第8話:「時間を頂けますか」
あれから意識を取り戻した夏未を送り届け、陽も自宅へ帰り着いた。ヤタと、かつて姉のように接してくれた者と共に。
まさか入居初日に客を招くことになるとは思わなかった。それも昔馴染み。そして、陽が最も接触を恐れた憑魔士一族。
緊張は拭えない。昔よくしてもらったとはいえ、いまは仇――それも、実の兄を殺害したとされているのだ。強引な手段を取るつもりはなさそうだが、なにを考えているかはわからない。
――ヤタが警戒してない。それなら大丈夫か?
油断してはいけない。うっかり口を滑らせれば大貫に危害が及ぶ可能性もある。何度も何度も唾を飲み込んでいた。
「結構いいとこ住んでるんだな」
「……はい」
「高校は? 行くのか?」
「ええ」
「そっか。義務教育は終わらせた、よな?」
「はい……」
どこまで喋っていいものか。どれだけ脳を絞っても相槌しか出てこない。警戒しているのが露骨に伝わってしまう。ヤタも苦笑を浮かべていた。当然、二葉も。
「ごめんな、怖がらせて」
「あ……いえ、怖がっては」
「ごまかさなくていい。兄さんの件でずっと隠れてたんだろ?」
「……! ぼ、僕は……」
やってない、と言えたらどれだけ楽だろう。
実際、本当に一哉を殺していないのだ。だが、訴えたところで真実が伝わるはずもない。なにせ陽自身もなにを、どう伝えればいいのかがわからない。
目の前で一哉の首が飛んだ。それ以上のことを説明出来ない。憑魔士はそんな説明を望んでいないはずだ、見ればわかることなのだから。
言い淀む陽を前に、二葉は笑う。五年前に見た、優しく温かい笑顔のまま。
「わかってる。お前がやったんじゃないんだろ」
「っ!?」
まさか二葉からその言葉が聞けるとは思わず、驚く陽。実の兄が殺害された、その容疑者が陽であると誰もが信じて疑わなかっただろうに。どうしてそう言い切れる?
陽の疑問を見透かしたように二葉は続けた。
「冷静に考えればわかる。十歳のガキに首飛ばされるほど兄さんは間抜けな憑魔士じゃなかった。あたしが一番わかってる」
「……二葉様から、そう仰って頂けるなど……思ってもみませんでした。
「いま言った通りだ。もう一回言うか?」
「は……? えっと、え? どういう……」
「あたしがいまの憑魔士の長だ。言い換えれば、美景家の現当主でもある」
言葉を失った。一哉の死を経験して、塞ぎ込むわけではなく自身が跡継ぎになることを選ぶだなんて。
どれだけの研鑽の末に掴み取った座なのだろう。逃げることしかしなかった陽には想像も出来ない。
「大変だったよ。兄さんの死をきっかけに他の家系がこぞって美景家に取り入ろうとしてきた。次期当主――憑魔士の長の座を狙ってな」
「……二葉様は、どうやって当主に? だって八咫烏は僕が……」
「力尽くで。魔童と契約して、実績重ねて黙らせた。文句を言わせないように、やれることやったんだよ」
「美景家の魔童もなく……?」
「勿論。まあ挨拶はさせとくか。エンカン」
二葉はスーツの裏に忍ばせていた銃を取り出し、魔童に呼びかける。すると銃が光を放ち、姿を変えた。
四つの足で立つ獣――初めて見たが、狸だ。体格は中型犬程度に見えるが体毛の多さがそれを強調しているのかもしれない。なにより奇妙なのは口に咥えた煙管。
エンカンと呼ばれた狸は上体を起こし、そのまま尻餅をつく。煙管越しに空気を吸い込み、吐き出した。煙が室内に立ち込める。
「やあ、君が陽くんだね。二葉から話は聞いているよ。私は“
見た目よりも随分渋い声。一見愛らしい見た目をしているものだから少なからず驚いた。ヤタよりも年齢が高そうに思える。
「は、初めまして。七尾陽です。こっちは八咫烏のヤタ」
「おう、よろしく」
仮にも最強の魔童と呼ばれていたヤタがこの軽さだ。貫禄の有無で言えばエンカンの方があるように思える。
ヤタの軽い返事に対し、エンカンはくっくと喉の奥を鳴らして笑う。魔童同士のコミュニケーションはこんなものなのだろうか。
二葉はエンカンを担ぎ上げ、床に座る。こうしてみると飼い主とペットのようにも見えてしまう。
「こいつがあたしの相棒。そこら辺うろついてた魔童で、自分の力で契約したもんだから由緒もくそもない。こいつと一緒に憑魔士の長になるなんて言ったもんだから、批難轟々だったよ」
「当然だろう。十五歳の少女が契約した魔童で頂点に立とうなど、普通は考えないし、実現不可能な夢物語にしか思えんよ」
「けどいまはあたしが憑魔士の長だろ。人間、やろうと思えばやれるんだよ。あたしが証人だ」
「ああ、そうだね。血と汗と涙の果てに掴んだ座だ、誇るといい」
「そうする」
くしゃっ、と表情を緩める二葉。五年越しの再会ということは、彼女は二十歳になっているはず。だというのに、エンカンに向けた笑顔は十五歳の頃から変わっていない。
――いったいどれだけの苦労を重ねたんだろう。その上で、どうしてそんな顔が出来るんだろう。
大切な人を失ったのは陽だけでなく、二葉も同じはず。血縁ということもあり、陽の喪失感とは比較にならないはずだ。
悲しみも、苦しみも、全てを背負い込んで憑魔士になった。それも、自らの力で。逃げてばかりいた陽とは正反対。
――僕に、なにが出来たんだろう。
無力感と恥ずかしさが俯かせる。握る拳に力が入るが、すぐに
二葉はエンカンを下ろし、陽の前で正座する。偉ぶるわけでも、威圧するわけでもない。真摯に陽と向き合おうとしていた。
「話を聞かせてほしい。どうしてお前がここにいて、八咫烏と契約出来たのか。いままでなにをしていて、どうやって生きてきたのか」
「……僕、は……」
話していいのか。
憑魔士に見つからないように、隠れて生きる。それは命の恩人である大貫からの頼みだ。憑魔士、それもその長である二葉に打ち明けてしまっていいのか。
口を噤む陽。どうすればいいのか、決められない。選択に自信を――責任を負う覚悟を持てなかった。
そんな折、不吉な羽ばたきが聞こえた。そのまま後頭部に鋭い痛みが走る。ヤタの嘴につつかれたようだ。
「痛っ……!?」
「話しゃいいじゃねーか。フタバは敵じゃない、オレが断言する。信じるかどうかはお前次第だけどな」
「信じてくれとは言えない。あの日、あたしたちはお前の話を聞いてやれなかった。いますぐじゃなくていい、話してくれるのを待つ。いつまででも」
敵だとさえ思っていた憑魔士が、こうして正面から向き合ってくれている。力で解決するわけでもなく、言葉と態度だけで。
――僕は、なにを信じればいい?
「……少し、時間を頂けますか」
こんな言葉で逃げ切れるとは思えない。それでも、いまの陽にはこう言うしか出来なかった。
二葉はそれを了承し、陽の自宅を後にした。連絡先だけを置いて。
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