『私だけを見て』

 土曜日も仕事だった俺は、寝不足を引きずりながらも何とか頑張って仕事を終えた。

 今日は、麻衣の家に泊る約束をしている。

 別に記念日とかそういうわけではなく、麻衣から来てほしいとLINEがきたのだ。


 夕方五時半。

 麻衣のアパートに到着。

 インターホンを鳴らすと、扉の近くで待っていたのだろうか、秒もかからず出てきた。


「お帰りなさい!」

「お、おお」


 性格は置いておいて、こんな可愛い彼女に迎えられて嬉しくないわけがない。長時間の通話は置いていて、寝不足が少し解消された気分だ。


「お腹空いたでしょっ、すぐ作るからね!」


 軽い足取りで台所に向かう麻衣は、機嫌がいいらしい。声が弾んでいたし、とびっきりの笑顔だった。


「じゃあお風呂入って来ようかな」


 気温も徐々に下がっていき、今はお風呂で温まりたかった。

 だけど、俺はどうやら麻衣の地雷を踏んでしまったらしい。


「何それ」


 麻衣は包丁を持ったまま近づいてきた。目元に影を落として、足取り重く近づいてくる。


「え、いや、お風呂……」

「お風呂と私どっちが大事なの! お風呂に入る暇があるんだったら私を見てよ!」

「ま、麻衣っ、包丁当たってるって!」

「じゃあ私を見てよ。しーくんのために一生懸命作るんだから」


 麻衣はなぜか泣いてしまった。機嫌がいいのか悪いのか、情緒不安定だ。


「わかったよ、見てるから作ってくれ」

「絶対見ててね」

「ああ、うん……」


 それからだ。俺はなぜか台所に立たされて、麻衣の料理風景をだた眺めていた。可愛いから苦じゃないけど、少しでも目を逸らしたり、スマホを見たりすると泣き叫ぶので、神経はかなりつかった。


 麻衣が作ってくれたのは、愛情たっぷりの親子丼だった。

 めちゃくちゃ美味しかった。お腹が空いていたのもあったし、一瞬で食べ終えた。

 俺は何気なくテレビを点けようとリモコンを取ったのだが、麻衣が机を叩いた。


「何でテレビ見ようとしてるの?」

「何でって、だ、だめ?」

「私まだ食べ終わってないじゃん。何でそうやって見てくれないの?」

「いや、うん、見るよ」


 俺はリモコンを置いて、ただひらすら、麻衣が親子丼を食べる光景を見続けた。

 麻衣は頬を赤らめて照れているようで、それがまた可愛いのが罪なような気がした。


 

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