第10話 恐怖

「誰ぞ? 答えよ」

 恐怖と戦う由比に向けて、姫が問うてくる。

 その声は美しいはずなのに、やはり刃物を向けられたかのような緊張感を生む。

「っつ」

 どうするのが正解なのか。ここまで桁外れの、理解できないモノだと思っていなかった由比は、戸惑いを隠せない。

 蒼鬼のように、人間でありながら力が強すぎるというわけではなかった。

 

 神と呼ぶべき領域の存在だ。

「早う。そこにおるのは解っておるぞ」

 姫がまた一歩近づき、それだけで身体に掛かる負担が増大する。そして、その気に負けたかのように

「わ、私は」

 榎本の口が動いた。

(拙い!)

 咄嗟に由比は榎本に向けて呪を放っていた。榎本は瞬時に気を失う。だが、その呪の気配が姫を刺激してしまった。

「そこか」

「!」

 死んだ。

 そう思って目を閉じた由比だったが、身体に衝撃を感じることはなかった。

「えっ」

「くっ」

 目の前に、横瀬翁がいた。その横瀬は由比が無事だったのを確認すると、どさっとその場に頽れた。それだけでなく、さらさらと灰になって消えてしまう。

「マジかよ」

 横瀬翁は由比以上に呪いを扱っていた。それだけ陰の気を溜め込んだ存在に対し、姫は消滅させることも可能だというのか。

(これは本当に、蒼鬼がいないとどうにもならないのか)

 失策だったことは認める。だが、それでも、ここに封じられている姫が、これほど人外のものだと、誰が想像できる?

 本庁には姫の世話をする人間だっているのだ。それなのに、相手は人間ではないなんて。

「って、今、そんなことを考えても無駄か」

 洞窟の中で意識を保っているのは、由比一人。次に姫が攻撃を仕掛けてくる時、確実に死ぬ。たらっと、汗が額から流れ落ちてくる。

「穢れはまだまだ残っておるのう」

 姫は再び由比に向き合う。

 そこで、初めて顔が見えた。

 美しかった。だが、同時に禍々しいと感じる。

 この世にいてはならない存在なのだ。

 蒼鬼の比ではない。まさに災厄だと感じる。

 人間がコントロールできるようなものじゃない。

「くっ」

 咄嗟に結界を張ってみたが、それは形を成すことなく弾け飛ぶ。姫の放つ気に負けてしまう。

「駄目だな」

 諦めが、心の中に広がる。そんな由比の頬に、姫が触れようとしたその時――

「由比様!」

 背後から声がした。

「っつ」

 高速道路で蒼鬼の妨害をしていた連中だ。その声が由比を動かした。

「来るな!」

 叫ぶと同時に、由比はありったけの呪力を姫にぶつけて外へ向けて飛ぶ。

「うおっ!」

 こちらに向かおうとしていた川原をはじめとするメンバーは、飛んできた由比とその気に押されて、一緒に洞窟の外へと投げ出される。

「伏せろ!」

 すぐに姫の攻撃の気配を察知した由比は、傍にいた部下の頭を押さえつけて地面に伏せる。と、すぐに頭上を凄まじい量の清浄な気が通り過ぎた。

「あああっ!!」

 間に合わずにその気を浴びた男が、また灰になる。その人智を越えた現象に、駆け付けた部下たちも呆然となった。

「しっかりしろ!」

 そこに由比の鋭い声がして、部下たちははっとなる。それから、うわああと悲鳴を上げて逃げ始めた。

「由比様」

「俺たちじゃあ、どうにも出来ない。蒼鬼は?」

 近づいてきた川原に、由比は打開策はあいつしかいないぞと訊ねる。

「もうしばらく掛かるかと」

 川原たちはあそこから、待機していた仲間のヘリで移動し時間を短縮している。車での移動ならば、法定速度を無視してかっ飛ばしても、もう少し掛かるだろう。

「となると、なんとか時間を稼ぐしかないな」

 由比はそれまで何とかするしかないかと、印を組む。

 ともかく、洞窟の外まで無事に出られたということは、まだ呪いならば対抗できるという証拠だ。蒼鬼に姫を押し付けるまで、この場で足止めするしかない。

 本庁との対立姿勢を鮮明にしている由比だが、関わりのない人たちが犠牲になるのを黙認できるほど非道ではなかった。

 ひたひたと、洞窟の外だというのに姫の足音が聞こえてくる。

「来るぞ。ありったけの呪力をぶつけろ」

「御意」

 由比の命令に、川原は頷くと洞窟を凝視したのだった。



「おいおい。ますますヤバい気配がするぞ」

「確かに」

 その頃。姫が封じられる洞窟のある山へと差し掛かっていた蒼鬼たちは、清浄の姫の気配と呪いの気がぶつかるのを、しっかりと感じ取っていた。

 舗装されていない山道に車は大きく揺れるが、速度を緩めている場合ではない。

「ヤバい状況なのは確かだが、そうなると、俺たちが無策に突っ込んで何とかなるのか?」

 荒い運転に思わずシートベルトを握り締めつつ、時雨はこのまま進んでいいのかと蒼鬼に確認する。

「解らん。ともかく、伝わってくる気配からして、対抗できるのは呪いだけなんだろ? となると、呪いの塊のような俺が姫と会うのが一番だってのは解る」

 蒼鬼は巧みにハンドルをさばきながら、他にどうしろっていうんだと笑う。

「いや、会ってどうするんだよ?」

 もう少し真面目に考えろと時雨は睨むが

「だってよ。状況はよく解らんが、眠り姫様は起きてしまったわけだ。となると、姫を洞窟の奥に戻すしかないんだろ? だったら、対抗できる俺が姫を連れ戻すしかないだろ。この感じからして、絶対に野放しに出来ないし、山から出すわけにはいかないんだからな」

 真面目に考えた結果だと反論された。

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