青の秘密 四

 二日後、セイラムはウォルクとピエールとミシェルを伴い、王都ソルブリオの中心――王宮よりもやや南寄りにあるコルレクス駅にいた。コルレクス駅は王国内の様々な鉄道の始点であり終点になっている巨大なターミナル駅だ。

 ディアーヌとの待ち合わせ場所である。正面入り口の金時計の前に立っているセイラムは、ブルーグレイのラウンジスーツに身を包み、濃紫のネクタイを締め、ボウラーハットを被り、握り部分の銀に菫青石アイオライトがはめ込まれた黒塗りのステッキを持っていた。

 魅力的な立ち姿に通りすがりの女性たちはみな注目している。

 共にいるウォルクは、濃いグレーのラウンジスーツに芥子色のネクタイを締めている。上背があり姿勢がいいため、こちらも女性の注目を集めていた。

 ピエールはシャツに茶色のベスト、黄緑色のネクタイに茶色いチェックの膝丈のズボン、短いブーツ、茶色のキャスケットを被っている。

 ミシェルは現在八歳。兄と同じ藁色の、兄とは違ってふわふわした髪に水色の目の、可愛らしい少女だ。彼女は白いレースの襟の、紺色のワンピースを着ていた。足元は白い靴下と黒いメリージェーン・シューズ。そして麦藁帽子を被っている。

 大小いくつかのトランクを傍らに置き、しばらく待っていると、やがて、三人の男女がセイラムたちに近づいてきた。

 真っ直ぐこちらに向かってくる三人をよく見ると、うち一人は案の定ディアーヌだった。澄んだ青色のツーピースドレスを着ている。髪は簡単に結って残りは垂らし、白いレースのリボン飾りが垂れる、ドレスと同じ青色の帽子を被っている。足元は茶色いブーツだ。

 もう一人の若い女性は初めて見る顔だ。おそらくディアーヌの付添人――貴族の、未婚の若い娘は付き添いなしでは出かけない――だろう。明るい茶色の髪をクラウンブレイドにして、黒い縁取りのある地味な灰色のドレスに身を包み、ピンク色のリボン飾りの付いた黒い帽子を被っている。

 そして、男はなんとあの精霊だった。従僕フットマンのお仕着せに身を包み、仮面ではなく片眼鏡を着けている。髪も短くなっていた。


「ごきげんよう、ディアーヌ嬢」


 すぐそばまでやって来たディアーヌにセイラムが声をかけると、彼女はにこりと微笑んだ。

 ディアーヌは、予め書いておいたのであろう、小脇に挟んでいた帳面を捲り、セイラムに見せた。


『ごきげんよう、リオン伯爵。今日はよろしくお願いします。同行する女性は、私の付添人で伯母の侍女レディズメイドの一人、アンジェリカ・ワイズ。そちらの男性はあの精霊です。彼は現在、アエス・マクラウドと名乗っています』


 ディアーヌに紹介され、アンジェリカはぺこりとお辞儀をした。


「アンジェリカ・ワイズです。よろしくお願いいたします」


 精霊――アエスも軽く会釈をする。その完璧な擬態にセイラムは驚かされた。普通、精霊が人間に化けるときはどこか違和感があるものだ。瞳が人のものではなかったり、肌や髪の質感がどこかおかしかったり、何かおかしなところがあるものだが、アエスにはそれがなかった。真珠のような色だった巻き毛も、プラチナブロンドだと言える色に変化している。


「見事だな」


 思わず称賛すると、アエスはにやりと笑った。

 全員が揃ったので、一行は早速移動を開始した。各々荷物を持ち、改札に向かう。改札ではウォルクが代表して駅員に全員分の切符を差し出し、改札鋏で鋏痕を入れてもらった。

 そのままホームに進むと、汽車はすでに準備万端、白煙を上げて待機していた。

 堂々たる姿に、ピエールはわかりやすく興奮していた。頬を紅潮させ、機関車に駆け寄っていく。


「ピエール、落ち着け! 迷子になるぞ!」


 セイラムが大声を上げるが、ピエールは止まらない。


「お兄ちゃん! 待ってよ!」


 ミシェルも大声で叫ぶが、やはりピエールは止まらない。


「まったく、仕方がないな。ディアーヌ嬢、アンジェリカ、アエス、ミシェル、少しここで待っていてくれ。ピエールを捕まえてくる」

『わかりました』


 ディアーヌの返事を読むが早いか、セイラムとウォルクはピエールを追って走り出した。幸い、機関車までそれほど距離はない。


「まったく、主人を煩わせるなど、使用人としては失格だぞ」

「ええ、まったく……セイラム様」


 突如ウォルクが鋭い声を発した。走るスピードを落とすと、ウォルクが「あそこに」と向かって左にある階段を目線だけで示した。顔を動かさないようにして見ると、階段の後ろに男が数人潜んでいるのが見えた。


