青の秘密 二

 自分の部屋で細々とした仕事を終えたセイラムは、約束通りスカーフィア侯爵邸へと向かった。セイラムが御前会議に出ている間、部屋で待機していたウォルクも一緒だ。

 王宮から馬車で二十分ほど、貴族の邸宅が立ち並ぶエリアにある侯爵邸は、薄緑色の屋根と白い壁の、一部が三階建てになっている巨大な館だ。

リオン伯爵家の馬車は玄関の車寄せに行儀よく止まった

 セイラムはスカーフィア女侯爵の言葉を思い起こす。


――曰く、姪を助けてほしい、と。


 スカーフィア女侯爵には妹が一人いた。名前はエリザベート。エリザベートは大恋愛の末、遠縁にあたる男の元に嫁ぎ、王国南部の港街で暮らしていた。さほど裕福ではなかったが、二人には娘が一人生まれ幸せな日々を送っていた。だが、娘が五歳の時に男が事故に遭い死んでしまう。

 母娘二人で生きてきたが、昨年、エリザベートも死んでしまい、娘は身寄りを失くしてしまった。このため、女侯爵が娘――姪っ子を引き取ったのだ。

 だが、この時姪は声を失っていた。母親を亡くしたショックで失ったのかと思いきや、違うという。おまけに、彼女の影は異様に薄く、鏡にも半分透けて映るのだ。何事かと問いただすと、契約の対価として失ったのだという。

 誰と交わしたどういう契約なのか、内容については制約があるため言えないとのことだが、他のことについては姪が筆談で教えてくれたそうだ。

 スカーフィア女侯爵は、この契約の破棄もしくは内容の変更を望んでいるのだ。声がなければこの先、貴族社会で生きていくのは難しいし、鏡に半分透けるのも何かと困りもの。女侯爵は王都から遠く離れた海辺の港街育ちの姪っ子を立派な淑女にしたいのだ。本人がそう望んでいるかどうかは分からないが。

 馬車から降りると、侯爵邸の執事と共にスカーフィア女侯爵が出迎えてくれた。彼女は王宮でセイラムと別れた後、すぐに帰宅したらしい。王宮にいた時とは違うドレスに着替えている。王宮では黒に近い暗い緋色のドレスを着ていたが、ここでは濃い灰色の、シンプルなドレスを着ている。襟のレースと、背中にずらりと並んだくるみボタンが特徴だ。

 女侯爵、シンシア・マルグリット・ド・スカーフィア。金髪と青い瞳、豊満な胸が魅力的な、御年三十五歳の美女だ。

 四年前に夫に先立たれた後、婿養子だった夫の後を継いで爵位を継承し、外務大臣に任命された女傑。夫の死後、一貫して喪服のような暗い色のドレスを着用し、数多の男たちのデートの誘いを全て一蹴し、夫に操立てしている純情な女性でもある。


「ようこそ、我が家へ。そちらの方は?」


 にこやかに微笑みながら、ウォルクを見て誰何するシンシアに、セイラムも微笑んで答える。


「お招きいただきありがとうございます、女侯爵。彼は僕の執事(バトラー)で助手のウォルク・サジェといいます」


 セイラムに紹介されたウォルクは深々とお辞儀をして挨拶した。シンシアは笑みを深める。


「よろしく、サジェさん。……では、伯爵、早速だけれど姪に会ってやってもらえるかしら?」

「ええ勿論。そのために来たのですから」


 侯爵邸の執事が先導し、セイラムはシンシアと共に館の奥に進む。ウォルクは二人の数歩後ろを歩いている。

 やがて客間に到着し、セイラムとウォルクは椅子を勧められた。セイラムはごく普通に、ウォルクは恐縮しながら着席すると、すぐに熱い紅茶や焼き菓子などが用意された。

 シンシアは二人が着席するのを見届けてから、客間を出て行った。

 そのまましばらく待っていると、シンシアが少女を一人連れて戻ってきた。

 年のころは十五、六歳ほど。金色の巻き毛にサファイア・ブルーの大きな瞳。意志の強そうな眉に金色の長いまつ毛、サンゴ色の唇。女侯爵に引き取られておよそ一年、その間に手入れされたためか、引き取られた当時小麦色に焼けていたという肌はすっかり白くなっている。

