青の秘密 三

「さっきも言ったが、この契約は闇の魔術に属するものだ。僕はこれを組合ギルドに報告しなければならないし、組合ギルドはお前を厳罰に処すだろう。それに……」


 セイラムはちらりとディアーヌに目をやった。


「お前、彼女のことを大事に思っているのではないのか?」

「……え?」


 黙って話を聞いていたシンシアが、驚愕の表情で精霊を見る。


「高位の精霊が、たかが人間の娘を短いとは言え生涯に亘って守護するなど、あまり例がないことだ。お前は彼女のことを気にかけている。死なせたくないと思っているんだ……そうか、契約を持ちかけたのか?」

「……そうだ」


 不機嫌そうな顔で精霊が認めた。眉間に深いしわが刻まれている。


「彼女の身に何があったのか、今は聞かないでおく。だが、彼女を早死にさせたくないのであれば……」

「わかった、わかっている。ディアーヌの魂の半分と声を返そう。ただし」


返すという発言に喜びかけた一同だったが、続く言葉にすぐに静まった。


「交換条件がある。あるものと引き換えだ」

「あるもの? それは何だ? 我々に用意できるものなのか?」

「ああ。多少頑張ってもらわねばならないが。それと引き換えであれば、私はディアーヌの魂の半分と声を返そう」

「……つまり、あくまでお前は彼女の守護者を辞める気はないのだな?」

「そうだ」


 精霊は、先ほどまでの焦ったような気まずそうな顔が嘘のように、すました顔をした。


「それで? あるものとはいったい何なんだ?」


 セイラムの問いに、精霊は答える。


「一年半ほど前、私はあるものを失くしてしまった。それは私にとっては宝物で、唯一無二のものだ。それを探して欲しい。それを見つけられたら、ディアーヌの魂の半分と声を返そう」

「なるほど。それで、再三訊くが、あるものとは何なんだ?」

「これだ」


 精霊がパチン、と指を鳴らすと、その手に美しい硝子の風鈴が現れた。薄青く透明の、ころんと丸い形。余計な飾りや模様が入っておらず、シンプルで可愛らしい。

 精霊はその風鈴の上部に通してある白い麻紐を指先でつまみ、プランとぶら下げた。

 全員がこの美しい風鈴にくぎ付けになる。窓から風がそよと吹き込み、風鈴にぶら下がっている青い色紙を揺らした。

 硝子とぜつがぶつかって立てる美しい音色を誰もが想像していたが、予想に反して聞こえてきたのは鈴を転がすような少女の笑い声だった。


『くすくすくすくすくす……ふふふっ、うふふふふ…………』


 驚きの表情で風鈴をまじまじと見つめるセイラム。横目でちらりと見ると、ウォルクもシンシアもディアーヌも、同じ表情をしている。と、ディアーヌが帳面に何かを書き込んだ。


『私の声です』

「何だって?」


 風鈴をよく見ると、ぜつがついていなかった。


「彼女の声を風鈴に入れたのか?」

「そうだ。ぜつを失くしてしまったのでね。彼女の声は綺麗だし、気に入っていたから。……探して欲しいのはこのぜつだ。親指の爪ぐらいの大きさの硝子でできていて、光の当たり方によって虹色に煌めくんだ」


 セイラムは顔を引き攣らせた。自分の親指の爪をまじまじと見る。


「この風鈴の、ぜつを探せだと? こんな小さなものを? しかも、一年半も前に失くしたものを?」


 シンシアもぽかりと口を開ける。


「なんてこと……いったいどこで失くしたというの?」

「セント・ルースの海岸だ」


 セント・ルース――ルビロ王国南部の海辺の街だ。大きな港があり、外国との交易が盛んに行われている。漁業が盛んなことでも知られており、海鮮市場は常に賑わっている。厄災から住民を守った海の精霊を讃える神殿があることでも有名だ。


『セント・ルースは私の故郷です。海岸というのはおそらく、海水浴ができる白い砂浜のことだと思います』

「砂浜だと?」


 セイラムは頭を抱えて呻いた。と思ったら、すぐに顔を上げた。髪が多少乱れてはいるが。


「絶望的だ……いや、やれるだけのことはやるさ。関わった以上はな」


 そう言って、セイラムはウォルクに指示を出した。


「セント・ルースに行く。出発は……そうだな、二日後にしよう。汽車の切符と宿の手配を頼む」

「かしこまりました」

『私も行きます』

「ディアーヌ、あなた……」

『止めないでください、伯母さま。他ならぬ私のことなんですもの、私も探すのを手伝います』


 この文章を見せた後、ディアーヌは少し考え、再び帳面に何か書き込んだ。


『それに、これは私の問題なんだもの。私も動かないと。何かせずにはいられないのよ』

「ディアーヌ……」


 シンシアが目頭を潤ませた。精霊は黙ってディアーヌを見つめている。

 セイラムはその様子を見て頷くと、ウォルクに追加で指示を出した。


「手配は彼女の分も。彼女の付添人の分もな。それから……ピエールとミシェルを連れて行こうと思っているんだが」

「あの二人を?」

「ああ。探し物を手伝ってもらおう。子供はそういうの得意だろう?」

「まあ、手は多い方がいいですしね。わかりました。手配しておきます。二日後、ですね?」

「そうだ、頼む」


 ウォルクに指示した後、セイラムはディアーヌとシンシアの方に向き直った。


「お聞きの通り、二日後に出発します。詳しい予定は後ほど連絡します」

「わかったわ、伯爵。ディアーヌのこと、よろしく頼むわね」

『よろしくお願いします』

「ええ、もちろんです。必ず君の魂の半分と声を取り戻すよ」


 そう言ってセイラムは微笑んだ。内心は、どうしたものかと頭を悩ませていたのだが。


      ***


 リオン伯爵邸に戻ったセイラムとウォルクは、すぐに旅の支度にかかった。ウォルクは汽車と宿の手配に奔走し、セイラムは見習い従僕フットマンのピエールに手伝ってもらいながらトランクに荷物を詰めていた。

