第29話 鬼が出るか蛇が出るか
左手を団扇にして首筋を扇ぐ。
熱帯林の気温と湿気で汗が止めどなく流れ、純白のブラウスが肌に貼りつく。制服のジャケットはとうに脱ぎ捨てた、下着が透けるのも構わずに。
炭の大河から離れた後、まずワタクシは戦場の端へと向かった。戦場の端は半透明の赤い光の膜が覆っており、その膜がゆっくりと中心に向かって移動していた。赤い膜が進む方向を二点で確認し、中心部の位置に目星をつけて、戦場のほぼ中央の位置まで来た。
予選開始から一時間半が経過している。
残りはあと三十分。そろそろ予選も終盤だ。
ワタクシはルルムたちと戦ってから、さらに四人の参加者と接敵し勝利していた。あの二人と同レベルを想定して挑んだが拍子抜けも良いところ、いずれも武器さえ持たぬ雑魚だった。
幸か不幸か初っ端に学園でも上澄みの二人と当たったのだろう。
「さて、貴方たちはどうかしらね?」
舐めたように左団扇を続けながらワタクシは誰に語りかけるでもなく言葉を放つ。
戦場の中心でワタクシを出迎えたのは蒼玉のオニとナーガだった。オニは長身に相応しい大太刀を担ぎ、ナーガはその蛇身の様にしなる鞭を持つ。
二人とも武器持ち、及第点ね。
おそらくこの二人はパメラとリオと同じように、蒼玉の友達同士なのだろう。
だがこの二人でパーティーを組んでいるわけではない。
「参加者の五分の一でグルになるのは、流石に大人げないんじゃなくって?」
ワタクシの問いかけに二人は少し驚きながら口を開いた。
「クカカッ、もう人数がバレとるとは
半人半蛇のナーガの少女が長い舌をシューシュー言わせながら嗤う。
「いや、氏の落ち度ではなくご息女殿の実力であろう。これと知るが故の此度の徒党にて」
それを受けて二本角のオニの少年がワタクシの実力を評して述べた。
ワタクシの左右に一人ずつ、後方に二人、そして空に一人。この二人の他に五人いる。
コイツらは七人パーティーだ。
ワタクシとてボーッとしながら中心部まで来たわけではない。周囲の警戒を怠らず進んできたつもりだ。だが、この二人が視界に入るまで囲まれていることに気づけなかった。
二人の言から察するに、どうやら隠匿か幻惑に長けた術者がいるようだ。
コイツらは早期にパーティーを組んで中心部を探り当て、この陣形を用意したのだろう。レティシアのせいでソロプレイせざるを得なかったワタクシは完全に後れを取った形だ。
「首魁はどなた? ソイツよりワタクシに付いて今から三人で盤面をひっくり返しませんこと?」
実力は十分と思しき二人に、ワタクシは一応パーティー結成を申し出る。
「お断りじゃな。最後に残るは一人きり。そちと竜姫がおるとあらば、あてらが勝利の糸を手繰り寄せるには、多勢を頼ってそちらを討つ他無かろ?」
「そして、やつがれ共の縁組に首魁はおらぬ。皆、貴殿らに対抗するために集いし者にて」
「あら、それは残念ですわね」
うん、実に驕りのない冷静な返答だ。
ワタクシは交渉を諦め、七対一の覚悟を決める。
紅いネクタイをグイッと引っ張って、動きやすいよう首元を緩めた。
「じゃからまあ、実力を認められたと思うて、恨まず
ナーガがワタクシを憐れむような目をして言った。
ワタクシはそれに微笑みを返す。
「そう、ホントに残念────七人いれば勝てると思われたなんて」
その言葉でオニとナーガが臨戦態勢に入った。
同時にワタクシは先んじて呪文を唱える。
「
ワタクシを中心に、半径五メートル程の円を描いた炎の壁が立ち昇り、その中を真っ黒な霧が埋め尽くす。
隙を生まないため簡易呪文で唱える他なかった炎の円に大きな攻撃力はなく、黒い霧にも特殊な効果は無い。ただの煙幕と虚仮威しだ。
だが中でワタクシの待ち構えるこの炎と霧の組み合わせに、迷わず突っ込んで来れる者はまずいない。いきなり袋叩きにされるのを防ぐだけでも十分すぎる効果だ。
すぐに思考をフル回転させる。
炎と霧に覆われたワタクシに対する敵の次の一手は、ありったけの遠隔攻撃を叩きこんでくるに違いない。ワタクシは一刻も早くこの場を離れる必要がある。
そして七人の包囲を突破することを踏まえると、目指すべき方向はどこか?
前方の二人はルルムたち並みに手強そうだ。
後方の二人はおそらく件の術者と護衛だろう。
とすれば目指すべきは一人が相手の左方か右方の二択。
左方の気配は大きく、右方の気配は密林とほとんど同化している。ならば、与し易いのは……。
「
簡易呪文を叫ぶと同時に、ワタクシは左方に向かって全力で駆け出した。
果たして、一瞬前までワタクシがいた場所に氷柱の雨が降り、複数の根が貫いた。
一瞬遅ければ蜂の巣だ。
ワタクシは自分で生み出した黒霧を抜け、炎の壁を走り抜ける。簡易呪文で展開できた最大個数、三つの光玉がワタクシを追随する。
霧を抜けると頭上から無数の氷柱が降った。
足を止めずに見上げると、紫晶の制服を着たハーピーが飛んでいる。彼女が金切り声を上げる度に氷柱が降ってくる。
どうにか撃ち墜としたいが、地上から狙える位置ではない。
パメラやリオなら風の魔法で飛んで戦えるのだろう。だがワタクシの得意属性は火と光、それから少々の闇。空中戦は分が悪い。
そんなことを考えながら密林を突っ切ると、ワタクシの三倍は身の丈のある黄玉のトロルが現れる。
あの大きな気配はコイツか。
よし、だったら一つ仕掛けてみましょう。
「があああああああ!」
トロルが両手の指を組み、ワタクシに向かって大きく振り下ろす。
「
ワタクシはそれを右方に躱し、爆発で跳躍してトロルの背中に飛び乗った。トロルは即座にワタクシを振り払おうと上体を反らせる。
「
トロルの反り返る勢いで跳躍すると同時にワタクシは足元、即ちトロルの首元を爆破する。致命傷を受けたトロルは医務室へと消え、反対にワタクシは爆風で空へと舞い上がる。
「炎よ、地を這う運命の我に仮初の翼を授けよ、
誓願呪文を詠唱し、炎の翼を召喚して飛翔する。
自分と同じ高さまで昇ってきたワタクシに紫晶のハーピーが目を丸くして驚き、氷柱を放つ。
技が単調で芸の無い子ね、不合格。
「
連れだった光の玉のうち二つが氷柱を撃ち落とし、ワタクシの指先から紫色の稲妻が走る。電光に意識を刈り取られ、紫晶のハーピーは地上へと墜落していく。
よし、これで二人!
ワタクシは燃費の悪い炎の翼が消え去る前に密林へと舞い降りる。
気配を察するにトロルと反対側にいた一人は遠い。オニとナーガのコンビが左方から追って来ているがまだ距離はある。右方の推定術者とその護衛はやや近い。
そして、遥か彼方から近づいて来る気配がもう一つ。
ワタクシは右方の二つの気配を次なる標的と定め駆け出した。一つだけ残った光玉がワタクシを追随する。
小さな気配がワタクシから遠ざかり、大きな気配がその場に留まる。
見えてきたのは翠玉のリザードマンだ。
徒手空拳でワタクシを見据えて相対する。
武器無しね、不合格。
ワタクシはそのままリザードマンを撫で斬りにせんと、剣を構える。
だが、刃を振るう寸前に気づいた。リザードマンの構えに違和感がある。具体的に言うと、一見ファイティングポーズに見える突き出された両手だが、何かを握っているようにも見えるのだ。
リザードマンの拳がワタクシに届かぬ位置で空を切る。
直感を信じて剣でその軌跡を遮った。
瞬間、金属と金属がぶつかり合う鈍い音がして火花が散る。
大当たり。このリザードマンの手の中には、見えない長物が握られていたのだ。
「やりますわね。この小細工を貴方がしたのなら、だけれど」
一合打ち合ってわかったが、コイツの実力は大したことが無い。長物の射程もある程度掴めた、種が割れてしまえば覆せる実力差ではない。ワタクシは剣技だけでリザードマンの攻撃を軽々といなし、なます切りにした。
これで三人!
翠玉のリザードマンが医務室に消える。リザードマンの退場を見届けもせず、ワタクシは逃げる小さな気配を追った。
小さな気配はオニとナーガの二人組ではなく、根を操った一人と合流しようとしている。二人組と一緒に挟み撃ちにする算段だろう。
だが、遅い。
ワタクシの健脚は悠々と小さな気配に追いついた。逃げ去ろうとする黄色い制服を着たハーフリングが視界に入る。
「
ワタクシの命令で最後の光玉がハーフリングの小さな背中を貫いた。
致命傷だろう。だがその姿は金色の光に包まれ転移するのではなく、景色に溶けるように消え去った。
幻術だ。
そして、どこからか嘲うような少年の声が響く。
「ハハッ、噂通り容赦がないですね。こんな小人にそんな物騒なものを打つなんて」
「これでも丸くなった方ですのよ? 出てきたら優しく医務室に送ってあげますわ」
完全に黄玉のハーフリングの姿を見失った。
ワタクシは虚空に向かって会話を続ける。
「ハハッ、せっかくのお誘いですがお断りします。いやあ、先手をとってなお包囲を破られ三人ヤられたとなるとちょっと凹みますね。貴女を甘く見たつもりはなかったのですが」
「その口ぶり、首魁はいないと聞いたけど、貴方がこのパーティーの頭ですわね?」
「ええ、発案者です。貴女と竜姫がいると知ったら、皆快くパーティーを組んでくれましたよ」
声から位置を探ろうとするが最早微塵も気配を感じ取れない。
恐ろしい腕前の幻術師だ。
「性格が悪いわね。ワタクシが倒した三人、捨て駒のつもりだったでしょう?」
「いえいえ、貴女と違って優しいだけですよ。さっきの彼も、武器を見えなくしてあげたらそれなりだったでしょう? ノーチャンスの方々にワンチャンス差し上げたと思って頂ければ」
「お口が達者ですわね。敵じゃなかったら嫌いじゃありませんわ」。
「それはそれは光栄の至り。では対抗戦が終わったら一緒にお茶でもいかがです?」
突然ワタクシの耳元で囁くような声がして黒髪に手がかかる。
全身がゾワッと総毛立つ。
「敵で嫌いだからあり得ませんわ」
ワタクシは振り向きながらその影を両断する。
真っ二つになったハーフリングが微笑みながらまた景色に溶けるように消え去る。
「「「「「ハハッ、それは残念。いやはや、面白い人だ」」」」」
ワタクシの周り、周囲の木々の上に、囲むように無数のハーフリングが現れる。
皆一様に無駄に整った顔をして人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。
「最初のワタクシの戦いを見てた覗き魔は貴方ね? レティシアは派手だから丸わかりとして、ワタクシがこのブロックにいると知って生き残ってるのは最初の一人だけですもの」
「ご名答」「最初に貴女の戦いを見られたのは幸運でした」「お陰でこうして、徒党を組み作戦を立てて」「雲の上の貴女相手にも勝ち筋を用意できたのですから」
ハーフリングが一人ずつ輪唱のように言葉を繋いで答える。
ワタクシの背後にはオニとナーガの二人組が近づいてきている。
目の前では密林が蠢き始める。七人の最後の一人は木のエレメンタルであるドリアードだ。密林と同化し、戦場そのものを自在に操っている。
「さて、これで詰みです」「密林で彼女と闘うのは流石の貴女も骨が折れるでしょう?」「無駄話に付き合って頂き感謝しますよ」「それとも、貴女にも何か意図がお有りでしたか?」
勝ちを確信してハーフリングが嗤う。
あんな啖呵を切っておいてこんな展開は非常に癪だが、この四対一は厳しいと言わざるを得ない。
ワタクシは自嘲気味に嗤いを返して言う。
「ええ、長話感謝しますわ。こんな賭けみたいな真似ホントは御免なのだけれどね」
「「「「「えっ?」」」」」
ワタクシのその返答に初めてハーフリングが楽以外の感情を伴う声を上げた。
制限時間は残り十五分。戦場もいよいよこの一帯だけだ。残っているのはこの場の五人。
そして彼方より来るもう一人。
再びの寒気で全身の産毛が逆立ち、胃がひっくり返る。
「数秒後、生きてらしたら雌雄を決しましょ。それじゃ。
捨て台詞とともに簡易呪文を続けざまに詠唱し、ワタクシは空へと逃げ出した。
その直後、轟音とともにワタクシの眼下が炎の大河に飲まれた。再びの灼熱を足元に感じながら炎の翼で滞空し、巨大な炎が消え去るのを待つ。
「相変わらずめちゃくちゃですわね」
上空から見下ろす密林に二本目の炭の大河が現れ一本目と交差する。空から改めて見ると戦場の端を示す赤い膜はすぐそこまで迫っていた。
そして今の一撃で残った戦場のほとんどが炭化して荒野となった。
もう誰も逃げも隠れもできない。
ここが最後の正念場だ。
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