第19話 信頼

「雑!」

 時雨はそれにしっかり苦情を言うと

「鬼になったことで、一度は陰の気に完全に傾き、陰の気しか受け付けなくなっていたのが、蒼鬼という呪を解いたことで、陽の気もまた受け付けるようになったってことか」

 自分なりにまとめ直す。

「だろうな。他に考えられん。とはいえ、鬼に堕ち、あれだけのことをした俺の呪が消えるなんて」

 蒼月は戸惑いを隠せず、手を握ったり開いたりしている。

「でも、まだ、人間じゃないか」

 それから、寂しそうに呟いた。

 時雨はそんな蒼月の横顔を見て、そうだなと頷くことしか出来ない。

 そう、鬼という呪が完全に消えたわけではない。生れ落ちてすぐに与えられてしまった呪は、まだまだ蒼月の心の奥深くに根を張っている。だから今も、清濁両面を持つ、不思議な力を宿している。

 まだ、彼にはこの世界と隔たりがある。普通の人間とは違う何か。それは一生消えることがない。これから先も、その大き過ぎる力に振り回されることになる。

 だが、蒼鬼という呪は消えたのだ。本庁が彼に掛けた呪は消えた。

「いいんじゃないの? 本当は素直なのに悪ぶっているだけの春仁くんってことで」

「てめえ」

 真名を言うなと、蒼月は時雨の頭を容赦なくど突く。それに時雨は何をしやがるんだと蹴り返し

「俺は藤木優ふじきゆうだ。これで真名を知ったことはチャラだから」

 自らの真名を明かし、にやっと笑う。

 陰陽師同士において、真名を明かすことがどれだけ危険か。それを知らない時雨じゃない。蒼月も同じだ。

 互いに真名を知る関係は、絶対的信頼関係がなければあってはならないことだ。

 陰陽師の真名は、必要とあれば、知ってしまった相手を殺すほど、重たいもの。

 相手の総てを支配するだけの呪を使える状態を、許容できるということ。

「ふんっ」

 信頼されたことを悟った蒼月が、ぷいっと顔を逸らす。時雨はそれににやにや笑い、面白いだろと二人に言う。

 蒼鬼じゃなくなった蒼月は、ちょっと年上の先輩陰陽師でしかないのだ。

「めっちゃ可愛いじゃん。あっ、私は司桔梗つかさききょうよ」

 月見もにやっと笑い、蒼月によろしくねと名乗る。

「俺は加賀龍太かがりゅうたな。って、なんか、すげえ展開」

 青葉も真名を明かし、何がどうなっているんだと時雨をせっつく。

「どうしますか? 籠宮春仁」

「喋るな。殺すぞ」

 時雨はどこまで教えると笑うと、蒼月に調子に乗るなともう一度頭を叩いた。それから

「俺の真名は生け贄にされそうになった時のもんだ。あんま呼ぶな。蒼月でいい」

 少し顔を赤らめてそう付け足す。

 重すぎる過去。その一端を自分の口で明かしただけでも進歩だ。時雨はどんっと蒼月の背中を叩く。

「いって」

 蒼月はわざとらしく顔を顰め、それから

「やり難いんだよ」

 小さく文句を言う。

「全部知っちゃったからなあ」

 それに時雨は、諦めなと笑ってやる。

(全部知ったからこそ、自分が蒼月とこの世界の懸け橋にならなければ)

 その覚悟を今、示す時だ。

 真名だって、本庁が与えたものだ。

 蒼月の人生には、その他のものがない。

 記憶では本庁に預けられた場面しかなかったが、そうなった理由は推して知るべし。鬼と呼んでしまった母親は、彼に名すら与えず逃げてしまった。

 そんな彼の、初めてのその他の何かになりたい。

 今は、切実にそう思う。

「おい」

 和気藹々と楽しむ四人に、それまで距離を取っていた由比が近づいた。

「あっ、忘れてた」

 蒼月が今の聞いていたのかと睨むと

「真名に関しては聞いていない。といったことで信用は出来ないだろう。俺の真名は若松優紀わかまつゆうきだ。必要とあれば殺せ。それより、姫の気をお前が取り込んだのは解ったが、姫本体は消えたのか?」

 あっさりと真名を明かし、どうなんだと意見を求める。

 信頼関係もなく、また、圧倒的に蒼月が強いことを理解しての行動だ。

 その覚悟に蒼月は頷くと

「確認する必要があるな」

 洞窟へと目を向けた。

 今や清浄の気配は伝わってこないが、静まり返った洞窟は不気味な雰囲気を醸し出している。

「あの姿は術だったんだよな?」

 時雨は戦闘態勢は必要かと呪符を取り出すが

「そう、術だった。だが、もう何も出来ないだろうね」

 必要ないと蒼月は真っ先に歩き出す。

「あっ」

「待って」

 慌てて蒼月の後ろを追い掛け、五人揃って洞窟の中へと踏み込んだ。

 戦闘によって血の臭いが立ち込めていたはずの中は、今は凛とした空気に変わっている。

「榎本!」

 そんな洞窟の中に、榎本と、他にも気絶した部下たちの姿を見つけ、由比は慌てて駆け寄った。呼吸を確認すると、ちゃんと規則正しく息をしている。

「よかった」

「お仲間もついでに浄化されたようだな」

「――ああ」

 蒼月の指摘に、由比は頷くまでに時間を要した。浄化という表現でいいのだろうか。榎本たちから呪力が消えているのを感じる。彼女たちの命は救われたが、陰陽師としての能力は絶たれてしまったのだ。

「お前にはまだやることがあるだろ」

 どうして自分ではなく。そう言葉にしたわけじゃないのに、蒼月がそう言ってくる。

「そうだな」

 それに由比は、今度はすぐに頷いた。

 そうだ。自分だけ陰陽師として罰を受ければいい。彼女たちは能力が消えたことで、本庁から自動的に追放され、懲罰対象からも外れる。

「これでいいんだ」

 もう一度頷くと、蒼月とともに奥へ進んだ。

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