第2話

 夜の風が心地いい。潮のにおいが鼻腔をくすぐる。先ほどまで眠気があったのに今ではすっかりどこかへと行ってしまったようだ。

 星空を眺めながらフリーの鼻歌を聞いていると、不意にエイドが「この世界ってさ、どのくらい広いのかな」なんて呟いた。このくらい? もっと? と腕を広げて、その大きさを真剣に考えている。


「スリープはどう思う?」

「さあね」

「なんだよぉ、外の世界に興味ないの?」

「……ないわけじゃないよ。ただ、外の話をすると他の船員たちがいい顔しないから」

「……そんなの、あいつらが悪いんだよ」

「まあ、別にどうでもいいんだけどね。あいつらに勝手にそう言わせておけばいいんだし。陸とか、世界の話は興味あるよ。僕たちは海の上のことしかまだ知らないからね」


 スリープはエイドとフリーを見つめて優しく微笑んだ。そして思った。

 興味はあるさ。けれどそれは『船海族われわれの掟』に反する、と。

 一族の中で船を降りられるのは船長と、彼に認められた者のみ。

 オールがこの船の船長であり、エイドは彼の弟であった。次期船長候補として何度かエイドは陸に足をつけたと聞くが、彼にとってそれはあまりいい思い出とは言えないようだった。きっと、今もなお続く確執や、わだかまりが原因なのだろう。


「…………ねえ、二人って、夢とかはあるの?」


 星空の輝きに気を取られ、一瞬彼女の問いに反応が遅れる。


「夢?」

「そう。……例えば、世界中にある食べ物を食べ尽くしたい、とか。そういうのでいいのよ。願望、とも言うべきかしら」


 ああ、そういうことか。スリープは頷いた。


「俺はもちろん、この船のキャプテンになることかな! いつか兄貴を超えるんだ」

「エイドは変わらないな。変わってほしくもないけど」

「スリープは?」


 スリープは、と聞かれて彼は答えに戸惑った。自分はいったい何がしたいのか。何になりたいのか。夢とは、いったいどんなことを指すのだろう。望みはない。

 ただ――。


「……僕は……二人といつまでも一緒にいたい、かな」


 いつまでもは難しくとも、可能な限りは共にいたい。なんて、恥ずかしいことを口走ってしまった。スリープは思わず口元に右手を持っていき、赤くなったであろう顔を隠そうと覆った。そんな彼の行動を見て、エイドとフリーはにやにやとしていた。


「な、なんだよっ……」

「いーやー?」

「かっこいいじゃない。私は好きよ?」


 口ではそう言っているものの、彼女の顔は笑っていた。何故、こんな恥ずかしい気分にならなければならないのか、言った手前スリープは頭を抱えた。

 とりあえず話の矛先を自分から二人のどちらかに向けなければ、更に掘られてしまう。そう感じたスリープはフリーに質問を投げかけた。


「それより! フリーはどうなんだよ」

「私?」

「そうだよ。言い出しっぺじゃん。僕たちにだけ言わせておくなんてずるいよ」


 フリーは自分が聞かれるとは思っていなかったらしく、あっけらかんとした顔でスリープを見た。そんな表情をされるとは思わなかったので、スリープは正直驚いた。


「私は…………」


 フリーは、黙ってしまった。スリープとエイドは顔を見合わせる。急に黙ってしまった彼女の気を、煩わせてしまったことに罪悪感が募った。


「……ごめんなさい。何も、思いつかないわ」

「あ、ほら、この話は終わり! 夢は胸の中に仕舞う方が叶いそうだから言わなくてもいいんだよ!」

「じゃあ言ってしまった僕たちはもう叶えられないね」

「あっ」


 エイドの、気づいてしまった、という表情があまりにも可笑しくて、スリープたちは思わず吹き出してしまった。嬉々とした笑い声が船内を明るくしていく。


 もうすぐ、夜が明ける。そろそろ戻ろうか――そうその場を立とうとした瞬間。


 どうしてこの日、部屋から出てしまったのか……彼らは、一生後悔することになるとは、思ってもみなかった。

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