第25話 安寧を欲さば、まず力を求めよ
「待たせたな、サリサ。入るぞ」
重厚な木造りの扉を押し開くアルハンブラ先生。
その後をワタクシとパメラは追った。
中央時計塔の十一階。展望室と学園長室を除けばフリーデンハイム学園で最も高い位置にこの応接室は存在する。
部屋に入ると視界一面に青空と新緑の地平線が広がった。
その大パノラマの大窓の前に佇む人物が一人。
逆光を背に美しい銀髪を乱して振り返る。
「やあ、ツェツィ、パメラ。五年ぶりだね」
我が師、エルフの魔法使い、サリサ=ネーベルラント=エルネストがそこにいた。
その姿を認めた瞬間、あの地獄の百日間が走馬灯のように蘇る。
「久しぶり、サリサ先生」
「お変わりなきようで嬉しいですわ」
ワタクシとパメラは呑酸を我慢し、何とか笑顔を保ちながら社交辞令を述べた。
「うん、二人はたった五年で随分大きくなったね。これだから定命は退屈しない」
言葉とは裏腹につまらなそうな表情を一切変えることなくサリサ先生は言う。
「ありがとう、アルハンブラ。ワタシの我儘を叶えてくれて」
「なに、ゲストの頼みとあればお安い御用さ。それより礼はワシではなく二人に言ってやってくれ。なにせ二人とも昼食の途中で来てくれたのだからな」
どうやらワタクシとパメラはサリサ先生直々のご指名のようだ。
ジゼルが呼ばれてないのが気にかかるとはいえ、十中八九、地獄の修行で面識があるせいで回ってきた貧乏くじだろう。
「いえ、お気になさらず。サリサ先生のお相手に選ばれるとは光栄ですわ」
ワタクシは心にも無いことをペラペラと口走る。
許されるのならば今すぐにでもそこの窓から飛んで逃げ出したい。
「アルハンブラ先生とサリサ先生はお知り合いなんですか?」
パメラが二人の仲の空気を感じ取って尋ねる。
その問いかけにすぐサリサ先生が答えた。
「ああ、まあ戦友というヤツかな。彼が“王国沈め”のアルハンブラと呼ばれ恐れられていた頃からの付き合いさ」
「生徒の前でその話はやめてくれ、サリサ。もう二百年も前の名だ」
「たった二百年じゃないか。なんだ、歴史学の教師のくせに教えてないのかい? この学園の教師はみんな訳アリの腕利きの集まりさ。その中でもアルハンブラは──」
「やめてくれ」
「クククッ。随分と丸くなってしまってまあ」
過去を語ろうとするサリサ先生をアルハンブラ先生が懇願するように遮った。
出てくる時間の単位が壮大すぎてついていけなくなりそうだが、どうやらアルハンブラ先生にとっては黒歴史扱いらしい。
ならば無理には追求はすまい。ワタクシも黒歴史の辛さは痛い程知っている。
「ところでアルハンブラ、学園長はどこだい?」
表情を変えずに軽く笑った後、サリサ先生はアルハンブラ先生に問いかけた。
「王都の式典に参加するため不在だよ。故に明日の対抗戦もワシが任されておる」
「おや、そんな予定があったのか。それはなんとも残念だね」
その答えを聞いたサリサ先生は、ほんの少し表情を歪ませた。
それを見てワタクシは驚く。
まさかサリサ先生に残念なんて感情があったなんて。
「サリサ、そろそろ本題に移ってはどうかな? 若い二人が退屈してきておるぞ」
「ああ、すまない、ツェツィ、パメラ。年を取ると話が長くなっていけないね」
サリサ先生がワタクシたちの方を見る。その顔はもういつもの能面に戻っていた。
「是非二人にこの学園を案内して欲しいと思ってね。いいかな?」
「ええ、サリサ先生の頼みとあらば喜んで」
「では二人ともサリサを任せて良いかな? ワシは対抗戦の用意があってな」
「はい、アルハンブラ先生。どーんと任せてください」
「良い返事だ、フラウ・ペトルスクロイツ。やはりキミたち二人ほど頼もしい生徒はおらんな。ではサリサ、夕刻の会食でまた会おう」
アルハンブラ先生はそう言い、いつものように真っ黒の液体になって消え去った。
あとに残されたのは因縁の師弟のみ。静寂が応接室を支配する。
さて、何か切り出さなくては。そう思っているとなんと先生が口を開いた。
「ツェツィ、キミの武勇伝は聞いているよ。黄金街道の主を倒し、王国騎士団長から一本取り、新入生代表を務めたそうだね。ワタシの教えをよく守ってくれているね」