 ピエール・ノックワースは現在十二歳の少年だ。藁色の髪に水色の目。頬に散ったそばかすが彼を少し幼く見せている。

 彼は一年前まで、四歳年下の妹ミシェルと共にスラムで暮らしていた。とある事件の調査中に二人と知り合ったセイラムは、身寄りがない二人を引き取り、見習いという立場で、住み込みで働かせることにしたのだ。

 幼い子供を働かせることに罪悪感がないと言えば嘘になるが、ただで引き取るわけにもいかないため、苦肉の策だ。幸い、兄妹は特に文句も言わず、日々頑張って働いてくれている。


「ピエール」


 セイラムの声に、ピエールは手を止め主の方を振り返った。


「何でしょうか?」

「今回の件なんだが、お前とミシェルにも手伝ってほしいんだ。なに、ちょっと広い砂浜での宝探しだよ。危険はないと思う。多分」


 その言葉にピエールは、ほんとかよ、と疑わしげに顔をしかめた。


「高位精霊が関わっている以上まったく危険がないとは言い切れない。だが、お前とミシェルの身の安全は何としても守ると約束するよ」

「いや、僕のことはいいので、ミシェルだけは確実に守ってください。それだけ約束していただけるんなら行きます」

「わかった、約束する」


 セイラムの返事に、ピエールは満足そうに頷いた。

 そこに、ウォルクがやって来た。


「セイラム様、全ての手配が終わりました。今スカーフィア侯爵邸に使いをやって、詳しい日時などを知らせました」

「そうか、ありがとう。ご苦労だった」


 主の労いにウォルクは目元を綻ばせる。だが、ほんの一瞬で表情を真面目くさったものに戻した。


「セイラム様、ピエールに今回の件のことは……」

「今言った。了承してくれたよ」

「わかりました。ピエール、ここはもういいから、ミシェルと一緒に自分たちの荷物の用意をしてきなさい」

「わかりました。じゃあ、あとお願いします」


 そう言ってピエールはさっさと部屋を出て行った。

 ウォルクはピエールがいた場所にしゃがみ込み、手際よく荷物を詰め始めた。時折、セイラムが入れたどう考えても必要なさそうなもの――ティーセット一式やチェス道具一式など――をトランクの外にポイッと出す。


「ああ、それは……」

「どう考えても要りません。チェスなどやっている暇はないでしょうし、必要なら宿かどこかで借りればいいでしょう。ティーセットも宿にあります。確実に」


 不満げな顔をする主に、ウォルクは目を向けた。


「それよりも、今回の件、勝算はあるのですか? 砂浜から親指の爪ほどの大きさの硝子を見つけ出すなんて、正直に申し上げて無謀です」

「わかってるさ、無茶だってことは。だが、やるしかない。でなければディアーヌ嬢は早死にする。今すぐ死ぬわけではないが、十年後も生きていられるかどうかは保証できない」

「ですが」

「ウォルク。これは僕の役目で、使命だ。そこそこの強さの魔力を持って生まれ、赤の魔女に弟子入りして魔術について学んだ僕に与えられた、な」


 通常、生まれつき魔力をその身に宿した者は魔術師になる。魔術師は魔力を使って魔術を行使する者であり、また、探究者でもある。この世の真理や律を解き明かすため、新しい術式を構築するため、常に何かを研究している。

 研究に夢中になるあまり、寝食など魔術以外の他のことがおろそかになるため、魔術師は変人揃いだと思われ、世捨て人だと思われている。間違ってはいないが。

 そして、貴族は魔力を持って生まれても魔術師になるものはほとんどいない。貴族には貴族としての誇りがある。貴族としてしか生きられないのだ。

 それに、人々は魔術師を忌避している。人智を越えた力を持ち、その力を悪意を持って使う者がいるからだ。

 セイラムも魔力を持って生まれてきた。この魔力が微弱なものであれば放っておいても良かったのだが、残念ながらそこそこの強さを持っていた。魔力は意思や感情で動き、強い感情の下では簡単に暴走する。魔術師になる気はなくとも、制御のために一時的にでも魔術師の弟子になる必要があった。

 幸い、リオン伯爵家は古くから、五賢者の一人である赤の魔女、あるいは『紅炎の魔女』とも呼ばれる偉大な魔術師と懇意にしていたため、セイラムはごく短期間ではあるが彼女に弟子入りし、魔力の制御と基本的な魔術を教わった。

 そこで終わるはずだったのだが、魔術について学ぶのが思っていたよりも楽しかったため、今も細々と研究を続け、セイラム独自の術式をいくつか構築し、杖まで作ってもらう始末。

 魔力を持って生まれた貴族でここまでする者はまずいない。

 おかげで貴族たちからは立派に変人扱いされ、国王陛下からは精霊と魔術師がらみの事件の専任捜査官に任ぜられてしまった。

 そして、セイラムは与えられたこの役目に忠実に取り組んでいる。

 セイラムには目標がある。役目をこなすことによって、その目標に近付けると信じ、事件の大小は問わず片っ端から取り組んでいるのだ。


「心配するな。とりあえず杖は持った。魔術書もいくつか入れた。ケストナーの法議書とライライディーアの法議書。他にもいくつか。水辺だからゴッドフリートの法議書も持った。役に立つ術式がきっとあるだろう」

「……だといいのですが」

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