第3話 証文
「あのな、お坊ちゃんよ」とヤコポは言った。
しかし太い二の腕だ。なに食べればこうなるのかと思っていたら、確かこいつは鍛冶屋だったはずだと思い返した。副業で腕っぷしを生かして借金取りをしている。
「とにかく座って金の話をしようやな。なぁ?」
「……あのですね」
喉がつかえて上手く声が出ないが、出てきた声のかぼそさに驚いた。ほっそい声しているなぁと思う。
「借金は確かにしましたが、銀貨50なんて借りていませんよ。良いところ10枚じゃないですか。それは払いましたよ。」
「馬鹿だなぁ、ぼっちゃん。飲み食いしただろう? その代金が入ってんだよ」
「いや、飲み食いしたのは僕でなく…」
「女の子がしたっているんだろ。それを持つのが甲斐性って奴だよなぁ」
分かりやすく、ぼったくられていた。
「いいかい。ジーノの坊ちゃんよ。お父さんに泣きつくのはいいが、騎士なんてさしむけるんじゃねぇぜ。そうしたらアンタ、ひどい目に合うからな」とヤコポが言うと、「そうだぜ、反吐詰まらせてやるからな!」とミゲルが合の手を入れる。
ミゲルはヤコポとは違ってガタイも何も大きくない。寧ろ小柄だ。150センチ程なので小男といってもいい。ただ、しきりに小さなナイフを出して威嚇してくるのが不愉快だ。それはともかく何を心配していたのかは、わかった。
「わかった、わかった。とにかく今日は開放してくれませんか?」
「じゃあ、有り金全部出せよ。それでまずは勘弁してやる」
「さっき渡したので本当に全部なんだけど」
ヤコポは「ホントかぁ」と言い、持っている物全部出せよといった。
ポケットを探ると、何もなかった。本当に空白。
「ホントにこいつはしょうがねぇぜ。貴族の坊ちゃんのくせに素寒貧か!」とミゲルが、店中に響く声で言った。周りの酔客もこっちを見ながらクスクスと笑うのが聞こえて居た堪れない。
「足りない分はツケにしてもらうつもりだったんだよ。アンリのあの店はいつもそうしてもらっているんだ」
顔が紅潮しているのが自分でもわかって恥ずかしい。
「それがたまりすぎて、遂にツケにもしてもらえなくなったんだろう? しょうがねぇやつだなぁ。貴族ってヤツはごろつき以下だぜ」
「溜まったツケは払いましたぁ。だからってぼった喰っていいわけないだろう」
「おいおい、言うじゃねぇか。それくらいにしておかねぇと。口をきけなくしてやるぜ」
ヤコポがのっそりと腕まくりをした。
「とにかく銀貨50の借用書を書けよ。それで勘弁してやるから」ミゲルが懐から紙とペンをだした。
親父の洋一郎に借金だけはするなと言われていたのを思い出した。佐藤素一としての人生はどうなったんだろう? やっぱり夢なのではと思い始めていた。
証文にするのはさすがに逃げ場が無さそうだ。ジーノとしての知識が、屋敷に逃げ込んでしまえば、ゴロツキは手が出せないと教えている。
なるほど貴族ってのはそういうものだろうか。しかし、不思議な感覚だった。ジーノとしての意識と記憶があるので、佐藤素一は英語もおぼつかない男だが、明らかな外国語でも流暢に口を付いてでる。
そして、それと同時に逃げ道も何となく浮かぶ。ここの酒場の窓は板張りだが、思いっきり体当たりでもかませば簡単に破れる代物だ。実際ジーノは何度かそうやって逃げた人間がいるのを見てもいる。
あぁ嫌だなぁと思いながら、テーブルを思いっきりひっくり返して、相手にぶつけた。ひるんだすきに木の窓を蹴り空けてその勢いのまま、俺、佐藤素一は夕闇迫る中世の街並みの中に飛び出したのだった。
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