第5話:「逃げんな」
現在、時刻は二十三時を迎えるところ。
荷解きを終えた陽はソファに身を預けてくつろいでいる。篝の家から持ち込んだものがそれほど多くなかったこともあり、新生活が始まるまでの微かな余韻を満喫していた。
八咫烏――ヤタはというと、篝の厚意で購入したテレビを見ている。人間である憑魔士はともかく、魔童にとっては新鮮なのかもしれない。なにせ箱の中で人間が喋っているのだから。
「ずっとテレビ見てま……見てるね、好きなの?」
「おー、嫌いじゃないぜ。こうやって世間の情報得られるってのはいい時代になったもんだよなァ」
「いい時代って……そっか、ヤタはずっと前から生きてるんだよ、ね?」
「お前が思ってる十倍は爺さんだぜ。優しく労わってくれよな」
そうは言うヤタだが、陽には目もくれない。テレビに釘付けだ。これでも美景家が脈々と受け継いできた最強の魔童のはずだが、陽の想像よりも俗っぽいところがあるようだ。
「……どうしようかな」
陽の頭を悩ませる要因、それがこの八咫烏だった。
高校の授業が始まれば、家にいられる時間が少なくなる。加えて、実体化したヤタを外に連れて行くわけにはいかない。
なにせ足が三本もある。下手に出歩いて噂にでもなればこの町に潜む憑魔士に陽の存在が気付かれる可能性も高い。
最大の問題は、ヤタの力を宿した銃。これをどう保管すればいいのか。友人を家に招くようなことはないだろうが、家に置いておくのも憚られる。持ち歩くのも避けたい。大貫の指示とはいえ、篝に預けていた方がよほど安全に保管出来ていたのではないか。
「ヤタ、テレビ好き?」
「ああ、いい娯楽だよ。退屈しねーな」
「よかった。じゃあ、僕と約束してほしいことがあるんだ」
「お? なんだなんだ」
「……僕が家を留守にする間、絶対に外出しないでほしい」
「そりゃまたなんで?」
陽の境遇についても知っているはずだ。何故質問が返ってくる?
なんでもなにも、状況が状況だ。陽がこの町に潜伏していることが憑魔士に勘づかれれば、いずれは見つかってしまうだろう。
相棒だと言ったのはヤタの方だ。陽が憑魔士に見つかり、どのような処分が下されるかはどうでもいいということなのか。
魔童にとって主は代わりが利くものなのかもしれない。だから一哉ではなく、陽を新たな主にした。誰でもよかったのだ、きっと。
なにはともあれ、理由を説明する必要がある。納得するかはわからず、目を伏せる。
「……ヤタと普通のカラスは違うんだよ、誰かに見られたら怪しまれるし、人間の噂話ってヤタが思ってる以上に広まるのが早いんだ。もしかしたら憑魔士が僕の存在に気付いてしまうかもしれないから」
「気付かれてまずいことがあるカァ?」
「僕、憑魔士から追われてるんだよ? 一哉様殺害の疑いをかけられて、五年も……」
「なら訊くが、カズヤを殺したのはお前なのか?」
顔を上げる陽。ヤタはテレビから目を離し、真っ直ぐに陽を見詰めていた。試すような視線に、つい目を逸らしてしまう。
「逃げんな」
ヤタの声は低く、重みがあった。言葉と視線だけなのに、殴られたかのように頭がぐらつく。
長らく、人と目を合わせないように生きてきた。他人の視線に猜疑心が映っているような気がしていた。過去のことなどなにも知らないクラスメートや担任でさえ、自分のことを疑っているように感じていた。
逃げてしまえばいい。
そう思う自分もいる。どうせ信じてもらえないのだからと、理解してもらうことを諦める自分がいる。
その一方で、ヤタを信じたい自分もいた。ここで逃げれば、相棒と呼んでくれた彼を蔑ろにすることになりそうで。
拳を握る。弱気な自分を握り潰すように。ヤタと視線を交えて、告げる。
「……僕は、やってない。犯人は僕じゃない。嘘じゃないんだ、信じ――」
