第33話 平和が生むモノ

 水竜の頭上から年老いたリザードマンが聞いたこともない怒声を張り上げる。


「なぜこんな真似を! 貴様、狂ったかサリサァッ!」

「キミでさえその程度の理解か。残念だよ、アルハンブラ」


 アルハンブラ先生の怒りに、魔女はただため息を返した。


「炎よ」


 魔女が囁くと再び巨大な火柱が上がって巨竜の右腕を飲み込んだ。

 一瞬で大量の水が蒸発し、水蒸気爆発が起こる。

 その衝撃で巨竜が一歩退いた。


「耄碌したね。しかしキミも思わないかい? なんて温い生徒たちだろうって」

「思わん! 殺すための魔術の時代はとうに終わった! この子たちは平和の中で降りかかる火の粉だけを払い、日々を豊かにする魔術を学ぶべきなのだ!」

「クククッ、おめでたいことだね。この世界から争いが無くなることなど決して無いというのに」


 爆発でよろめく巨竜の隙を埋めるように小さな影が二つリング脇に現れる。


黄金こがねよ、諸行あまねく叩き潰せ、超合金巨神の右腕オレイカルコス・デクシア! ハイ!」

黄金こがねよ、万象まとめて握り潰せ、超合金巨神の左腕オレイカルコス・アリステラ! ホイ!」


 ハイ先生とホイ先生の呪文に呼応して地面から黄金に光り輝く巨大な腕が生えた。

 召喚された超合金巨神オリハルコンゴーレムの剛腕が左右から猛然と魔女を挟み込む。


絶対不可侵領域エリュシオン


 魔女の口から初めて簡易呪文が零れる。

 エルフの魔法使いを中心に純白の空間が広がる。

 黄金に色づく右腕と左腕はその空間に立ち入ることができず制止した。

 水の巨竜からリングへと降りたアルハンブラ先生が叫ぶ。


「正気に戻れ! 魔術が殺戮の手段ではないことを“魔術の始祖”たる貴様がわからぬハズがあるまい!」

「またそれか。“魔術の始祖”、“霞生まれの三賢者”、“神秘殺し”、“太祖エルネスト”、“親切な亜人さん”、“エルフの魔法使い”、なんとでも呼ぶがいい。勝手な期待はもうウンザリだ」


 ため息をつきながら魔女が指二回を鳴らす。

 巨神像の右腕の傍に巨木が茂り、左腕の傍にワタクシの罪滅ぼしの赤き蛇ネフシュタンインフェルノと同等の炎の大蛇が現れる。


「魔術の発展に寄与したから善人だと? 大魔王を倒したから連合の味方だと? 生徒を傷つけたから狂っただと? 誰も彼も何を為したかだけを見て勝手な解釈を押し付ける。人の真意など考えもしない。狂っているのは時と立場で眼鏡を曇らせるキミたちの方だ」


 魔女が指二回を鳴らす。

 右腕を巨木の枝が絡み取り、左腕に炎蛇が巻き付く。


「ワタシの行動原理は常に一貫している」


 右腕が軋み、左腕が溶け出す。

 世界最上級の耐久性を誇るオリハルコンが壊れていく。


「退屈なんだよ。長生きしているとね」


 巨木の枝が金色の巨神像の右腕を縛り上げ砕く。


「人魔大戦終結後、この十五年は本当に進歩が無かった。平和が生むモノなんて退屈だけだ」


 灼熱の大蛇が黄金の巨神像の左腕を溶かし尽くす。


「その点戦争は良い。活版印刷、蒸気機関、魔導輪転機、簡易呪文。全て大戦中の発明だ。相手を殺すため、自分が生き残るため、競い合い、奪い合い、出し抜き合って人は進歩する」