 まだ社交界デビューデビュタント前であるため、髪は簡単にハーフアップにして垂らしており、深い青色のドレスの裾は足首が見える丈だ。

 少女は、真っ直ぐセイラムの前にやってきて、優雅なカーテシーを披露した。

その後すぐに、手に持っていた大きめの帳面のページを捲り、そこに書かれている文をセイラムに見せる。


『初めまして、ディアーヌ・マリアンナ・ロイシーと申します』


 見事な手跡だ。これもここに来てから習ったのだろうか。ともかく、声を失っているというのはどうやら本当らしい。


「初めまして、レディ・ディアーヌ・ロイシー。僕はセイラム・ジャン・アルベルト・ド・リオンと言います。彼は僕の執事で助手のウォルク・サジェ」


 セイラムが立ち上がって挨拶と自己紹介をすると、隣にいるウォルクも立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。ディアーヌはウォルクにお辞儀を返す。


「さ、ディアーヌ、あなたもお座りなさい」


 シンシアに促され、ディアーヌはセイラムの向かいの椅子に腰を降ろした。隣にシンシアも着席する。


「伯爵、ご覧の通り、ディアーヌは声を失ってしまったようなの。それに……」


 シンシアはそばに控えていた執事に目配せした。執事はすぐさま、部屋の隅に待機している客間女中パーラーメイドから銀の盆を受け取りシンシアに差し出した。シンシアは、盆の上に載っている手鏡を取り、ディアーヌが映るように持つ。

 鏡に映し出されたディアーヌの姿は、とても薄く、背後の景色が半分透けて見えていた。セイラムは驚きつつも、顔には出さないように努めながら鏡を覗き込む。鏡の中のディアーヌが興味深そうにセイラムを見返してきた。


「これは、女侯爵が彼女を引き取った時にはもうこの状態だったのですか?」

「ええ、そうよ」


 シンシアとディアーヌは二人そろって首肯した。


「君はあまり困ってはいないようだね?」


 セイラムがそうディアーヌに言うと、彼女は困ったように微笑んで帳面に何かを書き込んだ。


『契約に対する正当な対価だと思います』


 その言葉にセイラムは頷く。

 そもそも魔術とは「契約の履行」だ。魔術師は己の身体に宿る魔力を公式に則った術式に流し込んで魔術を行使する。魔力を対価にしたある種の契約であるわけだ。

 魔術師ではない彼女は対価として声などを差し出したのだろう。

 補足しておくと、魔術とは魔力を使う技、人が身につける特別の技、技術であり、手順を踏み、原理の分かっていることである。決して奇跡などではない。

 ディアーヌが結んだ契約は、おそらく人ではない何か――精霊が相手だろう。ディアーヌから微かに精霊の気配がする。

 人ならざるものとの契約にはリスクが付き物だ。彼らは契約の履行に忠実だが、よく人を騙したりずるい手を使ったりもする。屁理屈をこねて無理矢理契約を終わらせようとしたり、法外な対価を支払わせようともする。魔術師は、人ならざるものと契約を交わすときは、言葉に気を付けなければならない。彼らは人の揚げ足を取ってくるから。


「身体の一部を奪われるような契約は明らかに闇に属するもので、組合ギルドの処罰の対象だ。ましてや、魂の半分を奪われるなど、厳罰に処される恐れがある」


 その言葉に、シンシアがディアーヌに振り向いた。


「魂?」

「ええ、鏡に映った姿が半分透けているのは魂を半分取られているからです」


 シンシアの独り言の様な疑問にセイラムが答える。


「誤解なきように言っておくが、厳罰に処されるのは君ではない。君と契約した相手だ」


 その言葉にディアーヌは顔を強張らせた。


「契約相手のことを心配するのなら、今すぐ契約を破棄するか内容の変更を求めた方がいい。君は自分の声が失われたままでいいのか? 魂の半分が失われたままでは長生きはできないぞ」


 と、その時、急に精霊の気配が大きく膨れ上がった。ディアーヌとシンシアは気付いていないが、魔力を持つセイラムと元々感覚の鋭いウォルクは気付いてサッと立ち上がる。


「どうしたんですの、伯爵?」


 シンシアの問いには答えず、セイラムは気配に対して話しかけた。


「当代リオン伯爵の名において命ずる。……汝が姿をここに現せ」


 その声に呼応して、は姿を現した。

 は若い男の姿をしていた。人間で言うなら二十代半ばくらいの年齢だろう。背は高く、姿勢もいい。真珠色のくるくるとした長い髪を後ろで一つにまとめて縛っている。そして、濃く鮮やかな青色の瞳。瞳孔は縦に細長く猫のようだ。

