第41話 街灯
「―――穏やかな話じゃないですな」とブガーロ親方は言った。
ジーノ・ロッセリーニとブガーロ・ダッビラは、ロッセリーニ領を斜めに走るイルダ川に架かるデュエロ橋の上にいる。
地図で見ればイルダ川はロッセリーニ領を右上から左下に流れている河川で、ロッセリーニ領の水源となっている。城の脇を流れる箇所は深めに削られ谷のようになっているので、自然の堀として活用されている。その谷に架かる、つまり市街区と城を繋げている橋がデュエロ橋だった。
白い大理石造りの橋で、城からの往来があるので洒落た造りになっている。
橋には灯りを取り入れる街灯が作られているが、今は昼日中で灯芯が黒々とした煤となっているのが見える。
厚手の黒いコートを粋に着て、ベージュ色の帽子を被っているブガーロ親方の姿は普段の宿屋の親父姿とは異なり、どこかの商家の大旦那に見える。襟元から薄く見え隠れしている赤い襟巻も洒落ている。
ジーノは、いつも通りの灰色の厚手のローブ。
ジーノは、騎士アンニバーレ・ヴォーリオの話を、まずブガーロ親方に相談した。というより他に相談できる人も見当たらなかったのだ。
ブガーロ親方はジーノをデュエロ橋まで誘い、往来の多い橋の上で小声で話をしている。なるほどこれならば、誰に聞かれることはないだろうとジーノは思った。
「騎士殿が勘違いをされているという事は、ないのですね。その、そう言う印象を受けたといった……」
「そう言われたという事です。つまり近々騎士団を蜂起させ、城に向かい父アルフレッドに退位を迫ると。騎士団団長として自分に従うようにと」
「騎士殿はどうされるお積もりなのでしょう」
「アルベルトに翻意を促すと言っていました」
ブガーロ親方は、川の水面に目をやりながら「まぁ上手く行かないのでしょうな」と言った。
小さな子供たちが、二人の傍を駆け抜けていく。
それを追うようにして、身なりのいい夫婦がゆっくりと歩いて行った。橋の上に出ている露天商が夫婦に声を掛ける。長閑な昼下がりだった。
日常を覆そうとしている意思があり、それがこの市領を守るべき存在である場合、それを覆すことは難しいのではないか。ジーノは思う。
「やや、事が急に進み過ぎているようにも思うのです。そもそもアルベルト様がお父上の座を狙うのは筋が違う。何故なら彼そこが後継者なのです。黙って待っていれば良いではないですか。
それはジーノも理解できる。
「ご覧ください」とブガーロ親方は、橋の西に手をやる。
橋の先は大通りが続きその両隣には大きな宿屋や商家並ぶ市街になる。
「あの道の先に何があるかは、ジーノ様もご存じの通りです。ロッセリーニ騎士団駐屯地に続くのです。この大通りをまっすぐ来て、この橋を渡ればそのまま城に行きつきます。元々騎士団の駐屯地が現在の場所にあるのは、この道を守れという意図があるのですな」
ジーノも通りの奥を見る。
繁華街の中央を抜ける十分な広さのある大通りだ。言ってしまえば騎兵が並んで馬を走らせるには十分な広さだ。
城を守るべきものが牙をむいた場合、それに対する戦力は衛士という事になるが、騎士と衛士では大人と子供の力比べにもならないだろう。
「……お父上、ロッセリーニ伯はどうされていますか?」
「暫く会えていません。忙しいのかどうか」
「宜しくないですな。すごく」と、ブガーロ親方は言って歩き出した。白い橋を渡り切り城門の前にたどり着く。そこまで大きな門ではない。鉄扉があるわけでもない。馴染みの衛士がジーノの姿を認めて、手を上げて挨拶をしてくるので、こちらも手を上げて応じた。
「この橋自体は落とすことが出来ません。実際攻められたらこの門を守ることも怪しいでしょう」とブガーロ親方が言う。
「そう言う考え方で作られていないんですよ。確かに城を守るには橋を落とすしかないんですが、父が城だけ守ってどうすると思っているらしいですから」
「そこが伯の良いところなんですが、こうなっては困ったものですなぁ」
暫く黙って二人で、橋の奥に目をやり思いを馳せた。
「そう言えば」と親方が口を開く。「また、娼婦が死んだようです」
「聞きました。下町の外れとか」とジーノは応じた。
教えてくれたのはアニータだった。人狼が、また女を殺したと。
「手の物にも、色々と調べさせました。私娼で祭りの最中に客を探していたところをやられたようです」
深く溜息を付いたジーノにブガーロ親方が問いかける。
「どう思われます?」
「人なんだと思っています。殺す理由は分かりませんが。まさか人狼がいるとは思っていないでしょうね。親方」
ブガーロ親方も釣られたように深く息を吐いて同意した。
「ジーノ様の理性的な所が頼もしいですな。街はもうこの話題で持ち切りですよ。夜は出歩かないようにと言い交していますが、そうは言っても強制できるものでもありますまい」
ジーノは軽く頷いて腕を組んだ。
気が付くと橋の中ほどに、ベージュの外套を羽織ったアニータがいた。売店で買い喰いしたようで何かを口に含んでいる。
「いずれにしても、理由や動機が分からないのが恐ろしいですな。物取りでもなんでもないのです。やれやれ、うちの娘の喰い気程分かりやすいのなら、何事も助かるのですが」
とっくに気が付いていたのだろう、ブガーロ親方は困ったように言う。
「アルベルト様の動向はリカルドが良い位置に付いたと報告を寄越してきています。何かあれば、お耳に入るようにしてあります。人狼の方は、どうですかな。我々が心配する事ではないとも言えるのですが、念のため若い者に夜回りさせてはいます」
ブガーロ親方が、さてどうすると言った様子問いかける。
ジーノは、ふとなぜ自分がそんな判断を求められるのかと思う。自分はただの市民ではなかったか。
目の前を行く子連れの家族の姿をみて、ヴォーリオ一家の姿が浮かんだ。無垢なルシア・ヴォーリオの笑顔。
ただの市民でも、やれる事があるならばやるべきか。
「まずは、父に会ってみましょう。意向を聞いて兄を抑えるように行ってみます。継子が、実子におかしいですけどね。たまたまですが、この立ち位置にいるのですから、できることをしてみます。あと若い衆の方々には深追いしないようにと」
「承知しました。まぁウチの若い者は、それは身軽な者が多いですから。ご存じの通り逃げ足は皆、得意です。」とブガーロ親方は応じた。
気が付いたら寄ってきていたアニータが、二人の前でくるりと1回転して立ち止まり、「話は終わった?」と言った。ふわりと広がったスカートが綺麗な円を描いた。
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