第9話 混乱

「陰陽師としての主の才、それを疑うことはない。たとえ名を封じられ、鬼に堕とされようとな」

 大河内は蒼鬼に向け、確かにこう言った。つまり、彼は蒼鬼が人間だった頃を、それも陰陽師だった頃を知っている。

 そして蒼鬼も

「俺には関係ないもん。もう、人間じゃねえからな」

 と言っていた。

 この二つから、蒼鬼を鬼としたのは本庁で間違いない。

 

 その事実に、時雨はぐらっと足元が揺らぐような気がした。

(蒼鬼は呪われたんだ。本庁の特殊能力課によって)

 生まれながらの鬼じゃない。ならば、あの扱いは不当でしかなく、魂の消滅なんて以ての外のはずだ。御霊に祀り上げるにしたって、何かがおかしい。

 ああいう大量虐殺を行ったから?

 いや、そもそも、あの事件は何だったのか。

 時雨にとっては修行の場を、大事な仲間を奪われた瞬間だ。

 しかし、蒼鬼にとってあの事件はなんだ?

 どうして蒼鬼は彼らを襲ったんだ?

 なぜ笑っていた?

「おい。お前も姫の気配にやられたのか? 顔が真っ青だぞ」

 ぽんっと頭を叩かれて、時雨は思考から浮上する。運転しながらこちらを気遣う蒼鬼の顔は本気で心配しているようで、ますます混乱してしまう。

「いや、姫のせいじゃない。どうやったら姫の気に対抗できるか考えていただけだ」

 咄嗟に誤魔化し、自分の頭を撫でている蒼鬼の手を振り払う。

「浮かばないってか。こりゃあもう、出たとこ勝負しか無理だな。相手は呪いを用いることで対抗しているし、俺ならばなんとかなるか? 俺、鬼だし」

 それに蒼鬼は嫌な顔もせず、どうしたもんかねえと振り払われた手で顎を撫でている。その横顔は、どう見たって普通の二十代の青年だ。

「考え込むな。何とかなるだろ」

 まだ真剣な顔をして俯く時雨に、蒼鬼はははっと笑い飛ばす。しかし、それは後部座席にいた二人に遮られる。

「何とかならなかったら、どうするんだよ?」

「そうよ。御霊とするってことは、結局殺されるのよ? いいわけ?」

 青葉も月見も違和感に気づいている。だからしっかり対策を立てようと、そう訴える。

「鬼の心配か」

「今は仲間だろ」

「そうよ」

 笑い飛ばそうとする蒼鬼に、青葉と月見は考え直せと真剣だ。

「そもそも、お前は何で鬼になったんだよ?」

 そのやり取りに、時雨も訊くならば今しかないと訊ねた。それに蒼鬼は困ったような顔をしたが、すぐに表情が真剣なものに切り替わる。

「説明は後だ。悠長なことは言っていられないぜ。いざとなったら、お前らが責任もって俺の首を取れ。俺を鬼として殺せ。いいな」

「それって」

「飛ばすぞ。掴まれ!」

 そしてすぐにアクセルを踏み込み、姫のいる山へと急ぎ始めた。



 ありったけの呪いをぶつけて、ようやく扉から溢れ出る清浄さに対抗できる有り様だ。それでも、まともに息が出来るだけマシだ。

「ったく。本当にこの先にいるのは人間なのか?」

 由比は呪いが足りないと、近くにいた力不足の男の喉をナイフで突き、死穢を再び振り撒く。すると、力の均衡が崩れた。

「おっ」

 清浄な気が、一瞬だけ緩む。しかし次の瞬間、何かが爆発した。

「うわっ」

「きゃああ」

 力の弱い者は悲鳴を上げ、そのまま気絶してしまう。まともに立っているのは由比と、榎本、それと横瀬翁くらいだ。気絶を免れた者も、立っていられないと膝をついている。

「何か来る」

 だが、そんな変化に気を取られている場合ではない。扉の向こうから、ひたひたと、何かが近づいてくるのが解る。

 向こう側にいるのは清浄なもののはずなのに、寒気が駆け上がった。

 ひたひたと、足音は確実に由比たちに近付いてくる。

「くっ」

 腹に力を込めていないと、由比ですら気圧される。それだけのモノが近づいてくる。

「誰ぞ」

 そして聞こえたのは、凛とした女の声だ。

「姫か」

 大量の呪いの気配に、姫が目覚めたのだ。そして、起こした者の顔を確認しようとやって来た。

 由比の額から、汗がつっと流れ落ちる。

(これは予想以上に厄介だ)

 本庁の連中を混沌の渦に叩き落そうと企んでいた由比ですら、姫には触れるべきではなかったのだと思い知らされる。

 これは、人智を超えた何かだ。

 姫という名称に誤魔化されてはならなかった。

「うっ、あ」

 榎本から、悲鳴とも呻きともつかない声が漏れる。

 ひたひたと、足音はついに扉の傍へとやって来た。そして、気絶した者たちが落とした懐中電灯に照らされ、その姿が暗闇に浮かび上がる。

「ふっ。一応、姫というのは間違いではないのか」

 現れたのは、唐風の衣装を纏う姫君で間違いなかった。結い上げられた髪は絹のように美しく、額を飾る冠は、清浄の姫に相応しい。首から下げる勾玉も、この気配を纏う者に似合っている。

 が、似合っているはずなのに、恐怖しかやって来ない。

 それは由比が呪いに穢れているからか?

 それとも、これは誰もが抱く恐怖なのか?

 美しい顔が見えていいはずなのに、そこだけ見えないからか?

 穢れなき者には、彼女が女神として映るのか?

 その判別はつかない。だが、触れてはならない存在が目の前にいる。それだけは間違いなかった。

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