第7話:「覚えてないか?」

 現れた狐火の後を追い、辿り着いたのはある神社だった。こんな時間には参拝客など当然おらず、人の気配もない。

 魔童が人間を連れて行くにはもってこいの場所と言えるだろう。狐火は道中にも数を増していき、目視出来るだけで二十匹程度。実際にはもう少し多いと思っていいはずだ。

 境内の中心に横たわっているのは夏未。意識を失っているのか、目覚めそうにない。


「ヤタ……」

『まずは敵意を示せ。お前らを倒しに来た、ってな』

「……わかった」


 指示を仰ぐも、返ってくるのは極めて冷静なもの。いまの彼は陽気なカラスじゃない。美景家が抱える最強の魔童、八咫烏だ。

 民間人を守るのであれば、彼の指示に従うよりほかない。深呼吸を二、三度繰り返し、叫ぶ。

「――やらせないぞ!」

 その声に狐火の群れは陽の、敵の存在を認識する。つい後退りそうになるが、ここで退いたらなんのために追いかけてきたのかわからない。

 それに、美景家の力と誇りを汚すことになる。怖くても、足が震えても、逃げたくても――戦場に出た以上、戦うしかない。

 鞄から銃を取り出し、そのグリップを掴む。手のひらに汗が湧いた。


 この力を使えば憑魔士に見つかるかもしれない、顔の見えない恐怖に怯えながら戦う日々が訪れるかもしれない。

 それでも。八咫烏が主と認めたのなら、その責任を負う必要がある。

 銃口をこめかみに押し当てる。引き金にかかる指は震えて力が入らない。ヤタの声が響いた。


『お前の仕事だ、腹括れ!』

「……!」


 夜の静寂を裂くように、撃鉄の音が響いた。

 頭が吹き飛んだかと思うほどの衝撃。かろうじて体勢を立て直すと、身体に異変が起こった。

 自分のものではない“なにか”が流れ込んでくる。それは全身を駆け巡り、陽と融け合う。夜より深い色の影をまとい、一陣の風が薙いだ。


「……!」


 影の中から姿を現した陽、その容貌は明らかに人間のそれではなかった。

 混じり気のない黒の外套。カラスの頭部を模したような仮面。背中からは心を乱すような音を立ててはためく双翼。腰からは武骨な尾が一本生えていた。

 魔童、八咫烏の力。陽も初めて見る、最強の魔童の戦闘形態。思わず震えた。武者震い、あるいは畏怖。

 当然の反応ではあった。影の世からこちらの世を守る戦い、その最前線に立つべき力を行使している。他でもない、憑魔士ではない自分が。


 陽の変化――というより、顕現した八咫烏に恐れたか。狐火の群れが吠える。どこからともなく炎が生まれ、それらは四つ足の獣の姿を象った。増殖した狐火は境内を覆い尽くすほどの数になり、陽の前に立ちはだかる。

