第8話 鬼が必要な理由

 洞窟の中に立ち込める血の臭いで、徐々に清浄だった空気に穢れが混ざるのが解る。そして、姫の力が僅かに弱まるのも感じ取れた。

「やはり死穢しえに勝るものはないか」

 明確な変化に由比はにやりと笑う。それからそっと扉に触れると、今度は難なく手がくっ付く。そのまま押すと、いとも簡単に扉は開いた。

「うっ」

「くっ」

 しかし、その瞬間に吹き出した清浄な空気に、由比はもちろん、後ろで控えていた部下たちも顔を顰める。

「全員、ありったけの呪を放て!」

 由比は言いながら、持っていた呪具の一つである数珠を扉の向こうに投げつける。が、それは扉を潜るとともにばりんっと音を立てて割れた。数珠の珠は散らばることなく、消失してしまう。

「これは凄い。なるほど、蒼鬼が必要なわけだ」

 由比はその凄まじい清浄さに、本庁がわざわざ蒼鬼を解放した理由を悟った。

 名を奪われ、鬼という呪いを身に宿した存在。そんなモノでなければ、迫りくる清浄な気配に対抗できないのだ。

「だが、俺は諦めが悪いんだ」

 にやりと笑うと、由比は対抗すべく身に着けていた呪具の総てを取り出していた。



「うっ」

 運転中の蒼鬼が呻いたので、時雨はどうしたと慌てた。しかし、次の瞬間、その理由が解った。

「この空気は!」

「お前も感じたか」

 蒼鬼の確認に時雨は頷くと、後ろの二人を見る。月見も青葉も顔を強張らせていて

「姫様の気配よ」

「ああ。間違いない。下見に行った時に感じたのと同じだ。しかも強烈だぜ」

 時雨の考えているもので間違いないと頷いた。

「姫様の気配だと。なるほど、どおりで気持ち悪いわけだ」

 蒼鬼は口元を覆いながら、うえっと顔を顰める。その清浄すぎる空気に、身体が拒否反応を示している。

「大丈夫か?」

「まだね。しかし、この距離でこれかよ」

 車はようやく高速を降り、姫がいるという山へ向かっている最中だ。だというのに、気持ち悪くて仕方がない。

「この距離で感じることなんて、以前はなかったわ」

 それに、月見は結界で異常事態が起こっているのよと主張する。

「すでに敵は姫の傍か。予想通りだが、そいつらは大丈夫なのか。っていうか、お前らは平気なの?」

 吐き気を堪えながら、よく大丈夫だなと蒼鬼は高校生陰陽師たちを見る。すると、このくらいならば気持ちいいくらいだと三人は頷く。

「深山での修行くらいだよな」

「ああ。朝方のぱりっとした空気っていうか」

「真冬の空気って感じかな」

 清浄さは感じるが、まだまだ大丈夫だ。というより、これが駄目だという蒼鬼は、やっぱり鬼だということだろう。聖域に存在してはならない存在。だから拒否反応が起こるのだ。

「ははっ。鬼であることは否定しないけどな。じゃあ、俺に頼むなよって話だよ。めっちゃ気持ち悪いんだけど。船酔いしている感じだ」

 ふざけやがってと蒼鬼は悪態を吐く。

「船酔いねえ。でも、俺たちのこれだけの濃度は長く耐えられないかもな。何か対策を考えないと、姫に近付く前に共倒れになってしまう」

 時雨が腕を組んで唸った時、気配が変わるのを悟った。それは蒼鬼も同じで

「おっ。ちょっと気持ち悪さが減ったぞ。が、馴染みのある気配が漂ってきたな」

 空気の変化を敏感に感じ取った。が、嫌な気配が混ざっていると顔を顰める。

「呪い」

「ああ。それも強烈だな。姫がいる近くで殺しとは穏やかじゃないね」

 これだけ呪いの気配が濃くて、人死にが出ていないはずがない。蒼鬼は口をへの字に曲げていた。そして、あることに気づく。

(自分の能力が暴走した時に似ている。膨大な陰の気だ)

 蒼鬼は眉間に皺を寄せ、ついで、あの大河内の顔を思い出してぶん殴りたい気分になった。

「なるほど。俺に期待されているのはこれか」

「ん?」

「どういうこと?」

 月見と青葉が身を乗り出してくる。訳が分からないことは、蒼鬼を頼るのが一番。あれこれあって、そう割り切っている二人だ。

「姫の清浄さに対抗するには、俺ぐらいに穢れた奴が必要ってこと」

「えっ」

「それって」

「中和か」

 言いたいことが解った時雨は、マジかよと顔を顰める。そして、どうりでさっきから蒼鬼の顔が険しいはずだと気づいた。

 今回の命令の不可解さ。わざわざ最恐最悪と呼ばれる鬼とタッグを組んでの仕事。その理由がこれだったのだ。

「ああ。俺がいれば――いや、違うな。こうやって予想外に敵の動きが早くなければ、俺たちは普通に姫の傍に行ったはずだ。で、起こることは、清浄さにやられて俺が暴走するってものだろう。そうすれば、空気は中和され、その隙にお前らは姫を運び出せるってわけだ。ついでに俺の討伐名目も出来て一石二鳥ってところだろう」

「そんな」

 違うと言いたくて、しかし、蒼鬼の推理が妥当な気がして、月見はそれ以上言葉が続かなかった。

「でも、課長はお前の減刑を考えているって」

 青葉も、本庁がそこまであくどいことを考えていないだろうと主張したいが、現在の気の拮抗を感じ取ると、何も言えなくなる。

「まさか。恩赦は魂の消滅ではなく、御霊にするってことか」

 時雨も大河内の言おうとしたことを解釈し直し、マジかよと顔を顰める。大量殺戮の現場を目撃しているとはいえ、これは騙し討ちだ。蒼鬼への措置を仕方ないとは言えない。

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