第30話

『……エイ、ド……?』

「今お前が何を言っているのか、聞こえてなくても大体分かるぞスリープ」

『……え……?』

「そりゃあ分かるさ、フリーとの会話でな。……なぁ、どうして歌を戻さないんだ?」

『それは……だって……、エイドたちが消えるんだぞ……? お前が、お前が死んじゃうんだよ!』

「――もう死んでるんだよ‼」


 雨音が静寂の中に緩やかに溶けていく。

 スリープは絶句した。ルーナは二人の言い合いをただ静かに見守っていた。


「フリーの声は俺にだって聞こえるんだよ。……なぁスリープ、もういいよ。俺たちはもう、十分に生きたよ」

『エイド……?』

「アイたちもきっとそう思うよ。大丈夫だから。スリープが全部の責任を自分一人に感じることはないんだよ。……

「……ええ」

「スリープの歌を、戻してくれ」

「……いいのね?」

「もともと俺たちは死人らしいしな。……それに、恩を仇で返すようで悪いけど、俺はスリープを助けたい。折角生きてるんだ。スリープには未来を見てほしい。だから、いいんだ」


 エイドはゆっくりとスリープの手を引き、その掌を己の掌で優しく包み込んだ。


 その手は冷たかった。

 その手は温かく感じた。


「スリープ、お願いがあるんだ」

『…………お願い……』

「ああ。スリープには、これから外の世界を見てきてほしいんだ。俺たちの分まで、命の続く限り。外の世界を、な?」

『分かった……分かったから……!』

「……ははっ、泣くなよ、汚い顔だなあ」


 わしゃわしゃとエイドがスリープの髪を乱す。雨と涙によって彼の顔はぐちゃぐちゃになっていたが、それが妙に美しいとルーナは感じた。


 ルーナは二人の気持ちが落ち着いた頃、スリープの『歌』を再び掌上に出現させた。その光は先ほど見た時よりも、なんだか弱まっているように見えた。


「『スリープ。早くしなければ、』」


 そう言い掛けた時、案の定スリープは倒れてしまい、エイドの支えを頼りに息を整えていた。胸を抑えた彼を見てルーナはすぐに近寄り『歌』を彼の胸元に添える。『歌』は、すぅ……と彼と一体になるようにしてスリープの体の中へ溶けた。


「『……スリープ?』」


 スリープは意識を失った。しかしその呼吸は先ほどとは打って変わり穏やかであった。彼を支えていたエイドとルーナは顔を見合わせると、同時に安堵の顔を浮かべほっと息を吐いた。


「『……これで、スリープは大丈夫。エイド、大丈夫よ』」

「……もう、心配しなくても、いいんだな?」

「『ええ。だから、安心して……いいのよ』」


 ルーナの瞳から、大粒のがひとつ、頬を伝った。

 笑顔を作っているが、堪え切れなかったのだろう。ひとつ零れてしまえばあとは決壊していくのみであった。


「泣くなよ」

「『泣いてなんか、いないわ』」

「嘘つけ! ……これからどうするんだよ?」


 ルーナは少し考えてエイドに告げる。


「『……国に戻り、使命を全うします。それしか、私にできることはないもの』」

「そっか」

「『……この船が消える前に、リュカとスリープはに保護してもらいます。信頼のできる人よ』」


 エイドの体が、透けていく。

 船も、その姿を保てなくなってきていた。

 終わりの時は、近いのだ。そう言われているような気がした。


「そっか。フリーがそう言うのなら、安心だな」


 エイドの微笑みが、酷く辛そうに見えて。

 ルーナは俯いてしまったまま、動かなくなってしまった。

 数分した頃、地割れのような音が船全体に響き渡った。船は竜の力を失いつつあり、その形を保てなくなっていた。


「『……もう行くわね、エイド』」

「おう」

「『みんなに、ごめんなさいって、伝えておいてくれる?』」

「気にするなよ。みんな、分かってるさ」

「『……ええ』」


 ルーナはリュカの姿を捨て、もとの姿である白銀の竜へと変化し現実世界にその姿を現した。

 その姿は先ほど見えていた姿と同じように大変美しく見事であった。人の体から離れたことにより、リュカの姿が現れる。彼女は深い眠りについており、スリープの横へと倒れた。

 ルーナは二人を優しく抱き上げ、その銀翼を空に向けて大きく広げる。雨に濡れた翼から水滴が飛び散る。ルーナが飛び立とうと足にぐっと力を入れたその時、エイドが彼女を一瞬呼び止めた。


「……!」


 彼が叫んだ声が、鮮明に聞こえた。


「八年もの間、スリープを……俺たちを守ってくれて、ありがとう‼」


 エイドは、満面の笑みでルーナにそう告げると、泡のように消えていった。


 悲しみに暮れている時間はない。

 ルーナはぐっと再び足に力を入れ、空に向かって羽ばたいた。両翼を天高く広げ飛び立ったことにより、嵐の雲間を切り裂いた。

 雨は止み、嵐は消えた。雲間から一筋の太陽の光が差し込み、残った船に当たった。船の姿はボロボロと崩れ始めており、時間の経過を感じさせた。そして船は静かに、太陽の光の柱の中へと沈んでいったのだった。


 船海族はこの日をもって、大海原から姿を消した。

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