第5話
現在――船海族の船の一隻が陸国の船着き場に停泊していた。
その船からは、なにやら楽し気な歌が響き渡っていた。船海族の歌である。
船海族は海の上でしか生きられない。飲み喰らい、海で採れた塩や捌いた魚を携え、それらを売りに陸へ出る。そんな内容の歌だった。
「……って歌ってはいるけど、実際に陸へ降りて売買できるのは、船長と許された人だけなんだよな~」
一人の船海族が船着き場を眺めている。
彼の名はビリーブ。この船で一番の面倒くさがり屋だ。デッキブラシを手に持ってはいるものの、その実、清掃をしている様子はない。
「いつも思っていたけれど、この朝の清掃時間に歌う曲じゃないわよね。なに、オールさんの趣味なのかしら?」
「よお、アイ」
「それはそうとしてサボるの禁止。エイドに言いつけて今度こそご飯抜いてもらうわよ」
「ひどいな~、分かったよ、やるよ~」
アイという女性に釘を刺され、ビリーブはやむなく清掃に取り掛かった。
普段海の上で生活をしている船海族は月に一度陸に停泊する。必要物資を買うために、海で採れた塩を、生成する技術を持たない地陸族に売るためだ。
伝説上のわだかまりが薄れてきたとはいえ、船海族が船を降りることは危険な行為に違いはない。だが、船長のオールはそれを物怖じしない心の持ち主であった。
種族や生き方は違えど同じ人間。それが彼の掲げるモットーであった。
「……しっかし、よくもまあ、地陸族とあんな風に話せるよなオールさん」
「ビリーブ……あなたどこからお酒を取り出したの」
「ふ・と・こ・ろ」
「……あほらしい……」
ビリーブは清掃に取り掛かったかと思いきや頬を赤らめてデッキの
「だらしのない。これだからサボり魔は……って、それオールさんが珍しいって言っていた東洋の高いお酒じゃ……」
「んぇ? そーだっけか?」
「あなた、オールさんに怒られるわよ⁉」
「だいじょぶだいじょぶ、怒られないって」
「私、知らないからね」
はあ、と呆れた表情でアイは溜め息を吐き、そのまま自分の清掃場所へと戻っていく。ビリーブはデッキの外を眺めていた。ここからはよく陸地が見えるのだ。
オールという男についてビリーブは考える。噂では地陸族と船海族のハーフらしい。彼は、彼自身の存在を使ってこの世界の『平和』を体現しているように見えた。
そして、世界の隔たりの一切を無視して、地陸族との交流を楽しんでいる彼は、やはりわだかまりが薄まったとはいえ、少し異常であった。
オールから少しばかり視線を外し、彼の横に立つ人物を見る。オールの実弟であり、次期当船船長となるであろうエイドだ。彼は唯一この船でオールの付き添いで船の外へと出ることを許された者であった。
「……羨ましいけど、ちょっと可哀想だよね~」
なんて、ビリーブはぼんやり呟いてみた。
そうこうしているうちに船にオールたちが戻って来たらしく、なにやら船内が騒がしくなっていた。
珍しいものでも買ってきたのだろうか。ビリーブは声のする船内へと向かった。
「お帰りなさいオールさん。なにか珍しいものでも手に入ったんですか?」
「ただいまアイ。塩を売った時にな、そこの店主がこんなものをくれたんだよ」
オールが持っていた袋の中から取り出したのは缶詰だった。地陸族の言葉がパッケージに書かれているようで読むことはできないが、そこに描かれていた絵から魚類の缶詰であることが推測された。
「なんですか、これ」
「なんでも店主が言うには、魚を煮込んで缶に詰めた保存食、だそうだ」
「結局魚の食べ物ってことですか? なんの魚なのかしら」
「知らん!」
そこ、自信満々に言い切るんですか? と言いたくなったアイであったが、彼が楽しそうにしているのを見てしまうと、言う気が削がれた。
そこへ、デッキを清掃をしていたはずのビリーブが鼻をすんすんと鳴らすようにして二人の間に割って入る。缶詰は開けていないからにおいなどしているはずがないのだが……。
彼の嗅覚に問題があるのではないかとアイは若干心配した。ビリーブはへらへらと笑いながらオールに近づいた。
「ぜってえ美味しいやつじゃん! オールさん、それ俺にくれよ~」
「ああ。みんなに分けるつもりでたくさん買ってきたぞ! ……だが、その前にビリーブ」
「ん?」
ビリーブの頭蓋骨にオールの左掌が覆い被さる。かなりの力が入っているのか、そこからミシミシと変な音がしている。当のオールの表情は変わらず穏やかであった。
「てめぇ、俺の酒、飲んだだろ」
「あ、バレました?」
「あと掃除サボってやがったな? そんなやつは、死ねっ!」
ボキン、と何かが折れる音がした。
その瞬間、ビリーブの断末魔が船内中に響き渡ったとか、いないとか。
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