リュカと天竜の詩

KaoLi

第1話

 八年前のことである。

 船海族せんかいぞくの所有する一隻いっせきの船が海の上を揺蕩たゆたっていた。


「ほら、スリープ、早く行くぞ!」

「ちょっと……待ってよ、エイド。こっちは寝起きなんだから、もっとゆっくり……」

「だめだよ! 早くしないと、このが消えるか分からないんだから」

「……はいはい」


 船の上では子供が二人、はしゃいでいた。

 事の始まりは、スリープと呼ばれた少年の手を引いている、エイドという少年だった。

 彼が夜も更け切った頃に「綺麗な歌が聞こえる!」と言って、その時寝ていた同室者のスリープに声を掛けた。これが大体夜中の二時のことである。

 また始まった、そう思ったスリープは「眠いからいいよ」と寝ぼけ眼で適当に彼を対応したのだが、そんなことお構いなしにスリープはエイドに無理矢理手を引っ張られて起こされた。

 エイドたちは船首へ着き、空を見上げた。そこには満天の星空が広がっており、スリープは思わず、起きて良かったかも、と思ってしまった。


「……あら。ダメじゃない、こんな時間に」

「あ、フリー!」


 フリーと呼ばれた女性は微笑む。年の頃は二十歳前後だろうか。大人びた雰囲気を纏っていた。優しく吹き抜ける風が彼女の艶めく髪をかしていく。


「それを言うなら君もダメなんじゃないの? フリー」

「私はいいのよ。大人だもの」

「……それは、そうかもしれないけど」


 スリープは腑に落ちないという表情をして彼女を見た。


「あのの正体はフリーだったのか~。ねえ、フリー、もう一度歌ってよ!」

「歌? ああ、あのね」


 エイドにお願いされ、少し考えたあと、フリーはもう一度、その詩を歌った。


あまの雫は言の葉となり、海に大地に希望を与えよう。】

【世界を創るは竜の涙。恵みの雨は何処いずこから。】

【ああ、天の竜よ、うたを歌え。雨音に乗せて歌えや歌え。】


 一節のみであったが、彼女の声は心に安らぎを与えてくれる不思議なものだった。


「……どこでそんなの覚えてくるんだよ」

「どこでって言われても……。昔読んだ本に、書いてあったのよ。に関する本にね」

「そっか。フリーのお父さんはの研究者だもんね」

「……ええ、そうよ」


 フリーの笑顔が一瞬、かげりを帯びた。

 それには理由がある。

 エイドとスリープはこの船の者であったが、フリーだけは余所よそ者であった。

 彼女の父親が仕事の関係でこの船に同乗したのが彼らとの最初の出会いであった。数年した頃、不慮の事故で父親が亡くなった。その際、彼女は余所者ゆえに、この船から出ることをエイドたち以外の船員に言われた。

 しかし、この船の船長であるエイドの兄・オールが、彼女が船に残ることを許可したことにより、彼女は船に残ることができたのだった。


「凄いよね! 本自体、海の上にはないから、そういう話が聞けるの嬉しい!」

「そうだね。……僕たちは嬉しいよ、だから気にしないでフリー」

「ええ」


 フリーは、のことを今でも気にしていた。だからだろうか。彼女の表情が翳りを帯びた理由は。けれどその表情はすぐに笑顔に変わった。エイドとスリープは二人顔を見合わせて安堵した。


「本なんて陸には山ほどあるわ。……読んだことはないの?」

「一回は読んでみたい、とは思うけど……俺は字が読めないからなぁ」

「勉強嫌いだもんなエイドは。前にサボったのオールさんにバレて怒られてたし」

「う、うるさいな! ちゃんとやるときはやってる、もん……」

「本当?」


 スリープが煽るようにしてエイドにちょっかいを出す。そのじゃれ合いを見てフリーがクスクスと笑いだした。


「ふふっ、字が読めないのなら私が教えてあげるから。でもそうね。この潮風だと本が傷んでしまうかもしれないわね。持ち込むには少し厳しいかしら……」


 エイドは分かりやすく残念がった。

 フリーはそんな彼を見て微笑んでいた。

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