『安寧を欲さば、まず力を求めよ』
この女の教えで力を求め続けた頭を打つ前のワタクシ。
「敵愾心と自己顕示欲は進歩の原動力に他ならない。そのまま突き進んでくれ」
だがワタクシが反省し改めようとした点をこそ、サリサ先生は評価するのだった。
「え、ええ。もちろんですわ」
今や黒歴史となった悪行を並べられ気まずくなりながらも先生を立てそう答えた。
「それに比べてパメラ。あれからキミが表舞台に立った話は聞かなくなったね?」
サリサ先生が今度はパメラの方を見て言う。
「えっと……先生、それは……」
修行後のことを追求されパメラが口ごもる。『絵を描いてました!』と素直に言えないのはエルフの魔法使いの望む答えと思えないからか、羞恥心からか。はたまたその両方か。
「先生、パメラはまだ話題になってないだけで、五年間研鑽を積んでいますわ」
「ツェツィがそう言うなら信じようか。キミの活躍も楽しみにしているよ、パメラ」
ワタクシのフォローを聞いてサリサ先生は無表情のままでパメラの頭をそっと撫でた。安心したように口元が綻ぶパメラ。
だが触れられる瞬間ビクッと震えたのをワタクシは見逃さなかった。
ワタクシたちがこの女のトラウマを払拭できる日はいつか来るのだろうか。
「サリサ先生はどこか行きたいとこある?」
「いや、特別何かが見たいわけではないんだ。キミたちのオススメに全て任せるよ」
パメラが問いかけ、先生が答える。
自分から案内を頼んでおきながら見たいところは特に無いなんて。
やはりサリサ先生の考えはよくわからない時がある。
ワタクシがエルフの魔法使いの考えに思考を巡らせていると、パメラが何かを思いつき先陣を切った。
「じゃあ先生を案内するならまずあそこしかないよね」
◆◆◆
「はい、先生、これが学園図書館だよ」
魔法仕掛けのエレベーターで時計塔から降り、ワタクシたちは学園図書館に来た。
知識の収集を至上の悦楽とするこのエルフを案内する先としては中々のセンスだ。
入口横のカウンターでレイスの司書さんに入館許可を取って、サリサ先生を館内に案内する。ジャンル毎に並んだ無数の書架がワタクシたちを出迎えた。
「いいじゃないか。この蔵書量は世界でも十指には入るだろうね」
先生は館内を見て表情を変えずにそう評した。
相変わらず表情と言動が一致しない女だ。
だがその言葉を聞いてワタクシは別の感想を抱いた。
そうか、この程度の規模で世界十番以内なのか、と。
確かに学園図書館は大きいが、現代日本なら政令指定都市の公立図書館くらいの規模でしかない。そして蔵書の多くは写本と巻物が占めている。
やはり印刷技術の発展による本の普及はこれからだということだ。
科学の発達が待ち遠しい。
だが──。
「先生、何か図書館で見たいものある?」
「ああ、この規模の図書館なら検索室があるだろう? それを」
パメラが先生の希望に応えてワタクシたちを先導する。書架の並びとは逆方向、カウンターの隣に青い大きな宝石の嵌った石造りの扉があった。
その宝石にパメラが手を触れると扉が丸ごと消え去る。
三人で中に入ると再び扉が現れ入口が閉じた。
そこには宇宙を思わせる紺青の空間が広がっていた。壁も床も認識できない。
だが光も無いのにお互いの姿は見える。
そして、その空間の中にあるのはただ一つの物体だけ。
部屋の中央に人間の腰程の高さの石柱が突き出していた。
サリサ先生は慣れたように石柱に歩み寄り、その上に手を乗せ言葉を発した。
「人魔大戦の記録を」
すると周囲の空間がチラチラと輝き、青白く光る連合統一文字がワタクシたちの目の前の空間にズラッと並んだ。
いずれも人魔大戦に関係したこの図書館の蔵書のタイトルだ。
「魔王領にも王立図書館にも無い蔵書があるようだ。この施設は価値があるね」
サリサ先生はそのタイトルのうち一つに軽く触れる。
『
そして書架の左下の方の本が赤く光った。
「なるほど。じゃあこれを借りようか。今夜の暇潰しにね」
先生がそう呟くと赤く点滅する本が先生の手元に移動し、金色の燐光を放った。
次の瞬間、先生の手の中には目当ての本が納まっていた。
現実の書架から実物が転移したのだ。
