第19話

「――フリーさんはすごく自由な方でした。この船のみんなの在り方を表現したような、象徴のような人でした。したたかで、綺麗で、私の憧れの人でした。陸から船海族の船に入られた方なのに、人種のへだたりもなくみんなといつも一緒にいました」

「仲良し、だったんですね……」

「はい。ですがあの日……この平和だった日々は狂い始めました」


 ――あれは八年前のことです。



 * * *



 ザァアアと雨の音が周り一辺の音一切を掻き消す。海は大荒れ、船員たちはすでに安全な船内のシェルターに避難をしていたが、そこにエイドとスリープ、そしてフリーの姿は見えなかった。

 三人の不在に最初に気がついたのはアイだった。


「ちょっと、エイドとスリープとフリーはどこに行ったの?」

「分かんねえよ! ……この雨なら気づいてるとは思うが……」

「どうしてこんな時に限ってオールさんいないのよ! ほら、捜しに行くわよビリーブ!」

「お、おうっ」


 降りしきる雨の中、アイとビリーブは三人を捜しにシェルターを出る。この視界ではあまり長時間の捜索は厳しい。名前を呼びながら捜索を続ける。

 少しして目の前にエイドと、横たわるスリープがアイの目に映った。アイはすぐに彼らの側に駆け寄り声を掛ける。エイドは横たわっているスリープを起こそうとしていた。


「エイド! スリープ!」

「スリープ、しっかり!」


 アイの言葉が届いていないのか、エイドは倒れているスリープにひたすら声を掛け続けていた。どうしてこんなことになっているのか聞くべきだろうがこの様子ではすぐに聞くことはできないのは目に見えていた。


「――エイド‼」


 アイがエイドの肩を強く揺さぶる。やっとエイドの目がアイを捉えた。エイドは浅く呼吸をしていたが、意識ははっきりとしていたので心配はいらないとアイは判断した。エイドはアイと、続いて駆けつけたビリーブを交互に見た瞬間、気が緩んだのかその目から涙を溢れさせた。


「エイド⁉ おい、大丈夫かよ……顔色悪いぞ?」

「……ど、しよぅ……」

「な、なんてっ?」

「ビリーブ、俺、どうしたら……! フリーが、フリーがっ」

「と、とりあえず落ち着け? な? ほらぁ~まずは深呼吸~」


 過呼吸気味になっていたエイドを落ち着かせるため一緒になって深呼吸を促す。少しずつエイドの呼吸は落ち着きを取り戻していく。


「はあ、はあ、すー……はあ……」

「そうそう、上手上手。……それで、どうしたって?」

「…………」

「エイド?」


 ビリーブが様子の可笑しいエイドのことを優しくさすっていた時、背後にいたアイが「スリープ、どうしたの?」と言った。良かった、意識が戻ったんだな、とビリーブは安堵した。けれど、エイドの様子からして何かが可笑しいことは明白だった。


「……! ……‼ ――」

「声が……」


 アイの呟きが聞こえたのか、スリープは悔しそうな表情をしてどこかへと走って行ってしまった。


「スリープ‼」

「おいおい本当にどうしたんだよ」

「……スリープ、ごめん、ごめん……! 俺が、誘ったから……!」

「エイド、何があった?」


 ビリーブはもう一度エイドに問い掛けた。


「――俺が、フリーを、


 アイとビリーブは息をすることを忘れた。

 エイドがフリーを殺すなんてことが現実に起こり得るのか?

 あり得ない。二人は真実が分からないまま、ただ今はエイドを信じることしかできなかった。

 エイドは、ひゅっと息を詰めた。瞬間、彼の意識は黒い深海へと沈んでいった。


 ――深淵の中でエイドは覚めることのない夢に溺れていた。


「俺が、フリーを……スリープの声を、」

 ――望んだ。


 ピン、と張った“彼女”の声がエイドの脳内に響く。エイドは後ろを振り向くが“彼女”はいなかった。


「……望んだ……、そう、俺が望んだ……いや、望んでない。望むわけがない!」

 ――君は望んだ。

 ――彼らに嫉妬した。だからなくなればいいと思った。

「そんなこと……!」

 ――ひとりは消えた。

 ――ひとりは声を失った。

 ――そう。

 ――全ては君が望んだから!


「――俺はこんなこと望んでなんかいない‼」


 そう叫んだ瞬間、エイドの目の前に勢いよく細い指が襲い掛かった。急なことで対処できず、エイドはその指を受け入れる。指は、この暗闇の中でも迷うことなく一直線に彼の首を探し当てた。指は緩やかに彼の首を絞めていく。

 気道が塞がれていく感覚に恐怖を感じながらも、この指の正体が誰なのかを冷静に考えていた。スリープなのか、フリーなのか。もしくはその両方か。ぎりぎりと首を絞める力が強くなる。苦しさの中で、見えるものなどないはずなのに。

 見えたものは、泣いている自分だった。


「……俺だけが、無傷だ……」

 ――償え。

 ――一生を掛けて。

 ――償え!


 『彼女』は残響とともに泡となって消えていく。

 その言葉は泡とともに溶けていく。


「償う……償えるわけ、ないだろ……‼」


 浮上した意識の中、エイドは流れる涙を腕で拭いながら静かに呟く。噛み殺した言葉を頭の中で反芻させ、それが『甘え』だと自分に自己暗示を掛けた。

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