第5章 フリーデンハイム学園魔術対抗戦
第28話 死闘開幕
次の瞬間、目に飛び込んできたのは鮮やかな色をした見たこともない花々。
視界を覆う巨大な葉と蔦。
湿気と高温で汗が噴き出し肌がべたつく。
草木と泥濘の臭いが鼻孔を埋め尽くす。
一歩踏み出すと足元で小枝が折れ、毒々しい色をした蛙が逃げ去った。
「密林……ですわね」
不快指数の高さから湿地の次に来たくなかったのだが、選ばれてしまっては仕方がない。
この場で最善を尽くすのみだ。
リザードマンやエレメンタルならいざ知らず、立っているだけで体力を削られるこの密林で、人間のワタクシは時間が経つほど不利なのは自明。
かといって最初の広さが学園程あるのなら、敵を探して動き回るのも悪手だ。
接敵を最小限に抑えて体力を温存しつつ、戦場が狭まるのを待つこととしよう。
「とはいえまずは──」
目を閉じ感覚を研ぎ澄ませる。
近くに敵意のある者が三人いる。
一人はワタクシから距離を取り、一人はその場を動かない。
そして、一人は猛然とこちらに向かってきている。
「──コイツを片付けませんとね」
背後から斧が頭上に勢いよく振ってくる。
ワタクシはそれを難なく左に躱す。
視界に入ったのはバトルアックスを振り下ろした黒曜のオークだった。
ワタクシは振り向きざまに抜刀して一閃。
大斧を握るオークの左腕がゴトリと落ちる──ことは無かった。
「げっ」
思わずお上品でない声が漏れる。
斬られたオークの左腕は金色の光に包まれ、光が消えると変わらずそこにあった。
そしてオークの下げる生還の護符にピシリと一筋ヒビが入る。
致命傷でないダメージも護符が肩代わりする仕組みですのね!
そう考察を進めた刹那、腕が落ちていれば来るハズのない追撃がワタクシを襲う。
「盾よ!」
左脇腹に戦斧が直撃する寸前、ワタクシは呪文を唱えて斥力の盾を展開する。
見えない盾で斧を受け、その衝撃を利用して右方へ跳ぶ。さらに後方へ数歩ステップを踏んでワタクシは巨体のオークと距離を取った。
護符の仕様を知らなかったとはいえワタクシに一撃入れかけるとはなかなかやる。オークのくせに武器を持ち込む知能がある時点で上等。そしてワタクシとわかった上で勝負を挑んできたのなら当然と言えば当然の実力か。
周囲の気配を確認する。
動かぬ一人は依然その場で沈黙を保っている。
だが、距離を取った一人は気配を上方に移している。おそらく樹上からワタクシとオークの漁夫の利を得る算段だろう。
これでは二対一に等しい。
普段のワタクシなら不利を悟って一旦引くところだ。
しかし、後方の止まり木に、密林には場違いなフクロウが一羽止まっている。おそらくこの様子を会場に中継している使い魔だろう。学園のほぼ全生徒、そしてサリサ先生含む教師陣がワタクシを見ている。
逃げの一手を見せるのは、インフルエンサーを目指すワタクシの活躍として相応しくない。
ワタクシは大斧を構えなおすオークを見据えながら歩みを横に進める。
「やりますわね。ワタクシはツェツィ―リエ=フォン=ノイエンドルフ。貴方は?」
「ゴルドリン=ウルク=ゾス=アイゼンハワー」
存外に紳士的なオークはワタクシの自己紹介に応じてくれた。
「アイゼンハワーといえば七鬼将の家系ですわね。通りで強いわけですわ」
「虎の威を借るのは好かんな」
「あら、それも含めて貴方でしょう? 家名による虚仮威しも立派な力でしてよ?」
ワタクシは小手先の会話で時間を稼いで、横歩きで位置を調整する。この先横槍がワタクシに入らぬよう、樹上の一人の射線をオークの巨体で遮った。
「うおおおおおおおおおお!」
ワタクシの言葉にそれ以上の返事も無く、オークが雄たけびを上げ突進を始める。
「光よ! 絢爛たる星界より集いて我が道行きを照らせ!
