第6話:「選ぶべき道は」

 二十三時ともなれば人の姿もまばらになってくる。春の訪れを実感していても、夜はまだ冷える。部屋着のまま出てきたことを後悔した。

 一人の夜は久し振りだと感じる。こんな時間に外出するのも、思えば初めてかもしれない。いままでは見つかることを恐れて、篝の家から出ようとしなかったから。

 これからは自分の身を自分で守る努力をするべきだ。人間関係だって新たに構築されていく。必要最低限に留め、慎重に。


「あれ? 陽くんだ、こんばんは!」


 背後からかけられた声。振り向くと、今朝エレベーターで遭遇した少女、真中夏未がいた。視線が合ったのを確認すると、夏未は軽やかな足取りで駆け寄ってくる。


「こんな時間に出歩くの? 悪い子だ」

「真中さんこそ、どうしてこんな時間に?」

「ちょっと小腹が空いちゃって」

「ふふ、ご飯はあまり食べなかったんですか?」

「あー……うん、進まなくって」


 言いにくそうに呟く夏未。なにかまずいことを聞いただろうか、あまり人と関わってこなかった弊害が出たかもしれない。


「失礼いたしました。不躾でしたね」

「え? ううん、大丈夫だよ。本当にご飯進まなかっただけだもん、気にしないで」


 そう言って笑う夏未の笑顔には無理が映っているように見えた。なにか家庭環境に問題を抱えているのだろうか?

 だとして、どうする。他人の家庭の在りように口を出せるほど偉ぶるつもりはない。本当に食事が喉を通らなかっただけの可能性だってある。


 ――下手に勘繰れば余計な干渉が増える。関わりが増えれば要らない情が生まれる。


 人間とはそういう生き物だ。でなければ、素性の知れない少年を一哉が保護するものか。

 もし。

 自分を保護したせいで、一哉が死ぬことになったのだとしたら?

 そう考えるとやり切れない。一哉の優しさが陽という人間をこの世界に存在させた。その点は感謝している。

 一方で、自分を保護しなければ一哉は死ななかったのではないか。そうも考えてしまう。これは彼の優しさを否定し、彼が助けた陽自身をも蔑ろにする思考だ。


 ――僕は、いったい誰を恨めばいいんだろう。


「陽くん?」

「は……はい? どうしましたか?」

「思い詰めたような顔してるよ?」

「ああ……いえ、夜はまだ冷えるなと」

「それもそうだ、そんな格好じゃあね」


 茶化したように笑う夏未。ごまかせたと思っておく方がいいだろう。これ以上、深入りさせてはいけない。


 そうしてコンビニに到着する。店内では各々必要なものを探すため、一人になる。自分のおにぎりと、ヤタの分の缶詰。なんでも食べると言っていたが、さすがに照り焼きチキンの缶詰を差し出すのは人の心の有無を問われてしまうだろう。

 そう考えると、総菜パン辺りが適当か。六個入りのバターロールを手に取り、レジへ向かう。


 夜の時間帯ということもあり、店員の表情には気怠さが滲んでいた。声音も覇気がなく、動作もどこか鈍い。そういうものだと割り切って、手早く会計を済ませる。バッグを持ってきているため、商品をしまおうとして、気付く。


