第3話 お花茶屋。

 夕方、京成はお花茶屋駅に戻ってきた。

 僕の足取りはいつもより遅かったのか、改札をくぐると夕暮れはもう終わりそう。

 通勤帰りか学校帰りの皆さんが足早に歩んでいく中、街を照らす気をなくしつつある夕陽に同調したように、僕のハートはいささか呆け気味だった。


 でも、今日は、食材をお買い上げする日。

 僕は駅と自宅ワンルームの中間のお得スーパーに入り、卵とキャベツを買った。野菜コーナーには、あと、季節外れの東瓜かぼちゃ特売品バーゲンされていた。

 微笑ほほえましい淡色の小東瓜プッチィーニも2つ買った。


 僕の自宅ワンルーム

 今宵は、専門学校の方の宿題に取り組む。

 苦手としている英語の要約演習だ。

 通っている専門学校では、通信・添削教育が主流で学費も安い。

 単位取得のタイミングの自由度が高いはありがたいね。


 東欧の外れでロシア語の初等教育を受けた僕だけれど、英語力はつけておきたい。

 ここ日本では、ガイジンな感じの人間には、もれなく英語力が期待される。

 栗色と赤色の中間の眼を持つ僕は、今後も純日本人枠じゅんジャパに入ることはない。


 今晩は長期戦。

 僕は、マーマのお手伝いでよく作っていた野菜スープを煮込みながらの要約演習に取り組むことにした。


 お題は、複合機オールインワンのデバイスドライバに関する記述。

 「全部入り」といった感じがする、all-in-oneという語がスキャナとコピー機能とその他もろもろを併せ持った複合機を意味することを、僕は初めて知った。

 英語のハードルはまだまだ高いね……。


 少し気分転換をしよう。まずは、玉ねぎのみじん切りから。僕はリズム良く玉ねぎを細やかにしていった。概ねみじん切りを終えた頃、視界の外れにあった台所の小さな窓を、突然、大きな輝線が横切った。

 その時、僕の耳元で先程ネット辞書で調べたワードがリピートして囁かれる。

"All-in-one, All OK." "All-in-one, All OK." "All-in-one, All OK." 


 突然のことに驚き、そして、OKという言葉になにか猥雑わいざつなものを感じた僕は、身震いした。何やら、少し寒気を感じた僕は、温野菜である小東瓜プッチィーニもふんだんに入れた野菜スープを作った。


 野菜スープを少しすすってみた。スープにする時に粗くしていたため、小東瓜プッチィーニの柔らかな粒が舌に心地良い。


『本マニュアルが提供する、複合機のAPI情報はプリント機能、コピー機能、スキャナ機能、および、その通信機能(eメール、FAX)からなります。』といった文を相手の英文要約は少しずつ進んでいった。


 時計が0時を回った。


 おじいちゃんとマーマに連れられて東京に来たのは、僕が日本では小学5年生の時だった。

 その前は、マーマ、おじいちゃんと、それにおばあちゃんと一緒に、ブドウ畑と共に生きていた。

 昨年にマーマを看取って、僕は1人になった。長生きだったおじいちゃんとおばあちゃんは多分寿命で、そして、マーマは乳がんだった。かつてシベリア抑留されていた、朝長おじいちゃん。その後、共産党員となりロケット技術者となったおじいちゃんがをプロレタリアートとして働いていたソ連のカルーガという町で、汚染された放射性物質が降り注いだことがある。


 東京に来て受けた健康診断で進行した状態で発見されたマーマの乳がんは、僕が高校に入った頃、全身に転移していた。

 東京のおじいちゃんの親戚の応援の下、がんの治療を順番に試みることになったマーマは、僕に弱音を言うようなことはなかったけれども、その頃のマーマの寝顔はしばしば苦しそうだった。そんな中でも、マーマは僕に料理の仕方や裁縫の仕方などを丁寧に教えてくれた。 マーマは、「ルカが生まれる前のことは過ぎたことね。」と、放射性物質の影響で乳がんになったことへの恨み言は最後までなかった。