 着ているものは、百年ほど前の貴族のような格好だ。すなわち、豪華な刺繍の入ったコートにウエストコート、首元にはクラヴァット、半ズボンに白い絹靴下、そして黒い革の靴。

 目を引くのは顔の上半分を隠す仮面だ。繊細な銀の透かし細工でできており、それはその男によく似合っていた。

 セイラムは警戒を強めた。ウォルクはセイラムを守るように、一歩前に出る。


「お前は、高位精霊だな?」


 力の強い高位の精霊ほど素顔を隠す。精霊たちは、素顔を見られると本質を読まれ、利用されると思っているらしい。

 ディアーヌのすぐ後ろに立ち、余裕のある笑みを浮かべているその精霊は、ますます笑みを深くした。


「如何にも。私は高位の存在だ」

「彼女との契約の内容は?」

「知りたいのなら対価を寄越せ。だが、これはディアーヌ自身が望んだことだ」


 セイラムは少し考え込み、慎重に口を開く。発言は慎重にしなければならない。揚げ足を取られるかもしれないから。


「彼女の望みの対価が、魂の半分と声なのか?」

「そうだ」

「彼女の望みは、お前がその対価を得るにふさわしいものなのか? すなわち、魂の半分と声という、かなり重い対価に相当するものなのか?」


 精霊は重く頷く。


「そうだ。……これだけ教えてやろう。私はディアーヌの魂の半分と声を対価に、彼女を守護している」

「守護だと?」


 セイラムは再び考える。


「どういう状況下でその契約を交わすに至ったんだ? 何から彼女を守っている? 彼女の身に何か危険が迫り、たまたま近くにいたお前に助けを求めたということか? それとも、危機的状況に付け込んで無理矢理契約を交わさせたのか?」

「人聞きが悪いな、伯爵。私はディアーヌを脅したりなどしていない」

「脅しはしなくとも、お前に縋る以外に助かる方法はなかったということか」


 図星をつかれたのか、精霊は少し顔を歪めた。


「彼女が何か危機的状況に陥り、精霊に助けを求め、契約を交わして守ってもらった。危機的状況というのが命に関わるものであるなら、魂の半分と声が対価になるのは理解できる。だが、なぜお前はまだ彼女を守っている? 彼女はもう危機的状況にないだろう?」


 セイラムの疑問に答えたのはディアーヌ本人だった。

 ディアーヌは急いで帳面に何ごとか書き付け、セイラムに見せた。


『私がお願いしたのです。魂を半分渡すことで私の寿命は残り少なくなりました。なら、残りの人生を平穏に過ごすために、私を守ってほしいと。そのために、声を』

「つまり君は死にたくないがために彼に魂の半分を売り渡し、死にたくないがために彼にボディガードを頼んだわけだ。声を対価として」


 セイラムは大きく溜息をついた。


「矛盾しているな。死にたくない。なのに、魂の半分を支払ったことで君の寿命は縮んでしまった」


 ディアーヌは泣きそうな顔で俯く。精霊はディアーヌの肩に手を置いた。


「ディアーヌ嬢、もう一度聞く。君は自分の声が失われたままでいいのか? 魂の半分が失われたままでは長生きはできない。君は本当にこのままでいいのか?」


 ディアーヌは困った顔で目を泳がせ、帳面に何ごとか書き付けた。


『でも、すでに契約は成りました』

「本音を言いたまえ」


 再びディアーヌは帳面に何かを書く。


『死にたくない。もっと長生きしたい。母さんは私に生きてって言った』


 セイラムはそれを読み、頷いた。


「精霊、お前に問う。契約内容の修正は可能か? 魂の半分と声以外に、契約の対価に成り得るものはないのか?」

「……何だと?」


 精霊が眉間にしわを寄せてセイラムを睨みつけた。


「伯爵、お前、正気か? すでに成った契約の内容を書き換えようと言うのか?」

「そうだ」


 セイラムも精霊を睨みつけた。

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