「気付いたか」

「うわ!? アエス!」


 突如セイラムのすぐ後ろにアエスが姿を現したため、セイラムは大声を上げた。要らぬ注目を浴び、気まずい思いをする。


「アエス、お前、ディアーヌ嬢と一緒にいなくていいのか?」


 ウォルクの問いに、アエスは口の端を上げるだけの笑みを浮かべ答えた。


「この距離なら少し離れても問題ない。それより、あの男たちだ。さっきからずっと私を見ている」

「お前を? 何故だ? 精霊だということがバレたのか? 精霊のお前を何かに利用するために……それとも、お前を見ていると見せかけて実はディアーヌ嬢を……?」

「いや、私だ。奴らは侯爵邸からずっと後をつけてきている。外から侯爵邸を覗き込んでいた。目的はわからないが、私が精霊だとバレているのは間違いないだろう」


 セイラムは深く考え込んだ。


「お前が精霊だとバレることに特に不都合はないが……奴らの目的は何なんだろう? 精霊のお前に用があるということは、奴ら、魔術師か?」

「魔術師ですね」


 横目で様子を窺っていたウォルクがセイラムの言葉を肯定する。


「杖を懐に隠しているようです。ホルダーが見えました」

「魔術師か……目的は高位精霊との契約か、あるいは高位精霊を無理矢理捕らえて見世物にでもするつもりなのか……」

「私はそう簡単には捕まらない」

「どうだろうな。精霊を捕らえるための術式がいくつも構築されている。油断はするな」

「わかっている。誰に物を言ってるんだ?」


 尊大な笑みを浮かべるアエスに、セイラムは顔をしかめた。


「というか、気付いていたなら対処しろ。お前ならあんな連中どうにでもできただろう?」

「……面倒くさい」

「おい!」

「セイラム様」


 ウォルクの呼びかけに、セイラムはハッと前を見る。そこには、ウォルクに襟首を掴まれたピエールがばつが悪そうな顔をして立っていた。


「捕獲しました。戻りましょう」

「……わかった」


 ウォルクはピエールの襟首を掴んだまま歩きだした。ピエールは「俺もうどこにも行きませんから! 放してくださいよ!」と叫んでいるが、ウォルクはお構いなしにすたすたと歩みを進める。


「セイラム様、あの連中はいかがなさいますか? ついてきているようですよ」

「あの連中? 何の話ですか?」


 きょろきょろするピエールに、セイラムは雑に教えてやった。


「アエスを監視している怪しい連中がいるんだ。今のところ、奴らの目的は不明だ。このまま様子を見よう。だが、警戒は怠るな」

「かしこまりました」


 その後、無事にディアーヌらと合流し、呆れ顔を浮かべる彼女らと共に客車に向かった。

 ウォルクが手配したのは一等客室だった。切符にかかれている番号の部屋に向かう。そこは、ワインレッドのソファセットが設置された美しい部屋だった。壁紙は落ち着いた茶色に金の蔦模様。小さいが重厚な造りのテーブルがあり、部屋の片隅にある戸棚にはティーセットが置いてある。充実している上に、七人が入っても狭苦しさを感じない、広々とした部屋だった。


「まあ……素晴らしい部屋ですね、お嬢様」


 アンジェリカが浮かれた声でディアーヌに話しかける。ディアーヌは頬を紅潮させながらこくこくと頷いた。


『ええ、汽車で、こんな立派な部屋は初めて』


 その隣ではピエールとミシェルも興奮した様子で部屋のあちこちを見て回っている。


「さあ、皆さん、そろそろ出発する時刻ですから、荷物を置いて席に着いてください」


 ウォルクの声に、皆、部屋の壁際の隅にトランクを置き、ソファに着席した。

 そのまま待つこと数分。

 ゴトンと鈍い音を立て、汽車が動き出した。徐々にスピードが上がっていく。


「すげぇ、はえぇ!」


 ピエールが興奮しながら窓の外を覗き込んだ。


「ピエール、すげぇ、ではなく、すごい、と言いなさい。それに、はえぇ、ではなく、早い、だ」

「はぁい」


 ウォルクの細かい指摘に返事をした後、ピエールはウォルクに見えないようにこっそり舌を出した。妹と顔を合わせて笑い合う。その様子を、セイラムとディアーヌは微笑ましい思いで見守っていた。

 汽車は市街地を抜け、郊外の田園地帯に入った。時刻はちょうど昼時だ。


「昼食にしましょう」


 ウォルクが、持参したバスケットから食事を出してくれた。

 肉や卵の入ったサンドイッチに揚げたじゃが芋、チーズ。小振りなスコーンにクリームと苺のジャム。林檎のタルトもある。

 ウォルクが食事を用意している間に、なんとアエスが紅茶を淹れてくれた。なかなか慣れた手つきだ。しかも、美味しい。

 食べていると、セイラムはディアーヌがノックワース兄妹を見ていることに気付いた。同時にピエールも、自分たちが見られていることに気付いたのだろう、ふと顔を上げ、ディアーヌと目が合ったことに驚いて変な声を漏らした。ちなみにピエールは口いっぱいにサンドイッチとじゃが芋を頬張っていた。


『ごめんなさい、驚かせて』


 ディアーヌが慌てて書いた文を読んで、ピエールは口の中のものを飲み下してから返事をした。


「いえ、大丈夫です。……僕たちに何か用ですか?」


 ミシェルも食べるのをやめ、兄とディアーヌを交互に見ている。


『用と言うほどのものではないのだけど……あなたたちは伯爵の屋敷の使用人なのよね? ご両親も伯爵邸で働いているの?』

「いえ、僕たちだけです。両親は……いないんで」


 な、という風にピエールはミシェルを見た。ミシェルも兄の顔を見て頷く。


『いない?』

「ええ、僕たち捨てられちゃったんです。親に置き去りにされちゃって……二年くらい貧民街スラムで暮らしてたんですけど、昨年セイラム様に拾っていただいて、住み込みで働かせてもらってます」


 痛ましい顔をするディアーヌとアンジェリカに、ピエールはにっと笑顔を見せた。


「そんな顔しないでください。僕たちは今幸せだし、運がよかった。僕たちみたいな子供、他にいくらでもいますから」

「ピエール、フォローになってないぞ」


 セイラムのツッコミを聞いているのかいないのか、ピエールとディアーヌの会話は続く。


「ソルブリオの南側……やや西寄りにある貧民街です。南一番地区と西十番地区の。僕たちあそこに置き去りにされたんですよ。両親に置いて行かれたんです」

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