 もう夏未の姿は見えない。これだけの群れを相手にしていれば、彼女を捕獲した本体は行方を眩ませてしまうかもしれない。そうなればヤタの力を使った意味がない。


「ヤタ、どうしよう!」

『どうしようもこうしようもねェ! 道拓いて取っ捕まえるまでだ!』

「うぅわっ!?」


 陽の意志とは無関係に翼が大きく動いた。一度の羽ばたきで突風が吹き、辺りに妖しく艶めく羽根が散らばる。

 動きを止めた陽を見て狐火の群れが一斉に襲い掛かる。ただ羽根を蒔いただけでどうにかなるものか――。


『“爆羽はぜばね!”』


 ヤタの声がしたと同時、宙を舞う羽根が弾けた。小さな刃となった羽根の欠片が狐火の群れを引き裂き、消滅させた。

 羽根を蒔いたのはこのためだったか、と感心するのも束の間。狐火の第二陣が迫ってきた。


「早く真中さんを助けなきゃいけないのに!」

『なら飛ぶぞ!』

「えっ、わわわっ!?」


 背中の翼が力強く羽ばたく。宙を舞う陽だが、ヤタの力が強く干渉しているためか体勢はすぐに戻った。

 再び翼をはためかせると、小さな黒い羽根が散らばる。それらは地上へと――正確には狐火へと照準を合わせる。夜の明かりに照らされ、妖しくぎらついていた。


『お掃除の時間だァ! “滝羽たきばね!”』


 ヤタの掛け声と共に降り注ぐ羽根。無抵抗な狐火を蹂躙する暴力にも似た力。土煙が舞い、地上の様子は窺えなくなってしまった。

 陽の身体はヤタの意志に従い地上へと降りる。翼を広げて回転し、土煙を払った。狐火の姿は影も形も残っていない。

 ひとまずの脅威は払えた。だが、陽は気付く。助けるべき民間人の姿が消えていたことに。


「真中さん、どこに……?」

『逃したか!? 一網打尽にしたと思ったが……探すぞヒナタ!』


 ヤタとしても想定外だったようで、再び空中へと飛び出そうとする。


「――探す必要なんてないよ」


 不意に聞こえたその声は女性のものだった。一体誰が、どこにいる? 警戒を強める。民間人に見られたとは考えにくい。魔童に攫われた夏未を探している。それがわかるのは陽と同じ存在――つまり憑魔士だ。


『ヒナタッ!』

「っ!?」


 咄嗟に翼が動き、甲高い金属音が響いた。それと同時、羽根から伝わる凄まじい衝撃。棒状のなにかで殴られたと考えるのが妥当だ。

 襲撃者は背後。振り返りざま、黒い羽根を散らしながらヤタが叫ぶ。


『“阻羽はばね”!』


 羽根は壁のように視界を覆い、襲撃者の攻撃を拒絶する。だが――強烈な衝撃と共に、壁はいとも容易く薙ぎ払われてしまった。


「なっ……!」


 襲撃者の得物は、バットほどの大きさをした煙管だった。それを一振りしただけで八咫烏の力を破った。

 襲撃者は顔を隠しておらず、月明かりの下で不敵に笑っていた。その脇にはぐったりとした夏未を抱えている。


 美しく艶めく黒い髪をうなじの辺りで束ね、凛々しさを引き立たせるスーツに身を纏っている。顔立ちは大人と子供の中間、未熟ながらも戦いを切り抜けてきた戦士の顔立ちだった。身長も陽より少し高く、口元は挑発するように歪んでいた。


「……憑魔士、ですね」

「見ての通りだ。そういうお前は陽だな?」

「……!」

「あたしの目はごまかせない。どういうわけか八咫烏の力を使っちゃいるが、見間違うはずがない」

「……僕を捕らえに来たんですね」

「いいや? 魔童を追いかけたらお前がいた、それだけの話だ。あたしにとっちゃ都合がいい話でもあるがな」


 女性は愉快に笑う。陽は一歩後退るが、女性もまた一歩距離を詰めた。逃がさない、という強い意志が感じられる一歩だった。


「お前には聞きたいことが山ほどある。大人しく取っ捕まってくれない?」

「お断りします。僕は無事でいなければならない」

「悪いようにはしない、あたしはお前と話がしたいだけだ。八咫烏にも言いたいことはあるしな」


 女性の声音に違和感を覚えた。まるで困った弟を窘めるような、妙な親近感を与える声音。


『……あ? おいヒナタ、この女……』

「そう簡単に捕まりません! ヤタ!」

『いやいやこいつは……ったく、落ち着け!』


 臨戦態勢を取る陽の意志を裏切るように、ヤタの力が抜けていく。戸惑う陽の傍にヤタが現れ、丸腰となった。魔童の力を持つ憑魔士を前に、丸腰。ヤタには戦う意志がない。

 瞬間、全身から血の気が引いた。思考が淀み、呼吸が乱れる。その隙を逃す憑魔士ではない。すかさず間合いを詰め、陽の胸倉を掴んだ。抵抗する間もなく、背中から地面に叩きつけられてしまう。

 起き上がることさえ出来ない。陽に馬乗りになる形で見下ろす女性に恐怖心を覚えつつ、ヤタへと叫ぶ。


「ヤタ、どうして……!」

『こいつ相手なら戦う理由はねーと思ったからだよ。言葉通り、ヒナタと話したかっただけだろ? 姉貴分として・・・・・・

「……は? 姉貴分、って……?」

「なんだ、あたしのこと覚えてたのは八咫烏だけか? 悲しいね」


 女性はスーツの胸ポケットから手のひらほどの大きさの箱を取り出す。それは煙草の箱のようで、火が点くと同時、妙に甘ったるい匂いが鼻孔をついた。

 姉貴分という言葉。それが該当する人物など一人しか心当たりがない。だが、だとしたら何故?

 女性は含んだ煙を夜空へ吐き出し、苦笑を浮かべる。


「覚えてないか? あたしだよ、二葉。昔は二葉ちゃんって引っ付いてたのに、手荒い再会になっちまって悲しいよ」

「……ふ、二葉ちゃん……?」


 その名を忘れられるはずがなかった。

 彼女の名前は美景二葉。いまは亡き美景家当主――美景一哉の妹なのだから。

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