第17話 鬼

 拒絶され、本音をぶつける相手すらいなかった少年。

 そんな彼は、真正面からぶつかってくる初めての相手に困惑し、どう振る舞っていいのか解らず、怯えてしまっている。

「っつ」

 蒼月が息を飲むのが伝わってくる。

 掴んでいる手の指先が、小刻みに震えている。

 きっと、こんな弱みを見せるのも初めてなのだ。戸惑いが大きくなるのを感じる。

「蒼月、お願いだ。お前を助けたい」

 いつもの調子で強く押しては駄目だ。時雨は気持ちを落ち着け、優しく告げる。しかし、それにも蒼月は首を横に振り、嫌だと拒絶してくる。

「頼むから」

 ぐっと手を握った時だった。

 それまで蒼月が蓋をしていたのだろう、魂に刻まれた記憶が押し寄せて来る。

「――」

 術が蒼月によって乗っ取られ、見られていい部分だけを見せられていたことにも驚くが、それよりも、流れ込んでくる記憶への驚きが大きい。

「鬼」

 そう真っ先に呼んだのは、蒼月の母だ。生まれて間もない子が発する気配が普通ではないことに気づき、怯え、名前を呼ぶ前にそう呼んでしまった。

(ああ。呪はここから始まるのか)

 蒼月が清浄の神子になり損なった理由だ。

 真名より先に与えられてしまった称号。それが、蒼月の魂を深く、そして強力に縛ってしまった。

 それから数か月後。蒼月は神社本庁に保護される。まだ赤ん坊の頃から、彼の自由のない生活が始まったのだ。

「これほどの能力、一体どうやって」

 戸惑いを隠せないのは、本庁の誰かだ。

「稀にあることです。この赤子の力は今までにないものですが、慣例に則り、神への捧げものにするのが一番かと」

 それを受けて答える声も、同じく本庁の誰か。

 蒼月の処遇の話し合いか。

 でも、神への捧げものって。

 結局、殺そうとしていたということか。

 しかし、幼い頃に計画されたこの捧げものとする案は、蒼月の力に集ってくるモノたちによって阻まれた。

 鬼という呪が、皮肉なことに蒼月の命を長らえた。

「このままではいずれ、鬼になる」

 だが、ここでまた、鬼の呪が強固なものになってしまう。

 儀式の失敗。それは神から拒絶されたことを意味した。

 負の方向へと回転する運命の輪。

 鬼になるという呪いから抜け出せない。

 何度か、今度は鬼として殺すことが計画された。しかし、これも悉く失敗に終わる。

「ともかく、力をコントロールさせることだな」

 清濁合わさった状態でも、陰陽師ならば問題ない。そう結論が下され、蒼月と名付けられ、彼は陰陽師として生きることになった。

 それでも、力はどんどん強くなる。あの神社への隔離措置を施そうと、周囲には精霊も妖怪も寄ってきてしまう。だが、呪術の腕もまた、素晴らしいものがあった。どちらも使える呪術の能力は、あらゆる呪術を管理する本庁にとって、都合のいいものでもあったのだ。

「生ける呪具だな」

 本庁の蒼月の扱いは、この一言に集約されている。

 なるほど、蒼鬼の存在があっさりと強固なものになり、本庁にも、そして反逆者の中にも共通認識としてあった理由がこれだ。

 鬼として排除される以前から、彼らは怯え、畏れ、そして、いずれ鬼になるものとして扱っていた。

 では、どうしてその均衡が破られ、蒼月は蒼鬼へと堕とされたのか。

 その答えが、時雨が目撃したあの場面だ。

 時雨が十四歳の時だから、蒼月が二十歳の時。

 丁度、封印されることが決定された時だ。

「逃げられると思っているのか」

「車の免許を取りたいというから、逃亡を企んでいるだろうことは解っていたがな」

 それまでも幾度となく逃亡しようとしたことはあった。だが、それでも行動を許される範囲での逃亡で、本庁も悪戯程度のことと許していた。しかし、車を使っての本格的な行動は、見過ごせないものだった。

 蒼月はついに我慢できなくなったのだ。そこまで邪魔ならば、どこか遠くへ行ってしまおう。人里から離れた、誰もいないような場所ならば、集まって来る奴らとともに、好きに生きられるのではと考えてしまった。

 魔が差した、というべきか。

 任務の帰り、自ら車を運転して移動中のことだ。ふと、蒼月の心の中に虚しさが広がり、帰還しなければならないというのに、そのまま高速道路へと進んでいた。

 二十歳になり、大人と区分される年齢になっても、ほぼ自由のない生活に、嫌気が差してしまった。逃げたいという欲求が、急速に膨らんでいく。

 もちろん、この時も監視が付いていた。しかし、そんな彼らの制止を聞くことなく、蒼月はただひたすら車を走らせた。

「蒼月が逃げたぞ!」

 報告を受けての捕獲は本庁総出もので、まるで鬼退治だ。各方面の陰陽師が投入され、たった一日で蒼月を追い詰めた。

 山中で捕らえられた蒼月は、そのままイノシシ用の檻に放り込まれた。

「出せ!」

 叫んでも、誰も聞く耳を持たない。

 いつか鬼になる存在。その怯えと畏れが、ついに本庁の中で爆発したのだ。

 そのまま特殊能力課のビルに連れ戻され、その四肢を厳重に拘束された。そして、反省を促すという大義名分のもと、あらゆる制裁が蒼月に課された。

 中には今までの不満をぶつける者もいて、それは罰と呼ぶにはおぞましい、一方的な暴力だった。

 容赦ない折檻に、蒼月の心の中に溜まっていた不満が爆発してしまう。

「俺は道具じゃない!」

 それは当然の訴えだ。だが、本庁側が許すはずのない主張だ。

「お前は道具だよ」

 平然と返される言葉に、蒼月の心が冷えていくのが解る。

「俺は」

 違うと言おうとすると、容赦なく蹴飛ばされる。

「鬼子が。ここまで生き長らえた恩を仇で返すか」

 誰かの放った言葉が、蒼月のギリギリ保っていた何かを決壊させた。

「鬼。鬼か。ああ、そうだよな。俺は鬼なんだ」

 爆発的に増えた陰の気を受けて、四肢の拘束が弾け飛ぶ。

「なっ」

 ゆらっと立ち上がった時には、蒼月は完全に蒼鬼へと変化していた。


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