それに応えてワタクシは誓願呪文を唱えた。
ワタクシの頭上に輝く光の玉が八つ現れる。
「
ワタクシの合図に合わせて、二つの光玉が時間差で光線と化してオークを貫く。
「
オークは簡易呪文を叫び肉体を硬化させた。光線を防ぎそのまま突っ込んでくる。初歩的な防御魔術には違いないが、簡易呪文でワタクシの光玉を耐えきるとは恐ろしい練度だ。以前のワタクシならオークのくせにと憤慨していただろうが、感嘆する他ない。
「
ワタクシは周囲に浮かぶ光玉に命令を与えてから、あえてオークに突進する。
体躯で勝るオークが一瞬先に間合いに入り、戦斧を袈裟懸けに薙ぎ払う。
その瞬間、あらかじめ命令を与えておいた光玉二発がオークの両目を穿ち、二発がオークの両手を貫いた。
だが、
しかし、それだけでオークの手元を狂わせるには十分だった。ワタクシは間一髪で戦斧を躱してオークの懐に飛び込む。
「
簡易呪文を叫んでなまくらのショートソードに炎の魔力を宿す。灼熱を帯びた剣が
致命傷だ。
護符が一撃で粉々に砕けてオークの全身が金色の燐光に包まれる。巨体が密林から消え去り、医務室へと転移する。
「
そして、オークが消え去り切る前に、ワタクシは叫んだ。
その直後、一瞬前までオークの肉体があった位置を貫き、必殺の一矢が飛来する。
漁夫の利を狙っていた樹上の一人がこのタイミングを逃すハズが無いと読んだが案の定だ。命令を受けた光玉がすんでのところでそれを迎撃した。
そして、飛んできた矢の方向から敵の居場所はつかめた。ワタクシはその方向に向かって全力で駆け出す。
まるで焦ったかのように雨あられと矢が飛んで来る。
それを全て剣で打ち払いながらワタクシは距離を詰めていく。
視界の端に樹上の大弓が映る。
「
ワタクシは跳躍と同時に足元を爆破し、爆風に乗って樹上の大弓目掛けて跳ぶ。
大木の枝に足をかけ、そしてそのまま大弓を構えた射手を一閃──。
「なっ」
──するハズだったがそこに射手の姿は無く矢を自動で放つ弓だけが浮いていた。
魔術で作った囮ですって?
ハメられたと悟ったワタクシは即座に叫ぶ。
「
「戦神殺しの
同時に聞こえる誰かの簡易呪文。認知の外から命を刈り取る樹木の槍が放たれる。
だが間一髪、最後の光玉が自動で槍を迎撃した。
誰かの息を飲む音が左下方から聞こえる。
そこかッ!
ワタクシは樹上から飛び降り、木陰に潜んだ射手の喉元に剣を突き立てた。
「ひ、ひええぇぇぇ」
射手がぶるぶる震えて縮こまる。翠玉の制服を着たネコのワービーストの少女だ。
「このまま喉を突かれてみたい? それとも降参してくださるのかしら?」
「降参でぇす! 降参しまぁす!」
翠玉のワービーストは涙目で両手を挙げる。もう奥の手は無いようだ。
ワタクシは降参を全身で表現する可愛らしいワービーストを見て剣を降ろす。
「聞いていらしたとは思うけれど、ワタクシはツェツィーリエ、貴女のお名前は?」
「ルルムでぇす」
「そう、ルルム。貴女見どころがあるわ。まず弓矢を持ち込めてるし、腕も上々、遠隔制御の魔術もなかなかだし、なにより射手の生命線である弓を囮に使う機転が見事でしたわ」
「ど、どうもぉ……」
萌えキャラ然としたあざとい猫耳を垂らして、ルルムは震え声を絞り出す。
褒められるのは良いが、この後自分はどうなるんだろうと思っているのがありありと伝わってくる。
「だから貴女、ワタクシとパーティーを組みなさい!」
ワタクシは単刀直入に用件を叩きつけた。予想外の申し出にルルムが困惑する。
「ふ、ふえぇ? パーティー? 予選は一人勝ち残りのバトルロイヤルですよね?」
「バトルロイヤルに囚われすぎですわ。たしかに決勝進出者は一人だけれど、パーティーを組んではいけないなんてルールは一言もありませんわ。だったら人数が絞られるまでは複数人で共闘した方が有利に決まっているでしょう?」
ワタクシはルルムを仲間に引き入れるため説明を続ける。
「それに年間成績点の内訳を思い出してごらんなさい。予選は上位三人に等しく百点。これは三人程度のパーティーを組むのをあの女が推奨している証拠ですわ」
そう、サリサ先生の見たい個人の才覚に、混戦の中でパーティーを組むための機転とコミュ力が含まれるということだ。
そして、これを評してパメラは嫌らしい細工と言ったのだろう。パーティーを組んで勝ち残っても、最後は仲間同士の争いが待っているのだから。
「決勝にはワタクシが進むけど、貴女には百点を保証しますわ。返事はいかが?」
「え、えーとぉ……そのぉ……」
ワタクシの寛大な提案にルルムはなおも決めかねる様子で口ごもっている。
断ったら参加賞の二十点だけで終了なのに何処に悩む要素があるというのかしら?