 魔女の指が二回鳴る。

 巨木がハイ先生に、炎蛇がホイ先生に襲いかかる。


「「ななな、なんですとーッ!」」


 驚愕の声を上げてハイ先生とホイ先生は迫りくる巨木と炎蛇から遁走を始めた。


「それが貴様の真意か、サリサッ! 変性せよ、行雲流水こううんりゅうすい万物流転ばんぶつるてん!」


 アルハンブラ先生が呪文を唱えると、巨竜は濁った水球へと形を変える。


涓滴岩を穿つハイドロプレッシャー!」


 巨大な水球から水流が無数に放たれる。

 ダイヤモンドすら切断する超高圧のウォーターカッターだ。


 しかし、黒色のそれは魔女の純白の空間を貫くことを許されない。


「ワタシがキミたちに魔術を教えたのは世界を面白くするためだ。ワタシが大魔王に挑んだのは当時ヤツが最強だったからだ。ワタシが学園を犯すのはこの世界に再び戦争と進歩をもたらすためだ」


 魔女の指が一回鳴る。

 大竜巻が水球を包み、残った水を完膚なきまでに巻き散らした。


「すべては退屈しのぎだよ」


 魔女が追加で指を鳴らす。

 アルハンブラ先生がリングに倒れ伏し、周囲が軋みを上げる。


「グオッ……。重力だとッ!」


 アルハンブラ先生が戦闘不能になったのを見届けると魔女は白い空間を解除した。


 地に伏すアルハンブラ先生の傍で魔女は腰を曲げて覗き込むように語りかける。


「どうだい? 倫理だ、差別だ、道徳だと余計な足枷に行動を縛られるキミたちより余程わかりやすいだろう? 狂っているのはどっちだ?」


 アルハンブラ先生はもう聞こえていないようだった。


「それは当然貴女ですわ!」


 ワタクシは気を失った先生に代わり、ありったけの声を張り上げて返事する。

 さっきからおとなしく聞いていればもう我慢の限界だ。


「どんなに貴女の中で筋が通っていようがそれっぽい理屈をこねようが、自分の退屈しのぎに人を殺して世界をめちゃくちゃにするなんて狂人に決まってるでしょう?」

「ツェツィ?」


 予想外のところから噛みつかれ、さしもの魔女も驚いたようだ。

 ワタクシは間髪入れずに畳みかける。


「技術なんて所詮人が便利に豊かに暮らすための手段に過ぎませんわ! 貴女は手段と目的を履き違えている! 平和な日常の安寧に身を置き、健やかに過ごすことこそが生き物としてのあるべき姿! それを捨ててまで求めるべき進歩なんて有りはしませんわ!」


 ワタクシの叫びは魔女の興味を引けたようだ。

 エルフの魔法使いは気絶したアルハンブラ先生に背を向けてワタクシに向き直る。


「ほう……。では安寧の中で産み増えるのが人の本質だと? それは獣と同じだろう? 知性こそが人と獣を分かつ鍵だ。ならば、それを究めること、すなわち進歩こそが個の命にも代えがたい人の本質だとは思わないかい?」


「そんなに進歩が好きなら教えてさしあげますわ。知性の進歩とはなにも役に立つ技術だけではないことを。平和な時代でしか生み出せない進歩もあるということを!」

「それはなんだい?」



「愛と文化ですわ!」






「……………………クククッ。アハッ。アッハッハッハッハハハハハハハ!」





 今までの石仏っぷりが嘘だったかのようにエルフの魔法使いが哄笑する。


「何を言うかと思えばキミが愛を語るのかい? 恋も知らぬ十五の小娘のキミが?」


 耳が痛い。


 さらに言えば恋を知らぬ三十路のオッサンでもあった。


 だがここは譲れない。


「ワタクシは本気ですわ」

「クククッ。流石は彼の娘か。まさか二十年も経たずにまたこんなに笑うことになるとはね。いいよ、聞いてあげよう」


「愛は平和の中でこそ健全に育まれる。そしてワタクシたちがいつか滅びようと愛が歴史を受け継いでいく。その素晴らしさは言うまでもありませんわね? 貴女も一度はその身で愛を知ったハズでしょう? リオが、貴女の子孫がここにいるのだから」


「ああ、ワタシも認めよう。愛は素晴らしいと。子作りは実にいい退屈しのぎだった。育てている最中も、手の離れた今もね。我が末裔たるエルネスト商会は実に世界を面白くしてくれているよ。武器という戦争の火種を世界に振りまいてね」


