4話 夜の牢
夜も更けてきた頃だろうか。牢に戻され、いつもの味も色もない食事を食って眠っていた頃だ。
「おい、起きろ! お前を買いたいという人が来たぞ!」
牢番の怒鳴り声で頭が覚醒する。
ウルセェな、こっちは寝てるんだぞ。
声の方を睨みつけると、二人の牢番の後ろに身なりの男と只人の女が立っていた。
男は何度か見たことのある奴隷商だ。
女の方は初めて見るが、生きている、そんな色を感じさせない女だった。
竜種のオレとは違い、鱗のない肌は血色が悪いのか妙に白く、酷い病でも患っているのかと思えるほどだ。
肩より長いくらいに伸びた琥珀色の髪に花飾りを着け、緑とも金ともつかない目でオレのことをじっと見ている。
「本当に構わないんですか。その、そちらの女性一人にしてしまって」
「こちらの方のご希望だ、仕方ないだろう」
クスクスと女の笑う声が聞こえる。
「君達は私が彼をどう御するのか、興味があるんだろう。悪いが私には、見られて喜ぶ趣味はないんだがね」
牢番と奴隷商がバツが悪そうに目をそらす。
何だ、好き者の変態か?
「私が中に入ったら、鍵を締めてくれて構わないよ。手足は自由にさせたいから、枷の鍵も貸してほしいんだが」
そう言って手を出す女に、牢番から二本の鍵が渡された。
おいおい、本気でここに来る気か?
オレが連中のやり取りを見ている間に、女は牢の扉前に立ち、オレのことをじっと見ている。
少し脅してやるかと、口の端を上げ、牙を見せつけるような、自分で言うのも何だが凶悪な笑顔を向けてやる。
「同族の男じゃ満足できなくなったて来たのか、お嬢ちゃん」
「おい! 失礼なことを言うな! す、すいません、口が悪いやつでして……」
おうおう、奴隷商のやつ慌てて頭を下げていやがる。こりゃ、相当貰ってるな。
「構わないさ。軽口の一つも言ってくれた方が、こちらとしても退屈しないからね。それより、早く中に入りたいんだが」
女の言葉に牢番が不安そうな顔をしながら牢の鍵を開ける。
安心しろよ、こんな枷着けられてちゃ走ることもできないからな。
中に入ってきた女を見る。
フード付きのマントの上からでもわかるほど、軽く力を入れるだけで折れてしまいそうな華奢な体つきが、肌の色と合わさって今にも倒れそうな弱々しさを感じる。
夜、こんな時間に奴隷身分のオレがいる場所なんぞより、固くて冷たい床の上で寝るより、あったかいお家のベッドで横になってろと言いたくなる。
「それでは、私達は一度離れますが……本当によろしいので?」
「ああ、大丈夫さね。朝には、全て終わっているともさ」
牢の外の連中が目を合わせ、立ち去っていく。
足音が聞こえなくなった頃、女はオレを見、近づいてくる。
「さて、話をするのが先が良いかい? それとも手足の自由かい?」
「どっちだって構わねえさ。やりたいようにやれよ。払った金の元くらい取らなきゃ、損だとか思ってんだろ」
そうか、と短く返事を返し、オレの顔に両手を添える。
金とも緑ともつかない瞳がオレの目をまっすぐに見た瞬間、背筋に悪寒が走る。
反射的に枷を着けられたままの腕で、女を殴りつけていた。
はずだった。
「私に見つめられて反射的に、かい?」
手袋をはめた細い手が、オレの腕を抑えている。
オレの目に写っているのは、女の細い手だ。だが、感触はまるで巨木か大岩を押しているような感触。
気味が悪いやつだ。視線が合うたびに、まるで毒蛇と同じ檻に閉じ込められているような気分になる。
「クソっ、何しやがった! お前、魔術師じゃなにかか!」
「いや、そんな者じゃないさ。ああ、私の視線が効果がないのだね」
力を込めて女の手を振り払おうとするが、細い指が肉に食い込み、腕を動かすことができない。
オレの様子を見て喜んでいるのか、口元を上げて、笑顔を作る。
クソっ、こんな気味悪い笑顔なんざ、初めて見るぞ。
「ああ、すまないね。こんなに力を入れたら痛いだろう」
腕に食い込んでいた指が離れる。
動ける。そう判断した瞬間、オレは目の前の相手から後ずさり、牢の壁に背をつけていた。
視線を合わせちゃダメだ。だが、相手から目を背けるのは、それ以上にダメだ。
女の目を見ないように、けれど姿を捉えるように、相手の額のあたりに視線を向け、聞いた話を思い出す。
一部の魔獣や魔術師は自分の視線を武器にする。恐怖心を煽ったり、自分に魅了させたり、酷いやつは石に変えてくるって話だ。
「おやおや、目を合わせてはくれないのかい。良い判断だが、そうあからさまだと少し、悲しいね」
女がこちらへ近づいてくる。
とっさに構えを取る。
「手と足のそれ、取ってあげよう」
女の手が枷に触れ、手袋をはめたままの手で、手枷の鍵を外し、足かせの鍵を外す。
「そう構えないでおくれ。暴力で解決するようなことは、好きじゃなくてね」
「そうかよ。それにしちゃ、ずいぶんと力がこもってたみたいだぜ?」
「暴力は好きではないけど、それ以上に痛い思いは嫌いでね」
オレの腕を見ながら、肩をすくめる。
どうする。こいつ、素手で相手ができるか?
いや、むしろこいつ、ヒトなのか?
「察しはついていると思うが、私は君を買おうと思っていてね」
「お嬢ちゃん、オレがこんな場所にいる理由くらい聞いてんだろ。本気で言ってんのか?」
「ああ、非常に反抗的で、今まで何人も買い手を叩き潰して、処分同然にここへ送られたことだろう。当然、聞いているさね」
「じゃあオレを紹介した野郎に文句でも言って、金なりなんなり返してもらうんだな。オレは誰かの所有物になる気なんざ、これっぽっちもないんでな。第一、そんな痩せっぽちの体じゃあ、オレの殴られたらへし折れちまうぞ」
「魔術の束縛を受け奴隷として扱われて、そう言えるだけでも大したものさね。余計に価値があるかどうか確かめたくなるね」
女の口の端が上がる。本当に気味の悪い笑顔だ。腕に絡みついた毒蛇に笑いかけられるような、そんな気味悪さだ。
「なんだ、結局そっち意味で買ったのかよ。悪ぃがオレは鱗のない女にゃ興味ねえよ!」
「何を想像してるのか知らないがね、君が思うよりは良いことにも、悪いことにもなるさね」
瞬間、女の姿が視界から消えた。
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