第26話 菓子
連日の寒波もひと段落したのか、出店のベンチに座り、パン
石畳に子供たちの足音が響いて、コロコロと二,三人が連れ立って駆けて通った。
時刻は昼日中の少し前。
いつもは明けきらぬうちから農地に出ている農夫やら、工房に籠り切りの職人も、今は往来に繰り出して、思い思いにそぞろ歩きを楽しんでいる。
赤と黒のだんだらの格子柄の衣装を着込んだ流れの大道芸人が軽妙にトンボを切っているかと思えば。鍔広の帽子を被った吟遊詩人が遠い異国の美姫の悲恋を軽妙に歌いながら小銭をせがむ。
通りにはここぞとばかりに屋台が立ち並び、通りかかる人々に声を掛けて甘味に誘う。普段は静かな市街の片隅にすら、近隣からの見物客もやって来て通りを満たした。
―――秋祭り。つまりは収穫祭の始まりの日だった。
目の前に腰かけていた、アニータが「ねぇあそこのお店の焼き
アニータは、いつもの侍女装束でなく、町娘の恰好をして濃い厚手のベージュのマントにくるまりながら、ホットワインを啜っていた。街を我が物顔で行く子供たちをまぶしそうに見ている。
ここだけ見れば綺麗な町娘だが、アニータは常にジーノには厳しい。
「自分で買ったらどうさ。今、食べちゃったばかりだよ」とジーノは言い返した。ジーノはいつものグレーの長いマントに身を包んでフードを被っている。
ジーノとアニータは、アニータの実家であるところの、『盗賊の家亭』の前に出されたテーブルに陣取って、秋祭りの往来を楽しんでいる所だった。
アニータの実家であるので、ロッセリーニ伯領の盗賊ギルドの本拠地でもある。
むろん盗賊ギルドなるものが、看板と紋章を掲げられるわけもないが、
「人を喰った話だよなぁ」とジーノは、軒にかかっているとんがり帽子を被った小男が書かれた看板を見上げた。男は盗賊という事なのだろう。向きからすれば、宿に入ろうとしているようにも見える。
ほんの気の利いた冗談にも見える。誰もここにいる従業員のほとんどが盗賊だとは思うまい。
熊のような顔と体形をしている、盗賊ギルドの長であるブガーロ親方も、本日ばかりはあちらこちらで客のあしらいをして、小忙しそうにしている。
「……手伝わないでいいの?」と、アニータに聞くと、
「いいのよ、あぁして楽しんでいるんだから」とその娘はこともなげに答えた。
そんなものかと、目の前に出されていたババに手を伸ばそうとすると、アニータが「あれ、騎士だ。珍しい」と言った。
ジーノは肩をすくめてフードに手をやった。
そっと見ると確かに馬に騎乗した騎士が二騎、通りの奥からこちらに向かってくるのがわかった。緋の大振りのサーコートを纏っているので、ロッセリーニ伯領騎士に間違いない。
「大丈夫よ。あんたの兄貴じゃないわ。そうだったらちゃんと教えてあげる」とアニータが、事も無げに言った。
目の前を二騎の騎士が鐙の音も高く通り過ぎていく。
緋色のサーコートはロッセリーニ伯領の騎士の正装だった。サーコートの下に鎧を着込んでいるようだったが、板金鎧ではなさそうだった。おそらく鉄鎖の鎧なのだろう。
知った顔かと思ったが、ジーノにはわからなかった。
元々騎士団はアルベルト・ロッセリーニに馴染みが深い。
ジーノにしても意図的に距離を取っている。
剣を帯びているが、馬の束帯に弩弓も挟み込んでいるのが見えた。
「その、まぁあまり騎士っていうのも。見かけなくなったわよね」とアニータが、興味もなさげに言った。
「そうだね。まぁ戦争自体もなかなかあるわけじゃ無し。正規の騎士だって、今じゃ八十名程だって話だし」
「それって多いの?」
「ロンバルディアのミラノ公国はその三倍以上の騎士がいるって聞く」
アニータは、眉を上げて「ダメじゃない、負けてるわよ。あたしたち」と言った。
「負けているとかじゃないんだって、勝ち負けで言えば、大人と子供みたいなもんなんだから」とジーノは応じた。
「例えば、戦争になったって、今時は正規の騎士が出るっていうよりは、傭兵団を雇う方が利口なんだってさ。ジェノバとかベネツィアは自治都市だろう? だから騎士なんてないんだよ。騎士は主筋に忠誠を誓う。ただ自治都市には誓うべき主が居ない。だから力を金で売ってくれる傭兵団が幅を利かせているんだってさ」
「じゃあ、あいつらは何のためにいるのよ」
アニータは白い指先で通り過ぎて行った騎士の背中を指さした。
騎士の有用性。
ジーノは馬に挟み込まれたた弩弓を思い出した。
その昔は、騎士団同士の突撃による戦いがあったそうだ。が、その時代はもはや遠く、今では、剣は弓、弩弓による打ち合いの前に太刀打ちすることが出来ないという。
優秀な弩弓は金属鎧を打ち抜いてしまう。
その事実が明らかになって以降、騎士という存在の有用性がよくよく議論になる。公証人どもは自治法が整備されれば、力などというものは常時は不在でも構わない。
なぜならばそれは雇えるものなのだからと言うものすらいた。
ジーノ自身は使いようではないかと思う事も多いが、議論は常に騎士たちの憤怒の表情に彩られて終わる。それも当然で、お前たちの時代は終わったのだと公言されているものだからだ。
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