第19話 エルフの魔法使いの肖像

「早速記事の作成に移るわよ。まずエルフの魔法使い特集を練りましょう、ジゼル」


 ワタクシが指を弾くと、ジゼルが今度は四人それぞれに紙を配る。


「エルフの魔法使いについて各々が知ってることを統合する形で作りましょう」

「じゃあイラストレーターの私は先生の似顔絵を描くね」


「そういやパメラさん、さっきから先生ってなんスか?」


 パメラがエルフの魔法使いを先生と呼称することに気づきリオが疑問を口にした。


 そうか。ワタクシもジゼルも自然に流していたけどリオは知らなかったのね。


「あ、ごめん、リオ。私とツェツィとジゼルはエルフの魔法使いの弟子だったんだ」

「えぇッ? あのエルフの魔法使いの? 末裔のウチも全然話したことないッス!」


 パメラの答えにリオはひどく驚いた声を上げる。


「う、うん。五年前にほんのちょっとだけ稽古をつけて貰っただけなんだけどね」

「くぅ~、それでもめちゃくちゃ羨ましいッス!」


 リオが心底羨ましそうに地団太を踏む。

 当然だ、世界最高の魔法使いの教えを受けることを羨まない魔術師などいない。

 だがその様子を見たジゼルは憂いを帯びた瞳で言った。


「いえ、お言葉ですがリオ様、その言葉をそっくりそのまま返させて頂きます」

「はえ?」


「うん、先生の修行は経験してない方こそ羨ましいかな」

「ええ、あの女は人権とか限界とかの言葉が無い世界から来たに違いありませんわ」


 ジゼルの言葉にワタクシとパメラも同意の意を示す。


 エルフの魔法使いの尋常ではないしごきを思い出し、得も言われぬ負の感情を沸き立たせるワタクシたち。


「地獄すらなまぬるいとはまさにあの修行のことですわね」

「寝込みをケルベロスに襲わせることに何の意味があったんだろう」

「魔術師は不意打ちに弱いから常在戦場の心を持てという理屈らしいですわ」

「パジャマのままウィンダリアの砂漠に転移させられた時は死を覚悟しました」

「日が暮れる前に隊商に拾われてなきゃホントにヤバかったと思う」

「野良ゴブリンの巣のド真ん中に放り込まれたこともありましたわね」

「十歳の女の子にさせる修行内容じゃなかったよね」

「というかむしろ誰なら耐えられる想定のメニューだったのかしら」

「しかし我々は生きてここにいるのですから、先生が正しかったということでは?」

「なんか釈然としませんわね」

「死ぬ気でやれって言われてやって、『ほら、死ななかっただろう?』って言われる感じだよね」

「その言葉は実際に言われた覚えがありますね」

「対抗戦当日にあの女と再会した時、トラウマを耐えきる自信がありませんわ」


「あー、なんかすんませんッス」


 怒涛のように艱難辛苦の思い出話を零すワタクシとパメラとジゼル。

 その場の地獄のような空気に当てられて居たたまれなくなったリオがとうとう謎の謝罪を口にした。


「あ、ごめんリオ」

「申し訳ありません、ジゼルが口火を切りました」

「ま、まあ気にしないで、エルフの魔法使いの記事を書く作業に戻るとしましょう」

「りょ、了解ッス」


 各々が自分の紙に向かい合って黙々と作業に移る。


 ワタクシは羽ペンを走らせエルフの魔法使いを思い浮かべた。あの何の感情も窺えない能面のような顔をした美貌のエルフを。


 勇者一行の一人、エルフの魔法使い、サリサ=ネーベルラント=エルネスト。

 “魔術の始祖”とも呼ばれる世界最高の魔法使いだ。


 今年の校内魔術対抗戦のゲスト講師である彼女は、三人の始まりのエルフの一人で、世界で最も古い生き物のひとつでもある。

 誓願呪文を発明し、七千年間魔族から人類を庇護して発展を見守り、二百年前に人類連合の発足に立ち会い、十五年前には四天王の魔術師バルサザールを滅ぼした。

 勇者一行として大魔王を打倒したのも数多ある彼女の伝説の一節に過ぎない。


 さて、ここまでは歴史学で誰もが習うエルフの魔法使いの事実だ。

 そんな生ける伝説の手解きをワタクシたちは五年前に受けた。

 ノイエンドルフ家の魔導書を読み尽くしてしまったワタクシは、愚かにもお父様に魔術の修行がしたいなどと口走ってしまった。


 叶うならあの時の自分の口を縫い合わせたい。


 お父様は自分が教えられることは何もないと述べ、代わりに講師を用意してくれた。

 人間の勇者であるお父様が連れてきた講師は、他ならぬエルフの魔法使いだった。


 果てしなく長い歴史の中で、エルフの魔法使いが弟子を取った逸話は片手で足りる程しかない。 

 そんな世界最高最古の魔法使いがワタクシの目の前に立っている。

 純粋だったワタクシは歓喜に打ち震えた。


 そして、その幼子の喜ぶ姿を見てあの女は眉一つ動かさずに言った。


『キミ一人では退屈するといけないから、そこにいる使用人と近所の半魔族も一緒でいいかな?』


 エルフの魔法使いがワタクシのために稽古をつけてくれる。


 十歳のワタクシの頭の中はその事実だけでいっぱいになり、すぐにジゼルの手を引いてパメラを呼びに走った。


 今にして思う。

 あの言葉はワタクシの退屈ではなくあの女自身の退屈を心配したのだと。


