第23話
雨が降っていた。
酷い嵐が、彼らの国である船を襲う。全てが海に呑まれ、船上には水が浸水してきて今にも水没するくらいの勢いだった。
今この場には、船上に横たわるエイド、その傍らに寄り添うようにして座り込んでいるスリープ、そして怒りの表情で天を仰ぐフリーがいた。
フリーの視線の先には、伝説とされてきた数百年にも渡り姿を現すことのなかった天竜族がいた。スリープはその姿に呼吸を忘れ、はくはくと口を動かしていた。
『人の子のふりをした、我が同胞よ……。何故
「……。ふざけるな。私が裏切ったのではない。お前たちが私を国から落としたんじゃないか」
『人の記憶の改ざん、接触、そして
「忘れるものか」
『では答えよ。何故、地界・海界に降りたのかを。――答えよ!』
天竜族が
フリーは答えようとしなかった。まるで自分に非はないと言わんばかりの眼光で、天竜族と合わせた目を外さなかった。
『黙認か……つくづく、堕ちたな我が同胞よ……』
呆れた声が脳内に直接響く。重く、重く圧し掛かるその重圧に、スリープの意識が飛びそうになる。フリーはスリープを気遣うようにして彼の前に立った。
「先に裏切ったのはお前たちだ」
『強情な……。……仕方ない』
天竜族が再び咆哮を放つ。瞬間、背後で何かが苦しむ音がフリーの耳を穿った。天竜族の目が細まったのを、フリーは見逃さなかった。
「――スリープ⁉」
スリープが首元を
「……これは」
『その人の子の歌を頂戴した。その人の子の歌声は美味なもの。これより我らの王へ献上するのだ。……今は命があるだけよしとするがいい』
「なんてこと……! それこそ重罪だわ!」
『貴様こそ、海界の均衡を崩しているではないか! それこそが貴様の大罪ではないのか!』
「――――」
フリーは、何も言えなくなっていた。
天竜族の伝承には諸説がいくつかあるが、その中に【船海族の歌声に誘われその者の生気を喰らう】というものがあった。
生気とは、発する声のことを指す。そのことを、酸欠になりながら薄れゆく意識の中でスリープは冷静に思い出していた。
フリーがぐっと口の端を噛む。血が滲み、とても痛々しく見えた。フリーはスリープの視線に気がつくと、ふっと表情を和らげた。いつもの、彼女の顔だった。大丈夫、と口が動いていたのは、果たして見間違いであっただろうか?
「――んっ⁉」
不意に口の中が温かいもので満たされる。それがフリーの口づけであり、温かいものの正体が彼女の血だと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
「……ちゃんと飲んで。お願い」
こくん、とスリープはフリーのお願いを聞き入れた。鉄の微かな臭いがスリープの鼻を通った。
『愚かな……その人の子だけ生かすとは』
「……え……」
どういうことだ? とスリープはフリーのことを見た。フリーは何故かとても悲しそうな目をしていた。
『……この嵐で生き残った者はお前だけだ。それも、すでに虫の息だったところをこの愚かな半端者は自らの血肉を使い生かしたのだ』
その言葉の真意はすぐに理解できた。スリープは咄嗟にエイドのもとへ駆け寄る。フリーが何かを言っているようだったが、今の彼にその声は届かない。
「エイド……!」
スリープはエイドの体を大きく揺すった。気を失っているからか反応がない。いや、違う。エイドの顔は血の気を失くし、口からはだらしなく水が溢れ流れていた。閉ざされた彼の瞼。それが、答えだった。
「フリー……? エイドは、エイドは助からないの……?」
「……ごめんなさい」
フリーは、表情を失くしたまま涙を流していた。か細い声がスリープには妙に鮮明に聞こえた。けれど、こればかりは彼女を責めることはできない。
いつも、輝かしい笑顔を見せていた彼女から表情が失われたことに、スリープは心を痛めた。
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