「だろーよ。ハナっからわかってたっつーの」
言い切るより早く、やれやれ、と呆れたように翼を広げる。先程の神妙な空気とは打って変わって、軽口で告げるヤタ。陽の不安など知る由もないその口振りに面食らってしまう。
「ど、どうして僕じゃないってわかるの?」
「知らねー魔童の気配があったからだよ。お前がカズヤの部屋に来てからずっとな」
「え……」
美景家の魔童であるヤタが知らない魔童。まさか侵入者がいたというのか。幼い陽はともかく、一哉が気付かないはずがない。
それに美景家は憑魔士一族の中で最も位が高い。屋敷だって簡単に忍び込めるほどセキュリティは杜撰ではない。どうやって入り込んだのか、まるでわからない。それこそ、美景家を知り尽くしていない限り不可能だ。
動揺を隠せずにいる陽に、ヤタは続けた。
「お前はあの頃、魔童を見たこともねーはずだ。当然、契約していたとも思えねー。
だからあの気配はお前のもんじゃない。カズヤを殺した罪をお前になすりつけようとした誰かの仕業だ」
「僕に罪を、って……いったい誰が」
「それが明らかになってねーからいまもこうして隠れてんだろ?」
「それはそうだけど……」
「ま、オレが違うって言やぁ誰も逆らえねーよ。いままで力を貸してやったご恩を忘れるようなぼんくらだけじゃねーわ。だからあんまびくびくすんなよな」
美景家は八咫烏の力を借りて魔童と戦ってきた。言ってしまえば、ヤタの力がなければ憑魔士の長になどなれていなかった。
そのヤタが「陽は犯人じゃない」と言えば、確かに誰も反論出来ないだろう。納得するかは別の話としても、その声を蔑ろにはしないはずだ。
となれば、いますぐにでも里に戻って説明してもらえばいいのでは。大貫に手間をかけさせるのも気が引ける陽だが、彼は彼なりに考えがあるのだろう。だから陽をこうして匿い続けてきたのだ。
思考は沈黙を生む。ヤタはわざとらしく「あーあ」と声を上げた。
「真面目な話してたら腹減って来ちまった。ヒナタ、飯」
「えっ」
「え、じゃねーだろ。まさかオレに包丁握らせる気カァ? どうやって握るよ?」
「いや、そうじゃなくて……カラスってなに食べるんだろうと思って……」
「だいたいなんでも食うわ。っつーか魔童だから本当は飯なんて要らねーんだけどな」
カッカッカァ、と陽気な笑い声を上げるヤタ。思えば、魔童がどうやって命を繋いでいるかは知らない。人間と同様の食事でエネルギーを賄えるわけでもないなら、何故食事を乞うのか。
「……でも食べたいの?」
「おーよ。食事はいいもんだぞ。特に他人が作った飯は美味い。そういうお前はちゃんと食ってんのカァ? ひょろっこくて昔のカズヤを思い出すぜ」
「一哉様、そんなに細かったの?」
「そーだぜ。こんなヒョロガキに力貸すのか? 爆散しちまうんじゃねーの? って思うくらいには頼りないガキだったわ」
勿論、それは陽が彼に拾われる前の話。陽が知らない美景一哉をヤタは知っている。
――彼が僕くらいの頃、どんな方だったんだろう。
知りたい気持ちはある。その反面、知らなくてもいいとも思う。知ってしまえば、彼の喪失をより強く悔やんでしまいそうだったから。
「じゃあなにか適当に買ってくるよ、コンビニもすぐそこだし。ヤタ、留守番お願いね……って」
もうテレビに釘付けだ。これでも一哉の相棒だったはずなのだが、落ち着きがあるのかないのかわからない。魔童は人間と違う感性を持っているのかもしれない。
あの様子なら勝手に動くこともないだろう。トートバッグを肩にかけて、買い物へと向かった。気のせいか、バッグが少しだけ重たく感じた。
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