 ――銃が入っている。一哉の遺品である、憑魔士の道具。何故か鞄に入っている。


「なんで……」

「陽くん、どうしたの?」

「どっ!?」


 肩を跳ねさせ、咄嗟に鞄を抱き抱える。背後から声をかけた夏未はあまりにも不自然な挙動に目を丸くしていた。


「……大丈夫?」

「は、はい……すみません、少し驚いてしまって」

「顔真っ青だよ? なにかあった?」

「いえいえ、お気になさらず。さあ帰りましょう、エスコートします」


 なんともまあ自分らしくないことを言ったものだ。自嘲が滲む苦笑いに、夏未は吹き出した。


「あははっ、エスコート? じゃあお願いしようかしら、なんてね」

「ええ、お任せください。必ずや無事に家まで送り届けてみせます」

「大袈裟だなぁ、危ないことなんてなにもないよ」


 おかしな人間だと思われるだろうが、銃を持ち歩くような人間だと思われるよりもずっとましである。

 店を出て、家路を辿る陽と夏未。銃が見つからないことだけを考えているため、彼女の話などまるで耳に入っていなかった。


「陽くん? 聞いてる?」

「え? は、すみません。警戒していて聞き逃していました、なんの話を……」

「あははっ、本当に護衛さんみたいだね。頼もしいや、お化けもやっつけてくれそう」

「お化け……?」

「うん。なんかね、最近この辺にお化けが出るんだって。犬みたいな姿なんだけど、一匹じゃなくて何匹も列をなしてて、追いかけたら消えちゃうんだって。しかもね、姿がゆらゆらしてて、炎みたいだって言う人もいるの。襲ってきたりはしないらしいけどね」


 炎のように揺らめいて、列をなす。追いかければ姿が消える。怪奇現象と言えるし、お化けや妖怪という表現が一般的だ。

 陽の脳裏に過ったのは別の言葉、憑魔士が戦う怪異であり、こちらの世を脅かす存在。


『魔童だろーな』

「ヤッ!?」

「うわっ、なになに!?」

「あ、いえ……すみません何度も驚かせてしまって……なにか、聞こえてきて……」


 たった十数分でどれだけ奇行を重ねれば気が済むのか。高校生活に支障を来たさなければいいのだが。

 いやそれより、いま聞こえてきた声。聞き間違えるはずもない、がらがらとした男性声。間違いない、ヤタの声だ。いったいどこから? 陽にしか聞こえていないようだったが……。


『ここだ、ここ。鞄』


 声の出所は鞄の中だという。憑魔士の銃は魔童の力そのもの。つまり、鞄に収まる凶器はヤタ自身というわけだ。どうやって忍び込んだのやら、問い質すこともいまは出来ない。


『まあまあ邪魔する気はねーよ。きっちりエスコートしてやれ、ジェントルマン。カッカッカァ』


 気を遣うところを間違えているような気がする陽だが、それもまた指摘することは出来ない。

 早く送り届けなければ――焦る陽を他所に、夏未の足が止まる。


「真中さん?」

「ねえ、あれ……」


 夏未の指が示す先へ視線をやり、息を飲む。

 実体のない、犬のような影。それが一列になって歩いていた。噂をすればなんとやら、本当に現れるとは思いもしなかった。


『ありゃ“狐火きつねび”だな。こりゃちっとまずいか』

「……? っ、真中さん? そっちは……!」


 陽の制止も聞かず、ふらふらと力のない足取りで狐火の列へ近づく夏未。声をかけても返事はない、届いている様子がなかった。

 ヤタはまずいと言った。陽には魔童の知識がほとんどない。人を襲う魔童でないならこのままでも問題はないはずだ。


「ヤタ、まずいってなにが?」

『狐火のタチの悪さは、人の行先を惑わすとこだ。意識を奪われて、知らんところに連れて行かれる』

「でも、襲わない魔童なんじゃ……」

『あいつらが人を襲わない? そりゃそんな噂も流れるだろーよ。襲われたことを伝えられねー・・・・・んだから』

「……っ! 真中さん!」

『声をかけても無駄だ、あの嬢ちゃんは狐火の術中だからな。助ける手段は一つだけ――』

 ヤタの言わんとしていることはわかる。狐火を倒すこと。そのためにはヤタの力が必要なこと。

 呼吸が乱れる陽に、彼は『まあ』と続けた。


『ここは人目につく。一旦あいつらを追うぞ。気付かれてもいいから見失わないようにしろ、いいな』

「う……うん、わかった」


 軋む心臓。左胸を握り、夏未と狐火を追いかける陽。

 もし、八咫烏の力を使えば? 美景家に受けた恩を仇で返すようなものだ。ならば放っておけばいい、とは思えない。魔童に襲われる民間人を助けるのは憑魔士の務め。八咫烏がいるなら猶更だ。


「……僕が、選ぶべき道は……」


 いま考えても仕方がないこと。だが、もう避けては通れない道に踏み込んでしまった。覚悟を決め、鞄の中に手を突っ込む。銃のグリップはやけに冷たく感じた。

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