「眼鏡が歪んでますわね。愉悦でしか価値を測れないなんて。話が噛み合いませんわ」

「共感して貰わずとも結構、ワタシはワタシだ。続けたまえ」


「ええ、文化もまた平和の中で育まれる。文化とは伝統、宗教、祭事、芸術、物語、音楽……。どれも人を感動させ、人生を豊かにし、生きる力をくれるものですわ」


「くだらないね。すべて時間の浪費だ」


「生ける伝説である貴女にはわからないかしら? 確かに文化は生存の役に立つものではない。でもちっぽけなワタクシたちは物語に涙し、音楽に高揚し、詩歌に共感する。そしてそれに心動かされ、人生の意味を知る者もいるのですわ──かくいうこのワタクシもね」


 胸に手を当て前世の自分を思い出す。

 そう、自分が心動かされたあの愛の物語の数々を。


「だから貴女の心も動かしてみせますわ! ワタクシのエロゲでね!」





「エロ……………………ゲ?」





 エルフの魔法使いが一度も見たことのない困惑の表情を浮かべる。


「そう、エロゲとは平和の中でしか生まれることのない愛と文化の極致ですわ」

「エロゲ。知らない言葉だね。創世から今までほとんど全ての言葉を知っているつもりだったけど」


「まだこの世界の誰も見たことのない真実の愛の物語。自らの運命を選び取る究極の芸術作品。人生を丸ごと塗り替えられる鮮烈なる体験。それがエロゲですわ!」


「まさかこのワタシが知らないことをキミから教わるとはね。実に興味深い」


 エルフの魔法使いは至極真面目にワタクシに付き合ってくれる。

 ワタクシの思いが届くかもしれないと束の間の夢を見る。

 

 そして、投げかけられる当然の言葉。


「じゃあそのエロゲとやらを見せてもらおうか?」


 げっ。しまった。それはマズい。


「ええ是非。と言いたいのはやまやまなのだけど、エロゲはまだ出来ていませんの」


 情熱に任せて語ったは良いがオチがこれではあまりにも締まりが悪すぎる。


「ツェツィ?」


 大気が凍り付き今にも鳴らんとする魔女の指に殺意が籠る。


「お、お待ちになって! まだエロゲを作るには技術も文化も足りませんの! それには時間と人々の心の余裕が、つまり平和が必要なのですわ! だから矛を納めてくださいまし!」


 さっきまでの堂々たる語りとは打って変わって、ワタクシはしどろもどろに弁解する。


「断る」

「グエッ」


 だが無情にも魔女の指がパチンと鳴り、アルハンブラ先生が受けた超重力がワタクシにも降りかかった。

 ワタクシは潰れたヒキガエルのような声を上げてリングに這いつくばる。


「長々と問答したけれどやっぱり退屈だったね」


 地に伏すワタクシから目を離し、エルフの魔法使いは周囲を見渡す。

 気を失ったアルハンブラ先生、巨木と炎蛇を相手に鬼ごっこを続けるハイ先生とホイ先生、リング脇で虫の息をしているパメラ、それを守るリオ。

 そして──観客席の生徒たち。


「この状況で誰も加勢しようとしないとは。呆れを通り越して、最早絶望だね」

 