 マーマの教えは、今の僕を支えてくれている。


 この部屋の3人がけソファは、マーマが東京に来てからした唯一の大きな買い物。今は僕が一人座り、そして眠るソファベットになっている。横になると、ドニエストル川を見ながら暮らした日々が浮かんでくることがある。


 村の学校は午前で終わる。川沿いのぶどう畑でみんなで手伝いをした後の帰り道は、学校の友達と一緒。中の一人がVHSビデオというものを持っていた。

 彼のおうちで、海外製の子供向けのビデオを何度も見た。コレクションの中に日本語のビデオ、空手バカ一代があった。カラテという名はみんな知っていたし、ソ連の頃のロシア語の子供向けビデオなんかよりもはるかに動きが良かった事もあって、みんなで夢中になって見たものだった。おじいちゃんに習って日本語がわかる僕は、ルーマニア語になんとかまとめていった。

 特に『悲しいヨウジンボウ』からの話では、住んでいるところから立ち退きを迫られている町の人を空手使いが守ろうとする話がわかりやすくて、僕もみんなも大好きだった。

 僕は父を知らない。僕が生まれる少し前にドニエストル川沿いで繰り広げられた小さな戦争で命を落としてしまっていたのだ。僕は、たぶん正義のために戦う空手使いに父の姿を重ねていた。


 僕の頬に、温かい涙がつたった。眠る刹那せつなによくある事



 道場で、下段に構えなおすコウと向かい合っていた。大会などでは使わない構えだ。僕も普段の中段から下段に竹刀を落とした。横薙ぎに来るな、そう感じた僕は受けを捨て、打ち合うことを選んだ。

 地区では優勝候補と目されていただろう僕は3年生の最後の地区大会であっけなく敗れ去った一方、2年のコウは全国大会に進むことができていた。

 全国大会では、中段の構えを崩すことなく、挑戦者として挑んだコウ。


 3年の僕たちが引退する夏休み第一週、新部長のコウが部活の鍵を借り受けた。

 二人で最後の稽古をするのだ。


 マーマがこの世を去ってから一月ほど経っていた。

 稽古では、やはりコウが優勢だったけれども、僕も3本キレイな一本を決めることができていた。勝ち負けはさておき、下段での半ばじゃれ合う乱暴な打ち合いが心地よかった。


 細身の僕が、縁あって始めた剣道。


 はじめのうちは、空手使まぼろしのちちいに負けないようにというような思いもあったし、太刀筋を教えてくれたナオ先輩達にとにかく必死に食らいつく毎日だった。

 上段から、頑強に竹刀を振るわせ突きをなすナオ先輩の強さは、空手使いに変わり僕の憧れ、立ちはだかるいわおとなった。


 中学で全国大会に出場し女子ながら男子を圧倒してきたというコウが入部してきた時、ナオ部長は、コウの稽古は僕がつけるよう命じた。

 中段を得手とするコウの太刀筋の速さに、僕は驚いた。必死になって、コウの竹刀を受け続けた僕だったが、一本をはじめに取ることができた。一本を取った僕のほうがむしろ息を荒くしながら、悔しそうなコウの様子を見据えていた。


 そこから良き稽古仲間として、1年と4ヶ月を過ごした。マーマをお見送りすることなどに忙しく、竹刀を振ることがめっきり少なくなってしまっていた僕だったが、中段に構えての立ち会いでは、まだコウには遅れは取らないのではないかと思う。


 でも、今日の僕は、コウに全力で立ち会うことはしたくなかった。

 僕が全国に出れなかったことを一番悔しがっていたのはコウだった。そんなコウに、僕が、最高の太刀筋を決めたとすると、コウがさらに悲しむ気がしていたのだ。

 そんなに長くは稽古をしなかった僕たちだったが、夏の剣道場だけに、十分に汗をかいていた。僕たちはシャワーを浴びる。


……シャワー室から出ようとした時、コウが入ってきた……こんなことはなかったはずと思ったが、夢の中のコウは立ち止まらない。

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