「じゃあ仕方ないわね。貴女とのパーティーは諦めるわ。代わりに護符の耐久限界が四肢欠損何回分かを確かめさせてもらうことにしますわね」
「はい! 組みまぁす! パーティー組みまぁすッ!」
ワタクシのその一言でルルムはビシッと居直りパーティー結成を了承した。
「よしよし、良い子ね。じゃあ、ワタクシのことはツェツィと呼ぶといいわ」
ワタクシはそう言ってルルムに右手を差し出す。よし、これで後衛は確保だ。
だが万全を期すならあと一人、百点を餌にして仲間を確保したいところだ。
ワタクシは前衛寄りのオールラウンダーだから、コテコテの前衛職がバランスとしてはベストだろう。思い返せば先程のオークが適任だが、説得できる状況ではなかったのでまあ仕方がない。
「は、はいぃ。ツェツィさん、よろしくお願いしまぁす」
ルルムが涙目で震える手を伸ばす。
半端な雑魚を仲間にしても、有限の報酬で裏切りのリスクが増えるだけだ。仲間の最低条件は武器のルールに気づいた者といったところか。
これからルルムと二人の有利を生かして、単独の参加者を狙って勧誘していくとしよう。
「ええ、短い間だけどよろしくね、ルル──」
ワタクシとルルムが握手を交わさんとした刹那、壮絶な寒気がワタクシを襲う。
蒸し暑い熱帯林のド真ん中で、全身の産毛が逆立ち、胃がひっくり返る。
何? 何かは全くわからない。
でも何かがヤバい!
ワタクシの直感がそう告げていた。
「走って!」
ルルムに向かって叫び、差し出した右手を引き戻して、大きく後ろに飛び退った。
「ふぇ?」
ルルムが気の抜けたような声を漏らす。
次の瞬間、轟音とともにワタクシの目の前に炎の壁がそそり立った。
ルルムの姿がワタクシに伸ばした右腕だけを残して火の中に消える。
熱ッ! ワタクシも炎に飲まれたかと錯覚する凄まじい熱気が顔面を撫でる。顔を背け、露な肌を腕で覆い隠す。
数瞬の後、熱気が過ぎ去ったのを感じて恐る恐る視線を戻した。
致命傷を受け転移したのだろう、そこに既にルルムの姿は無かった。
それどころか、目の前の密林が丸ごと消えている。ワタクシの目前には一面の焼け野原が広がっていた。
そしてその焼け野原を挟んで三十メートル程先にはこちら側と変わらぬ木々が生い茂っている。それはまるで突如出現した炭の大河が密林を分断したかのような景色。
何らかの炎の魔術による芸当としか考えられないが、あまりに馬鹿げた凄まじい火力だ。
だがその持ち主には一人だけ心当たりがあった。
「いますわね、レティ」
金剛のドラゴニュート、火竜王の末娘、レティシア=フレイムハート。千年ぶりの六竜王の実子、レッドドラゴンの聖域たる紅蓮渓谷の姫。
そして、自称ワタクシのライバル。
思わず炎の壁と形容したが、あの巨大な炎は右から迫ってきた。
つまり、この炭の大河の遥か右方にレティシアがいる。
足元の密林と炭の大河の境界を見つめる。
ここから顔を出して右を確認したい気持ちもあるが、今レティシアに捕捉されるのは間違いなく悪手だ。あの脳筋アイドルはワタクシを見つけたら後先考えずに襲ってくるに決まってる。
今はレティシアを無視して、終盤の戦場となる中心部で有利な状況を作ることに専念すべきだ。その間に彼女にはもっと参加者を減らして、魔力も消耗して貰おう。
ワタクシはこの場を離れる前に周囲の気配を窺う。静観を決め込みずっと動かなかった一人が、一連の顛末を見届けて去っていくのが分かる。
これで近くに敵はいなくなった。
再び炭の大河を眺める。さっきの小競り合いがバカバカしくなる程の破壊の痕跡。
パーティーはご破算になったが、ルルムの尊い犠牲のお陰でレティシアがいると知れたから良しとしよう。実際には何の関係も無い事実を結び付けワタクシは仲間の敗退を惜しんだ。
「またね、ルルム」
そう呟いて炭の大河から踵を返し、ワタクシは密林へと歩を進めた。
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