 魔女がまた勝手な価値観で落胆する。加勢できないなんて当然ではないか。

 護符をつけてない観客が、エルフの魔法使いに盾突くなんて、それは自殺行為以外の何物でもない。


「まったく、こんなに退屈なら最初からこうすれば良かった」


 魔女の周囲の大気が張り詰め、魔力が迸る。

 風なんて吹いてないのに刺すような寒気を全身に感じる。

 今すぐこの場から逃げ出したくなる重圧感プレッシャーが場を支配する。


「な、なにをッ?」

「皆殺しさ。この学園には何の価値も無いことが分かった」


 魔女がまた一切の感情を捨て去った声音で呪文を詠唱し始める。


「恐怖よ、生きとし生けるモノの主よ。其のもたらす衝動は一切皆苦に勝ると断ず」

「おやめなさいッ!」

「狂気による解脱を。愚かな子羊に永遠とわの安寧を。我が招来に応え空より来たれ」


 魔女は詠唱を完成させる。

 この激戦の中で一度も唱えなかった完全なる誓願呪文を。


終焉齎す恐怖の大王アンゴルモア


 魔女の呼びかけに応えて修練場の空がひび割れて割ける。

 虚空の裂け目から金切り声を上げる名状し難き巨大な物体が姿を現す。

 形容するならばソレは無数の眼球と触手の蠢く鈍色の積乱雲。

 ソレを一目見ただけで前世と現世のあらゆる恐怖が蘇ってくる。


 迫るトラック、流れる血潮、王国騎士団長の一撃、孤独な夜に見る悪夢、一切の期待の無いお父様の眼差し、目前の〆切、白紙の原稿、真っ赤なパメラの内臓……。


 恐怖に取り込まれてしまう前に、必死に目を閉じ視線を切った。


 なんて恐ろしい人知の及ばぬ強大な存在。

 呼び出されてしまったソレに対処できる者など、この場のどこにも居はしない。


 灼熱の胃酸がこみ上げるのを必死で堰き止めて、ゴクリと喉で飲み下す。


「みんな! 見てはダメッ!」


 這いつくばりながらもワタクシは渾身の叫びで生徒に注意を喚起する。


「遅いよ、もう誰も聞いてない」


 観客席は既に阿鼻叫喚だった。


 自分の喉を掻き毟るエルフ、隣人を殴るトロル、逃げ惑うフェアリー、噛みつき合うワービーストとリザードマン、叫び回るハーピー、必死に何かに許しを請う人間。


 この世界の地獄が、戦争がここに再現されていた。


「恐怖の発露は人それぞれだね。その性格、その人格、その人生が垣間見える。予選より幾分楽しい見世物だ」


 悪趣味な感想を述べながら魔女は口角を釣り上げる。


「もうやめて、お願い!」

「嫌だね。よく見ておくんだツェツィ。愛と文化でこの惨状を救えるかい? そして学ぶといい。本当に平和を欲するなら、まず必要なのは力だとね」


 魔女はワタクシの目の前にしゃがみこんで、嬉々として語る。


 そして観客席から一際大きな声が上がり、それを皮切りに修練場に静寂が広がった。


「おや、誰か死んだかな? これでワタシの目的は達成だ。平和と融和の象徴の学園ここで生徒が死ねば、この世界の仮初の平和は簡単に崩れ去る」



「その通り。だからそうさせないためにボクが学園ここに居るんだ」



 どこかから投げかけられた言葉とともに疾風の刃が魔女に迫る。

 魔女は危なげなく飛び退って躱し、ワタクシから距離を取った。

 ワタクシにのしかかる重力がフッと消え去る。


「おっと、時間をかけ過ぎたか」


 魔女がどこか楽しげに独りごち、誰かの簡易呪文が響く。


東方への旅路パラダイスロスト


 怪異を招き入れた虚空の裂け目が再び大きく口を開く。

 天を覆う異形の雲が奇怪な叫び声を上げてその裂け目へと帰っていく。

 天空の門が閉じて恐ろしき者が去ると、吐き気と恐怖がスッと消えた。

 誰かが解除したのだ。あの全てを諦めさせる恐怖の大王の召喚を。


「ああ、せっかくいいところだったのに。ひどいな、なんてことを」

「それはこっちの台詞だよ。ボクの庭でめちゃくちゃをしてくれたね、サリサ」


 聞き慣れた子憎らしい声が聞こえる。

 

 ワタクシは地べたから頭上を見上げた。


 ぶかぶかのベレー帽を被った白い羽の生えた幼女が宙に浮いている。


 それは恐怖の大王を退けた術師。学園の守護者。


 そして、我がフリーデンハイム学園新聞部顧問。


「キミが来る前に片づけてしまうつもりはあったんだよ、ラファエル」


 勇者一行の一人、エンジェルの司祭がそこにいた。

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