悲に列車から蹴り落とした。
この男も、先に落とされた者たち同様派手な水飛沫を上げた。
「ご苦労様。怪我はないか?」
「ありません、大丈夫です」
「なかなか派手にやったな。全員捕まえたかったが、まあ、仕方がないか。僕たち二人ではさすがに手に余る」
デッキに倒れている二人の男を先程と同じように茨で縛り上げ、杖を取り上げていると、列車の車掌と数名の乗務員が駆けつけてきた。
「い、一体何事ですか!?」
「騒がしくして申し訳ない。僕はリオン伯爵という。実はこの男たちに突然襲われたんだ。次の停車駅に連絡して、市警を待機させておいてもらえるかな?」
セイラムがそう言うと、車掌は慌てて駆け戻って行った。セイラムはその場に残った他の乗務員に話しかけた。
「どこか空いている客室にこの男たちを閉じ込めておきたいのだが」
そう言うと、乗務員らはすぐに、近くの空き部屋に案内してくれた。手分けして捕らえた二人の男をその空き部屋に運ぶと、セイラムは自分たちの部屋の男らもその部屋に運ばせた。
そのまま、セイラム自ら男らの見張り役になり部屋に留まる。ウォルクとピエールも一緒だ。
「お前たちは何者だ?」
転がされている五人の男たちにセイラムは静かに問いかけた。
「何が目的だ?」
男たちは黙ったままだ。
「誰かの命令か?」
沈黙が部屋を支配する。だがセイラムは、男の一人が目を泳がせたのを見逃さなかった。
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