第28話 人狼
ブガーロ親方の妻、レナが出てきて扉近くにぼんやりと掲げられているランタンに火を入れた。ジーノに気が付き、笑顔を浮かべて手を振って来る。こうして見れば、娘と変わらない愛らしさだった。
気が付けば誰そ
常とは違って祭り時。人の通りも絶えずどこもかしこも賑やかに盛っている。ジーノとブガーロ親方は隅の席に陣取ったまま、暫く黙って通りを見ていた。
手に手を取って歩く男女やら、今日ばかりは夜更かしを許されて興奮をしているような子供、そしてそれを見守る老いた老女がいた。
誰もが厳しい日常の合間にある祝祭を楽しんでいるようだった。
「―――人狼が、出るってんですよ」とブガーロ親方がぽつりと言った。
ジーノが浮かべた怪訝な顔に気が付いたのか、親方はつるりと顔を撫でて、口髭を撫でつけるようにして押さえて低い声で続ける。
「えぇ、
「少し聞きました、凍死や事故じゃない死体がいくつか上がっているとか」
ジーノは城の守衛からこの話を聞いた。
街で出た死体は縁のある遺族が居ない死体ならば、大抵は教会に放り込まれて一巻の終わりになる。しかしどうも事情が違うという陳情が寄せされて、随分と城からも人出が出された。そして、その手が足りないので駆り出されたとぼやいていたのだ。
「それがね。これは公になっちゃいませんが、死体に噛みちぎられている所があるっていうんです。斬り死にだって普通じゃないのにこれは異常ですよ」
ブガーロ親方は陰のある表情を浮かべて続けた。
「死体が出ただけだって噂になる。それが喰い殺されてりゃ普通とは言えない。
「具体的な訴えはあったんですか?」
「死んだ者は浮浪の者や旅の芸人です。あとは娼婦ですか。死んでも係累がいないので、いつもは捨て置かれてしまうのですが、まぁ不気味な話ですから。恐れながらと城にも話がいったのだと思います」
不審な死体が出たところで、この時代は捜査などという事はない。法の下の平等という言葉は中世にはまだないのだ。
ジーノは、佐藤素一としての記憶をたどりながら思った。
人死にがでて、誰かが声を上げて訴えて、初めてそれは調べる事柄になる。つまり家族や親戚が居ない物は死んだとしても捨て置かれてしまう。
「治安は衛士の仕事ですが、今回は騎士も出張っているそうで」と親方は言った。
ロッセリーニ伯領には武力のある勢力は二つ、衛士隊と騎士団がある。
衛士隊は治安維持。騎士団は外敵戦力が役割だが、ここ何十年も騎士が必要な戦いは無い。縮小し続ける騎士団も稀に依頼を受けると言う体裁をとり都市の警護を請け負う事が有るのだ。
ブガーロ親方は賑やかな街の通りに目を向けながら、「どうにも気に入りませんでね。お耳入れさせていただきました」と言う。
「―――気に入らない」
「えぇ、全く気に入りませんな。ウチの者はそりゃあちらこちらに入り込ませていますから噂話だけはたくさん拾います。つらつら聞いたことを整理するとね。気に入らんのです」
親方は眉間に皺を寄せて眉を八の字にして続ける。
「一番最初の死体は娼婦だったようです。背中をめった刺し。脇腹に歯型だけ残されていたって言います。二番目は腹を割かれた大道芸人。宿に帰る途中で襲われたそうですが、裂かれた腹から腸を引き吊り出されていたそうです。腹の外に出された胃に噛み傷があったと。三番目か四番目かははっきりしませんが、これは市民ではなく市外に住む女。普段は洗濯なんかを手伝っていたそうですが、喉元を一文字に割かれて死んでいます。裸に剥かれて太ももを齧りつかれていたそうです」
聞いていただけで厭な気分になって来る。
ジーノは「―――つまり上達しているという事ですか」と言った。
「えぇ。私もそう思いましたな。段々と殺しの手際が良くなってきている。最初はバタバタだったのかもしれないが、今は楽しみを見つけつつある」
ジーノは眉を顰めて言う。
「でも嚙み切れるものじゃないでしょう。人間なんて」
「えぇ、普通はそりゃ無理でしょう。牙なんてないんだから。噛み切れやしません。だから人狼って事になっているんですな」
「人ではない」
「まさに。人の所業じゃないんでしょうな」
ブガーロ親方は、分厚い掌で額を覆って続けた。
暫く黙り酔客の上げる歓声を聞いていた。
多くは貧しい身なりの市民が、今日ばかりは羽目を外して祝杯を挙げている。この祭りが過ぎ去れば、厳しい冬がやって来るのだ。
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