 そして、三人の地獄の百日間が始まった。

 エルフの魔法使いの与える試練は、魔術の修行というより最早戦争の訓練だった。

 膨大な量の呪文の暗記暗唱は当然。二十四時間絶え間ない魔力の調節、あらゆる魔物や職種を想定した戦闘訓練、どんな状況からも生き残る生存術、その全てを叩きこまれた。


 幾度も死の淵を覗き込みながら。


 歴史で語られる人類の守護者としての慈愛に溢れたエルフの魔法使い像は、実物と接して粉々に砕け散った。


 徹底した合理主義。目的のためには手段を選ばない。最短の時間で最大の効率を。

 自然を愛するエルフのイメージとは対照的な、まさに鉄の女だった。


 ワタクシたちに課した修行も、死なないギリギリの線を攻め続けることが最大効率だという合理的判断だったのだろう。


 修行の成果は文句のつけようもなく、ワタクシたち三人は同世代最強になった。


 深淵より深い心の傷と引き換えにして。


 あの女に植え付けられたトラウマのせいで、ワタクシは邪知暴虐の悪役令嬢になり、ジゼルは冷酷無情の完璧メイドになり、パメラは疑心暗鬼の引きこもり魔族になってしまったと言っても過言ではない。


 そう、極めつけは百日目のあの日──。


「できた!」


 不意に聞こえたパメラの一言で、ワタクシは思考と羽ペンを止める。


「みんな見て見て! ほら、サリサ先生!」


 パメラはそう言いながらこれ見よがしに自分の紙を机の真ん中に置いた。

 世界樹の大杖を携え、大きな魔女帽子を被り、丸眼鏡を掛け、ローブを纏い、尖った耳をした無表情で長身の女。

 紙の中にはまごうことなきエルフの魔法使いが顕現していた。


「相変わらず絵上手すぎッスね」

「五年前に見たお姿と寸分違いませんね」

「やっぱり新聞部を支えるのはパメラしかいないわ」

「むふー」


 ワタクシたちが口々に褒め称える。いかにも絵師様はご満悦といった様子だ。


「それじゃあ早速動画魔法をかけて喜怒哀楽の表情を──」

「ああ、ダメダメ。サリサ先生は笑わないんだ」


 リオが動画魔法で絵に表情を加えようとすると、すぐにそれをパメラが遮った。


「え? そうなんスか?」

「はい、加えて決して怒らないし泣きもしません」

「こっちがミスをした時も調子が変わらないから、逆にキリキリと胃が痛むのよね」

「そ、そうッスか。じゃあ動きをつけるッス。こう杖を振るとか、呪文を唱えるとか」


 再び話の流れが陰鬱になりかけたのを察して、リオが咄嗟に軌道修正する。


「サリサ先生は持ってるだけで杖は使わないんだ」

「呪文を唱えるのを見たこともありませんね」

「大体指パッチン一つで全てを解決するわね」

「そ、そうッスか……」


 最早打つ手なしといった具合にリオが黙り込む。


「だ、大丈夫! 私が何かいい動きを考えるよ! 彩色もまだだしさ」

「リオ様、気を使わせて申し訳ありません」

「そ、そうですわ。ワタクシたちもう大丈夫ですのよ」


 今度は打って変わってワタクシたちがリオを気遣って声を掛ける番だった。


「さ、さあ、記事を統合しますわよ! みんな自分の原稿はできまして?」

「ツェツィ様、盛り上がりのところ申し訳無いのですが、お外をご覧ください」

 

 ジゼルに促され、ワタクシは部室の中が薄暗いことに気が付いた。新聞作りに熱中しすぎて時が経つのを忘れていたようだ。


 窓の外を見ると夜の帳が降りようとしていた。


「そろそろ寮に戻らなければ寮長先生のお叱りを受けることとなるかと」

「うっ。それはなんとしてでも避けたいわね」

「あ、紅玉は寮長怖いんスか? 蒼玉はそうでもないッスよね」

「うん、私が夜に絵を描いてることも、皆に隠してくれてるすんごく良い先生だよ。逆にそのせいで予習してる優等生ってことになってて、クラスでの扱いの重圧感プレッシャーが凄いけど」


 ワタクシたちが紅玉の寮長を恐れる反面、蒼玉の寮長は温和なようだ。

 羨ましいったらない。


「あ、それならウチも、超重要で人命にも代え難い天下分け目一世一代の大事な用事があるんでここで抜けさせてもらいたいッス」


「え、ええ、なら今日はお開きにしましょう。また明日この時間に」

「私はサリサ先生の動きのバリエーションを考えて彩色しとくね」

「ではジゼルはラファエル先生に校内魔術対抗戦の内容について尋ねておきます」

「じゃあワタクシは今日の記事を統合しておくわね。リオは用事を優先なさいな」

「やー、みなさん助かるッス。明日には必ず成果を還元してみせるッスよ」


 リオはそう言うとそそくさと外套を羽織って鞄を掴み出口を目指す。


「リオ、その超重要な用事って聞いてもいいヤツ?」


 パメラが尋ねると、軋みを上げるドアノブに手を掛けたリオがピタッと制止する。


 そして、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにリオは立派な犬歯を覗かせてニヤリと笑った。


「ええ! 遂に魔導輪転機のご到着ッス!」

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