──そう、この世界には科学の発達に反比例したこういう魔法の産物がある。
一連の出来事を鑑賞し終え、改めてワタクシは魔法の可能性に胸を躍らせた。
印刷技術が中世レベルなのはこういうトンデモ魔法が存在しているからなのだろう。まさにこの部屋は現実に干渉できるバーチャルリアリティだ。
前世の科学技術でも再現不能な、創作物の中にしかない境地。
これを実現している魔術を応用すればエロゲの再現は可能に違いない。
問題は術理の解明と術者の用意と施設の小型化とそれから──。
「どうしたの、ツェツィ? 次行くよ?」
パメラの声でハッと我に返る。
ワタクシがエロゲ制作モードに入っているうちに二人は背後の扉を開けて検索室から出て行くところだった。
「ああ、ごめんなさい。少し考え事を」
そう答えてワタクシはエルフと半魔族の背中を追いかけた。
◆◆◆
図書館を出た後、大庭園前の掲示板を確認して講義予約の無い講義塔を見繕い、そこに先生を案内した。
螺旋階段を上がり、講義室で授業の様子を解説して、その場を後にする。
「なんで先生はその本借りたの?」
「まあタイトルが気になったからだね。聞きたいのは気になった理由かい?」
「うん。だってタイトルの内容なんて、先生自身が一番知ってるハズだよね?」
『
そしてその最期ということは、今でも巷で語り草な勇者一行の伝説の一つ、最強の魔術師サリサとの一騎打ちが書いてあるのだろう。
「ああ、その通りだ。だがあの一件が世間にどう伝わっているかを確認するのもまた面白いものだ。それが真実とかけ離れていても、はたまた真実に迫っていても、ね」
パメラの素朴な疑問に同意しつつ、先生はそう答えた。
「ずっと伺いたかったのですけど、先生は本当にバルサザールと一騎打ちをしましたの?」
流れに便乗してワタクシもサリサ先生に積年の疑問を打ち明ける。
「へえ、なぜそう思うんだい?」
「だって、先生が一騎打ちなんてロマン溢れる行為をするハズがありませんもの。四天王を潰すなら勝算の一番高い手段として全員で袋叩きにするに決まってますわ」
「クククッ。よくワタシを解ってくれているねツェツィ。その通りだ」
エルフの魔法使いの口角がわずかに上がる。
ワタクシの返しが余程嬉しかったようだ。
「だが一騎打ちをしたのは本当だよ。あの時はそうするのが最善だったからね」
サリサ先生は十五年前の戦いを語り始めた。
真実の英雄譚を聞けると思うと胸が躍る。
「ワタシたち七人だけで魔王城に突入し大魔王を暗殺する。その難題における最大の敵は時間だったのさ。気づかれてから魔王軍の戦力が集結する前に勝負を決めなくてはならない。そしてその目標における最大の障害が四天王、
三人で石造りの螺旋階段をカツカツと下りながら先生は続ける。
「本人の強さはまあ置いておくとしてもバルサザールの厄介さとしぶとさは世界一でね。ヤツがいるとアンデッドが無限に沸くし、加えて本人を殺しきるにはトリックの解明とその実行に膨大な時間を要求される。本来ならば一番の対策は無視してさっさと進むに限る」
四天王と勇者一行の闘いなんてこの世界における頂上決戦の一つだ。
壁で揺らぐ不朽蝋燭や祖神絵画に気を取られることも無く、ワタクシたちは先生の話に聞き入ってしまう。
「だが創世の時代の名残で魔王級の魔族には大王特権があってね。一度戦闘になれば決して逃げることはできない。七人全員でかかれば楽勝なのは間違いないが、四天王が相手となると大王特権で全員が足止めを喰らってしまうわけさ。これはとんだ時間泥棒だ」
螺旋階段を下り切り、講義塔の一階に辿り着く。
出口に初夏の日差しが差し込んでいる。
「それを避けるために、誰か一人がバルサザールの囮となる必要があった。それにはヤツが執着していてかつ魔術師として負ける要素もないワタシが適任だったというだけの話さ」
そう言ってエルフの魔法使いは自らの伝説の一つを〆た。
ロマンの欠片もない言い方で。
その手の中の『
少なくとも今聞いた話よりも読者を楽しませる気概が溢れているに違いなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます