第31話

 目を開けるとそこは、見たことのない光景だった。

 海の上ではない。空でもない。つまりそこは、陸地であることを意味していた。

 スリープは混乱する思考をまとめながら、ゆっくりと上体を起こす。


(ここは……どこだ……?)


 辺りを見渡してみる。ここは、丘の上だろうか? 緑に映える芝生が美しく輝いていた。眼下には先ほどまでいたはずの大海原が広がっていた。

 ふと背後から何やら話し声が聞こえてきた。振り向き視線を定めると、そこにはらしき少女と竜――おそらくが話していた。


「――ルーナ様……もう、行ってしまわれるのですか?」

『……ええ。リュカ、あなたのお陰で私の願いは叶いました。心から礼を言います。本当にありがとう』

「いいえ……。私は、何も……」

『……最後にもうひとつだけ、私のお願いを聞いていただけますか?』

「は、はい。私にできることがあるのなら、ですが……!」

『……では、あそこに眠る、スリープのことを頼みたいのです』

「スリープさん?」

『ええ。私はこれから天竜国へ戻らねばなりません。彼は、これから一人で生きていかなければならない。一人は、寂しく、辛いものです。ですから、リュカ。あなたには彼を支えてもらいたいのです。……船海族のみんなを知る者として、彼を支えてもらいたいのです』


 スリープは、ルーナの最後の言葉で眠る前のことを全て思い出した。

 エイドのこと。

 船のこと。

 フリーが、目の前にいるルーナであること。

 それら全てが急激に彼の脳を攻撃した。

 感情の波が一気に押し寄せたスリープは無意識のうちに涙を流した。

 不意に頭上が陰る。その形は竜の姿をしていた。上を見るとルーナがスリープに微笑みかけていた。


『スリープ。目が覚めたのですね、良かった』

「……


 スリープはそこでハッとする。彼は思わず喉元に手を当てた。


「……声が、出る」

『声も、正常に戻ったようですね。痣も綺麗に消えています。良かった』


 ルーナが微笑む。つられて、リュカとスリープも微笑んだ。


『もし、陸の生活で困ったことがあればを頼りなさい。彼はこの先の、あの小さな家に住んでいます』

「んっ、オールさんだって?」


 ええ、とルーナが微笑む。


『……彼は地陸族と船海族の両親のもとで生まれたです。エイドは、彼の腹違いの兄弟だと聞いたことがあります。どちらの国の事情も知っていますから、何かと助けになってくれると思います。そういえば……あの嵐の日、オールだけが船にいませんでしたね』

「……あの人、あの日にいなかったのは本当に、偶然だったのか……?」


 なんて悪運の強い人だ、とスリープは心の中で呟いた。


『……それでは、私は戻ります。長くこの地にいると部屋にいないことがバレて、また怒られてしまいますから。リュカ、スリープ、どうか……世界に絶望しないでくださいね』


 その言葉は、一度人生を捨てようとしたリュカに対してか。


 はたまた、全てを失い世界に絶望してしまうかもしれないスリープに対してか。


 それとも――両方か。


 ルーナは二人に言葉を告げると、両翼を広げ天へと向かい飛んで行った。

 空は先ほどまでの嵐など知る由もなく、青天であった。

 まるで二人のこれからの門出を祝福するかのように。


「……キュウ……じゃなかったな。リュカ、でいいか?」

「はい、スリープさん」

「……ルーナもああ言っていたことだし、これから――共に生きてみないか?」

「え……?」

「あっ、いや、ごめん! 急にこんな、告白、みたいな……ッ」


 スリープは慌てふためいて恥ずかしそうに口元を覆った。

 リュカはそんな彼の姿を見て、何故か愛おしいと感じた。

 だからリュカはそんなスリープの、口元を覆っていない方の手を優しく引き、包み込むようにして握った。


「……私で良ければ、共に」


 スリープは思わずごくりと喉を鳴らした。

 そして、覆っていた手を口元から放し、片方の手に添え彼女の小さな手に重ねた。


「……これからよろしくな、リュカ」

「はい、スリープさん」


 二人はここから始まる。

 過去を乗り越えるのはまだ先の話だとしても。

 二人はこの丘から、新しい人生を歩み始めるのだ。

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