第19話森の王

 アルフは、老人の亡骸を抱えたまま、考える事を拒否してでもいるように、湧き上がってくる感情を、振り払い続けていた。現実を受け止めたくなかったのだ。


 夕刻が近づいているのだろう、丘の上を拭く風の向きが変わり、肌寒く感じられた。

頭上でザワザワ揺れる聖木の枝は、最初に見た時とは変わり、何か禍々しい雰囲気をかもしているように思えた。


「代替わりの儀式は成ったようですね」

背後から声がかかって、アルフは、ハッと現実に戻った。


 ゆっくり首を回して後ろを見ると、そこには黒く長いローブ姿の、十人の人間が立っていて、その後ろには数十人もいるかと思われる者たちが取り巻いていた。


「誰だ?」

アルフが問うと、見覚えのある男が進み出た。

「またお会いできましたね」

来る途中の道で、森の中から出て来た男だった。食い詰めて飢えた男に、刃を突きつけられていた時に、声をかけてきた男だった。


「ああ、あの時の」

「そうです。ルゴラのカヴンのビルドと言います」

男は丁寧に頭を下げた。


「カヴン?」

「森の民の、一つのグループをそう呼びます。いわば、家とか家族と思っていただければ」

「なるほど」

アルフはうなずいて、並んで立つ人たちに目を移した。


「ここにいるのは、森の民の五つあるカヴンを率いる指導者です。そして、それぞれに所属する仲間たち」

ビルドと名のった男は、取り巻いている者たちの一画に視線をやり、目配せすると、その中から数人の男たちが進み出て来た。


「まずは、先代をとむらいいましょう」

ビルドが言うと、男たちは、アルフの腕から老人の亡骸を引き取り、白い布で包んだ。それをさらに、生成り色の麻布で包むと、担ぎ上げて坂を下りていった。


「丘の中腹に、歴代の森の王の埋葬場所があるのです。彼は、聖木の守護者となってから、初めて、丘を下りることができます」


それから、先代の返り血を浴びて真っ赤に染まっている、新しい森の王の姿に目を止めて言った。

「お怪我は?」」

「ない。ただ、少し疲れているだけだ」

アルフは、先代が死んだ時の衝撃からは、少し立ち直ってきた。だがまだ、現実味のない異空間を彷徨っているような、心許ない心地だった。


「それでは、着替えを。この先に小さな小屋があります。今後のお住まいになりますので、整うまでお待ちください」

アルフは促されるまま、立ち上がり、取り巻いている者たちを眺めた。


 男も女もいて、背格好もまちまちだった。みな似たような黒いローブを纏っていて、フードを被っているため表情は見えないが、悪意のようなものは感じられなかった。


 住まいの準備をするためなのだろう、荷を背負った者など、十人余りが、奥の方へ歩いて行き、また幾人かが、聖木の回りに、なにか香りの良い液体をまいて、清めているようだった。


 聖木の前にある平らな石、おそらく祭壇の役割があるのだろう、その上に、何か並べている者もいた。


「お水を」

大きな器に汲んだ水が差し出された。

何かと思い、声の主を見上げると、小柄な女性のようだった。


「お手を清めて……」

血だらけの手を洗うように勧められたのかと思い、アルフは器に手をひたした。


 突然、器を差し出している女性の手が震え出したのを、不審に思い、アルフは顔を上げた。


そこには、他の者たちと変わらない、黒いローブを着た女性が、体を倒すように屈んで、両手で器を差し出していた。


 アルフは、捧げ持っている器が重いのだろうと、器を受け取って地面に置き、それから、もう一人の女性から差し出された布で、濡れた手を拭いた。


「どうしたの? だいじょうぶ」

布を差しだした女性が、様子のおかしい女性に声をかけた。


「アルフ、アル……」

まだ名のってもいない彼の名を、つぶやくのを不審に思い、女性に視線を移したアルフが、息を呑んだ。


 彼は、女性をぞき込むようにして、被っているフードにそっと触れた。と、同時に彼の手も小刻みに震え始めた。


「リア? ミリア……」

アルフが女性のフードを下ろすと、そこには、涙に濡れた恋人の顔があった。


 茶色の長い髪は、波打つようにうねって、彼女のふっくらした頬にかかり、いつも快活に笑っていた唇を、いまは固くむすんでいた。


 領主の兵を殺めた彼が、今なお生きているとは、故郷の誰も、考えてはいなかっただろう。

だから彼は、彼女は両親とともに暮らし、やがて別の男と幸せになるだろうと思っていたのだ。


 それが、こんなところで再会するとは、ミリアに何が起こったのか。

アルフは混乱したが、何も言わずに泣き続けるミリアに手を伸ばし、そっと涙を拭った。


「リア…… 君を抱きしめたいが、こんなありさまだから」

アルフは、先代の返り血にまみれた自分の服を見て、軽く笑った。


「どういうこと?」

ミリアの隣にいる女性が不思議そうに問うと、ミリアはようやく顔を上げた。


「リラ、この人なの。前に話した人。夫になるはずだった」

ミリアは、つぶやくように答えると、リラの胸に頭を預けた。



 こうして二人は、再会を果たすことができた。

ただし、彼らが最初に描いていた結婚生活とは、かなり違った形とはなったが。


アルフは森の王として、死ぬまで聖木のもとで過ごし、ミリアもまた、森の民として、彼の傍らにあった。


 アルフは、ごくまれに現れる挑戦者と対峙するたびに、心を痛めたが、それが役割と割り切って過ごした。


 やがて、年老いた彼は、新たな森の王と代替わりすることになる。

それが、どんなようすだったのかは、伝えられてはいなかった。

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