第21話 回廊
「その…そのロッカーは寝床なんですか」
「佐藤素一、そんなことはどうでも良いのです。結論から言えばその通りですが、まぁ良いではないですか」
「立って寝ているってことなんですか?」
とにかく聞いてみるが、ルイスさんは全く耳を貸そうとせずに、「それもまぁ良いではないですか。どうなったのですか、ジーノ・ロッセリーニは」と言った。
―――状況も何も。
そこまで考えて、我に返った。
何を求めて毒キノコまで食べて何を求めてきたのか。
歩き出したルイスさんに促されて、隣を歩く。
「はて、なかなか説明しずらい事の様ですね。まぁとにかく思いつくまま話してみるのはいかがですか? うまく話そうとしないでも結構ですよ」
「……その、込み入ったことになってまして」と続けた。
まずは、茸の作戦が上手く行ったこと。
しかし結果としてアルベルトとピッポの兄弟を本気にさせてしまったこと。
盗賊が暗殺者として差し向けられたこと。
そして、その家族を人質にとられているという事を、たどたどしく話す。
「酷い話ですね」と、ルイスさんはあまり酷そうな感じを込めずに言った。
「……ホントですよ」としか答えられない。
自分が狙われるのはしょうがないが、その為に全く関係のない他人に危害を及ぼしていることが、支えきれない程の重みに感じる。
「あなた自身はどうされたいのですか?」
暫く本だけが詰まった奇妙な回廊を二人でゆっくりと歩いた末に、ルイスさんは言った。
―――どうしたいのだろう?。
先ず思いついたのは、あの兄弟と縁を切ることだった。このまま命を狙われ続ける事に我慢がならない。そして次に、アニータの軽蔑しきったような目を思い出す。あの家族にとってみれば、とばっちり以外の何物でもない。
そこまで思って、ジーノ・ロッセリーニの命、つまり自分のことを先に考えた事にがっかりする。
責任は無いのかもしれない。
どう考えても命を付け狙う方が悪い。
しかし、あの家族には何の関係もなかったはずだ。
「自分の命を守りたいと思っていました。二度も簡単に死ぬのはごめんです。でもね。そのせいで、無関係な人がひどい目にあっている人がいるのは、我慢がならない。知らなければ気づきもしないのでしょうけどね。僕はもう知ってしまっている」
あまり通じないかもしれないと思ったが、ルイスさんは軽く頷きながら同意した。
「だから、まず攫われた人を取り戻したいです。そして、その後であの兄弟とは決着をつけたい」
結局いつかはどうにかしなければならないのだ。
ここまで拗れてしまった理由は分からないが、死んでやるわけにはいかない。そして自分のせいで不幸になる家族をほっておくこともしたくない。
ルイスさんは、暫く黙ってゆっくりと歩く。隣を歩調を合わせて歩いた。
顔を伺うと、ほんの少しだけ口元に笑いが浮かんでいた。
「佐藤素一。日本で暮らしていた時は読書は好きでしたか?」
ダラダラと歩くのも飽き始めた頃、ルイスさんは思い出したように言った」
「いや、全然でしたね。本や読まない口でしたよ。どちらかと言えば、スマホで動画とか、漫画とか……」
スマホ! なんと懐かしい響きかと思う。
「それは、情けない。書物を紐解くのはいつの時代でも共通する善行だと言うのに。特に、佐藤素一が生きていた時代は、いわゆる推理小説が花開いた時代でもあったでしょう? 全然読みませんか?」
「推理小説…ミステリーってやつですかね」
そういえば本屋には必ずコーナーがあったように思う。
「私は江戸川乱歩や横溝正史と言った昭和のミステリーも好きですが、昭和平成のミステリーも好きでして、好んで読むのです。島田荘司や綾辻行人などご存じありませんか? 笠井潔の大量死に対する評論等読みごたえがありますよ」
―――言っていることが全然わからない。
「東野圭吾のシリーズ物なども、海外でも話題になったのです。日本人のあなたが読まないとは
「……ルイスさん」
「いえ、何が言いたいという言葉は、今は
「いや、そんな妄想的な事…」
ルイスさんは、人差し指を顔の前で振って、チチチと口を鳴らした。
「佐藤素一。そうではないのです。とある登山家が言っています。『想像力は武器である』。つまり、ひたすら空想をすることで、あり得る事を思い描くのです。こうすれば、当たり前にこうなるではなく、こういう可能性は考えられないだろうかと、何度も自答する。その行為に幅を出す力が想像力なのです」
ルイスさんは立ち止まって、手を広げて言う。
「今回は時間があると見ました。ここにあるのは、いわゆる日本国産ミステリーがすべて並んでいる棚。あなたはここにある良書を読み、案を練るべきです。盗賊の妻を救出するには、まずは場所が分からないと話にならないでしょう、そしてその場所を見つけるためにはどうすればいいか。勿論当たり前の方法が最も手堅いのは間違いない。しかし、敵対する相手がいるという行間を想像力で埋めるのです」
思わず棚を見回す。ほぼ無限に連なる棚が見える。
「こんなに……読めません」
ルイスさんはにこりと笑って言った。
「バベルの図書館の司書の名において、私にお任せください。まずはこの本から行きましょう」
手渡した本には「占星術殺人事件」というタイトルが書いてある。
「ジーノ・ロッセリーニは、二日ほど昏倒していても死ぬことはありません。夜長に読書を楽しもうではないですか」
ルイスさんは端から聞けばそれは酷い事を、それはそれは楽しそうに言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます