第18話 真名

 そこから、虐殺が始まった。

 それまで溜まっていた不満をぶつけるように、蒼鬼は目の前に現れる陰陽師を殺し続けた。

 圧倒的な呪力を前に、本庁の連中は対応できずに翻弄された。

 あの道場にいた人たちも、蒼月討伐に駆り出されるはずだった。それを先回りされ、殺されたのだ。

「ははっ」

 蒼月の虚しい笑いが、道場の中にこだまする。

 戦っていた最中に倒れた蝋燭が、神社に燃え広がり、周囲を、蒼月を、赤々と照らす。

 その姿はまさに鬼。

 だが、蒼月は、蒼鬼は笑っているというのに、泣いているかのようだ。


 同じ場面を、たまたま外にいて難を逃れた時雨はしっかりと目撃していたはずなのに、今はただただ悲しかった。

 悪いのは、誰?

 そんな無意味な問いしか出てこない。

 蒼月が鬼になることは運命づけられていたのだ。

 それを阻止できなかった。

 最恐最悪の鬼を生み出したのは、本庁だ。


 鬼として本庁を圧倒し続けた蒼月だが、どれだけ呪力が強かろうと多勢に無勢。三か月後、疲れたところを奇襲され、捕まってしまった。

「殺せ!」

 捕らえられた蒼鬼はそう主張したが、すでに課長となっていた大河内は冷たく見下ろすだけだ。そして、これだけ恐怖の象徴となった蒼鬼を、そう簡単に殺すわけにはいかないと結論を下す。

「蒼鬼。貴様は一生、ここにいろ。その魂が滅せられるまでな」

 こうして、あの封印の間に封じられることになったのだ。



 流れ込んできた記憶からはっと覚めると、時雨の目からは勝手に涙が流れていた。それを慌てて拭うと、まだ握ったままだった蒼鬼の手を握り直す。

「あれ」

 その手が、先ほどより少し小さい。

 顔を上げて蒼鬼を見ると、あの神社に閉じ込められていた頃の、少年らしさを残した蒼月の姿がある。

 その蒼月は顔を伏せているからか、自分の変化に気づいていないようだ。

 記憶を吐き出し、鬼としての呪が剥がれた姿。

 魂に刻まれているのは、仕方ないと言いながら、唯々諾々と従っていた頃のままだった。

(ああ。だからこいつは今も、逃げ出そうとも、命令に逆らおうともしないのか)

 鬼としての振る舞いを、後悔しているから。

 魔が差したことで起こった災厄を、最も忌み嫌っているのは蒼月自身だから。

 もう二度と、心を開くことなく、欲望から目を逸らして、鬼として振る舞うことがないように。

「蒼月」

 一度、彼の陰陽師としての名前を呼ぶ。それに、蒼月はふるふると首を横に振った。でも、繋いだ手から拒絶の気配は伝わってこない。

 それどころか――

春仁はるひと

 蒼月がひた隠す真名が、勝手に心の中に流れてきた。

「なぜ」

 驚いた蒼月が顔を上げる。

 泣いているのかと思ったが、そんなことはなかった。

 諦めが悲しいという感情を削ぎ落してしまったのか、蒼月の表情は、ただただ戸惑いしか浮かべていない。

(相変わらず、澄んだ目だな)

 封印の間で、初めてその顔を見た時から印象が変わらない目。

 その目を見ていたら、戸惑う蒼月に向けて、時雨は自然と微笑んでいた。

籠宮春仁こもりみやはるひと。お前はもう、鬼じゃない」

 そして、鬼の呪を解く言葉を、優しく言霊に乗せていた。



「あっ」

「えっ」

 術が解けて現実に引き戻されると、月見と青葉が驚いた声を上げるのを聞いた。慌てて時雨が起き上がると、蒼鬼がその場に頽れるのが見える。

「蒼月!」

 駆け寄りながら陰陽師としての彼の名を呼ぶと、すぐに大丈夫というように蒼鬼は手を挙げる。それからゆっくりと身を起こすと

「馬鹿野郎」

 時雨の顔を見て、悪態を吐いてくれる。

 見慣れた二十代の蒼鬼の姿にほっとすると

「体調は?」

 立ち上がるのに手を貸してやりながら訊いた。

 術が成功しているのならば、彼はもう蒼鬼じゃない。陰の気を溜めるだけの存在ではないはずだ。

「最悪だよ」

 蒼鬼はそう言って頭をガシガシと掻き

「鬼じゃなくなっちまった、のか?」

 不思議そうに自分の身体を見直している。気の流れを探り、自分の状態が信じられないという顔だ。

「みたいだな。蒼月の頃と同じく、清濁混ざった状態になっている」

 時雨も確認し、やったなと肩を叩いた。それに蒼鬼は、いや、蒼月は顔を顰め

「おかげで姫を吸収しちゃったみたいだぞ」

 と告げてくる。

「えっ」

 そう言えば、あれほど苦しめられた姫の姿が消えている。

「おい、大丈夫か」

「何がどうなってるの?」

 急激な変化に困っているのは仲間の二人も同じだ。

「えっと、何が起こったんだ?」

 蒼月の中に潜っていた時雨は、現実で何が起こったのか見ていない。それは、術を操ろうとした蒼月も同じだ。ただ、身体に起こった変化から、姫と同化したことを知っているだけだ。

「それが」

 月見は戸惑った顔をしたが、時雨の術の補助をしていたら、急に蒼月の気配が変わり、姫が霧散したと状況を説明する。

「なるほど」

 理解したと蒼月は頷く。

「ええっと?」

 だが、時雨はまだ上手く考えがまとまらない。説明してくれと、素直に頼んでいた。

「ったく、あれだけ凄いことをやっておいてそれかよ」

 蒼月は嫌味を挟んだものの

「要するに、お前が俺に掛けられた鬼の呪を解いたことで、俺の身体に陽の気を受け入れる枠が空いたんだ。そこに姫の気が流れ込んだってことだな」

 簡潔過ぎる説明をしてくれる。 

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